4-9 野犬は多いのに
秀は決めます。中継ぎとして、丹沢に戻ると。勝が成人するまで生きられなくても、出来る限りの事をしようと。
「アオォォン。」 アツマレェ。
「アオォォン。」 マツリダァ。
日本の犲は、絶滅に近い状態。丹沢家の山にいらした御犬様は、御隠れ遊ばしたのか。・・・・・・お見掛けしない。
猟師が多いので鹿による環境破壊は、今のところ最小限に抑えられている。問題は野犬。
御犬様は守れなかったが、獣が暮らしやすい山にする事には成功した。人間に使役されるより、野生に戻る事を選んだのか。困った事に、多くの猟犬が行方不明に。
「わぁぁぁ! オオカミが、オオカミが来るぅぅ。」
勝が叫びながら、蔵へ逃げ込みます。
「アレは野犬だ、御犬様じゃない。」
勝を抱きしめながら、秀が微笑みました。
可哀想に。蔵の中に入れられていたのだ、何も聞こえなかったハズ。けれど見た。血の海、血飛沫、転がる死体。発狂してもオカシクない。
「御犬様は足が長くて、口が大きい。尾が垂れていて、冬になると毛色が変わる。鹿や猪、猿を食べるから、人は襲わないよ。」
「そうなの?」
「あぁ、そうさ。美味しい獣がイッパイいるから、山を下りないんだよ。だからヤマイヌって言うんだ。」
勝は孤独だった。
生まれ順は長女、長男、次男、三男、次女。男三人の中でも、生まれ順でも真ん中。姉は家の手伝いで忙しい。
兄や弟妹ばかり可愛がられ、愛情に飢えていた。
誰も構ってくれない。笑いかけたり、優しく声を掛けられたり、抱きしめられた記憶が無い。だから嬉しくて、たくさん質問するのだろう。
「オオカミは、ヤマイヌ?」
「そう。シシやサルを食べて、山や畑を守ってくださるんだ。」
「山も?」
「そうだよ。シカはね、目に映った草や木を全て、平らげるんだ。」
鹿は一夫多妻制、ドンドン数が増えマス。
過剰に増殖した鹿は草を食べ尽くし、木の芽や皮までペロリ。そうすると木は枯れ、草木に守られていた土地が丸裸に。
森林から草木が無くなると、昆虫が姿を。昆虫が姿を消すと、それを食べていた鳥が姿を。鳥が姿を消すと、それを捕らえて食べていた小動物が姿を消します。
つまり鹿の過剰採食によって、森林を含む植生が消失。土壌が流失し、山地が崩壊するのです。
オオカミは大神。山と人を守る、有り難い存在なのですヨ。エッヘン。
因みにオオカミは一夫一妻で毎年、出産します。
家族や仲間、十頭ほどで群れを形成。縄張り争いをする生き物なので、群れ同士で闘争が起きれば一家残虐。完全勝利するまで、生死を懸けて争いマス。
縄張り争いが有る限り、数が増え過ぎる事はアリマセン。
自然の摂理って、スゴイよね。
「じゃぁ、どうしてオオカミは嫌われるの?」
「オオカミは狩りが上手い。けれど、冬になると困るんだ。思うように狩りが出来なくてね。仕方なく山を下りて、家畜を襲う事もある。」
「トーミンしないの?」
「イヌ科で冬眠するのは、狸くらいさ。」
秀の膝の上に座り、後ろから抱きしめられる勝。その表情は穏やかで、とても幸せそう。ガチガチに凍った心の氷は、少しづつ溶けてゆく。
秀は勝に、祖父母から教わった話を聞かせ、されて嬉しかった事をしました。
厳しく躾け、たっぷり愛情を注ぐ。深く傷ついた幼子に寄り添い、慈しみながら。
「御犬様はもう、いらっしゃらないの?」
「コワイ病気が広がってね。とても少なくなって、しまわれたんだ。」
生態系の頂点にいた犲。捕食者の不在により、様様な問題が。害獣の増加です。
鹿や猪は良い獲物なので、猟師に大人気。けれど猿は? 犬は?
「野犬は多いのにね。」
「そうだね。」
犲が姿を消したのは、人の所為でも有ります。
秀は悩んだ末、決心しました。勝が落ち着いたら、丹沢家の闇を包み隠さず、打ち明けようと。