4-8 御犬様の蔵
富永家に引き取られ、商いの手伝いをしながら農学校に進学。卒業後役人となり、農林の仕事に従事。
そんな秀が家に戻ったのは長兄、太郎が急死したから。
太郎は数字に強く、次郎は人当たりが良い。秀には商才が有りました。
養父から『次郎を支えてほしい』と言われた時は驚きましたが、秀は退職して、家業を手伝うと決めます。
「秀、落ち着いてくれ。」
「はい、落ち着いています。丹沢で何か?」
富永家には太郎と次郎、二人の倅が居ました。養子に迎えられた秀は三男として、大切に育てられます。
姉や妹が合わせて5人も居るので、とっても賑やか。兄たちは『弟が出来た』と大喜び。
姉妹は嫁ぎ、残ったのは次郎と秀の二人。
昔から仲良しでしたが、今ではツーカーの仲。義姉から『熟年夫婦』と評され、苦笑い。いや兄弟で、相棒だヨ。
「聞いたのか。」
「いいえ。生母の死を知らせてくれた時の父さんと、同じ感じがしたモノで。」
そうか・・・・・・。親子だからなぁって、違う! ナゼそんなに落ち着いているんだ。いや落ち着け、落ち着け。
「丹沢の本家が、オオカミに襲われた。」
「ソレは有り得ません。」
「アッ、そうだな。犬に襲われた。」
江戸時代後期から明治初期にかけて、オオカミ信仰が大流行。そうでなくても狂犬病が猛威を揮い、多くのニホンオオカミが命を落としました。
犲が減ればシシやサルなど、野生動物が増えます。困った事に増えた野犬は、ハッキリ言って狩りが下手。手っ取り早く食らえる、人を襲うようになりました。
「生き残りは狂犬病に罹って、もう助からない。無事なのは、長持に逃げ込んだ当主。蔵に入れられていた次男、勝の二人だ。」
「そうですか・・・・・・。」
勝は丹沢の甥の子で、確か五つになる。長兄の葬儀の際チラッと見かけたが、とても寂しそうにしていた。
「丹沢一族が話し合いの末、秀を当主にと。」
「当主は無事なのでは? まさか。」
「『御犬様の祟りだ』と言って、家中に護符をな。」
「どうやって暮らして。勝は、まだ五つでしょう?」
通常の社会生活を、営めなくなりました。
運よく難を逃れるも、耳を離れない断末魔の叫び。子を食い殺され、配偶者は狂犬病に罹患。妻の実家はモチロン親族からも責められ、再起不能。
子の世話なんて、出来るワケが無い。
見かねた近所の人が、勝の食事を運んでいます。幸か不幸か、閉じ込められた蔵の側に厠があるので、今でも蔵で一人暮らし。
「五つの子に当主は務まらぬ。で、秀にと。」
「丹沢には他にも、男が残っていたハズですが。」
「それが、その・・・・・・。」
野犬に襲われたのは、生家だけでは有りません。同時では無いものの、分家も襲われました。
生き残りは揃って、本家を継ぐのを拒否。祟りでは無く、人を恐れたのです。
丹沢家に犬神憑きは居ません。けれど狂犬病に罹った者が皆、今わの際に叫んだのです。犬のように。
結果『丹沢の者は呪われている』と噂され、広まりました。
「私が丹沢に戻ったとして、女手は。誰も来てくれないでしょう。」
「一人、出戻る。カルだ。」
勝の長姉、カル。望まれて造酒屋に嫁ぐも流産を繰り返し、肩身の狭い思いをしていました。
旧家に嫁いだのです。当然のように跡継ぎ、それも男児出産を求められるモノ。
流産してから一年後。分家のみならず本家まで犬に襲われ、悪い噂まで広まりました。
『犬神筋だ』と断言され、違うと言っても信じてもらえず・・・・・・。酷い話ですが迷惑がられ、嫌悪の対象に。
「私が戻っても勝が成人する前に、お迎えが来るでしょう。ですから後見は、遠縁の若い人に。」
「私も同じ考えだよ。けどね、言われたんだ。『秀は一度、御犬様の蔵に入っている』と。」
丹沢家には、当主にしか入れない蔵があります。
外観は一般的ですが、内部は神庫。当主が見込んだ孫息子のみ、一度だけ、拝観する事が出来るのです。
「当主を除き、私しか居ないのですね。」
「そうらしい。」