4-4 お犬さまサマだぜ
どういうワケか、全く雨が降らない。
このままではイケナイ。幾度も雨乞いしたが、効果なし。『犬神に、お頼みするか』と里の誰かが、ポツリと漏らします。
「・・・・・・そういえば名主さま。坊ちゃんが山奥から、イヌに守られて戻ったとか。」
「あぁ、そうだ。」
あれから秀は強い子になった。山が好きになり、大きくなったら樵になると。獣が暮らしやすい山にして、御犬様に御恩返しする。そう言って張り切っている。
好き嫌いせずシッカリ食べるようになったし、手習いも始めた。あの泣き虫が元気に駆け回っている。夢のようだ。
秀は体が弱かった。
末っ子という事もあり、甘やかしてしまったと思う。良い方に変えてくれたイヌには感謝しているが、ソレはソレ。
御犬様に雨を振らせる力が有るなんて話、聞いた事は無いが・・・・・・試すか。
「狩人に頼もう。」
踏めばガチャンと閉じる罠を、山のアチコチに仕掛けた猟師たち。依頼されたのはオオカミ。けれど鹿でも狐でも狸でも、獲物は何でも良い。
「さて、と。これくらいで。にしても、ククク。」
「笑いが止まらねぇな。」
オオカミは山神の使い、そう信じているのは年寄くらい。犬が山に入って、野生に戻ったダケ。
野犬もオオカミも山犬さ。山に居るんだから。
「イヌ捕まえて渡すダケで、タンマリ貰えるんだ。」
「お犬さまサマだぜ。」
この頃ニホンオオカミと山にいる野犬は混同され、両方とも『山犬』と呼ばれていました。
夏毛は黄褐色で、常に尾を垂れているのがニホンオオカミ。毛色で判断できなくても、尾を見れば判る。なのにナゼ、混同されたのか。
理由は簡単、狂犬病です。
狂犬病ウイルスによる伝染病。
感染した犬は狂暴化し、全身麻痺で死にます。罹患した犬に咬まれると、その傷口から唾液を通して感染。
ウイルスは中枢神経に達し頭痛・発熱・興奮などの症状が現れた後、全身の痙攣・麻痺錯乱が起こります。
発症すると高確率で死亡し、治療法はアリマセン。
嚥下筋や呼吸筋の興奮が強く、水を飲む時、水を見たダケでも嚥下筋の痙攣を起こすので、恐水病とも。
喉が渇いていても、水に恐怖を抱きます。
1885年フランス。化学者で病理学者のパスツールが初めて、狂犬病ワクチンの製造に成功。
日本でオオカミによる襲撃事件が多発し、駆除に拍車を掛けていたのは享保17年、1732年頃。分かり易く言うと江戸時代。
長崎で発生した狂犬病が九州、山陽道、東海道、本州東部、東北地方と全国に伝播。人獣共通感染症です。
人から人に感染しない、とは言えません。狂犬病を発症した人に噛みつかれれば、感染する可能性も。
ワクチンは無い、治療法も無い。・・・・・・駆除する他に、打つ手なし。
ニホンオオカミは山で生きる、グルメな獣です。相手かまわず吹っ掛ける事は皆無。けれど狂犬病を発症したら積極的、いえ攻撃的に。
『オオカミもイヌも人を咬む、だから同じだ』なんて責められると、困ってしまいます。
問題はソレだけでは有りません。
日本では山間部を中心に、狼信仰が存在します。『大神』『御犬様』と崇められていましたが、狂犬病の流行によって信用ガタ落ち。
アチコチの山で、多くの犬が罠に。
犲は賢いので避けられるのですが、狂犬病に罹っていれば話は別。無茶苦茶に暴れて、近づく猟師に牙を剥きます。
「ヴゥゥ。」 ヒトメェ。
「ガルゥ。」 ユルサネェ。
涎をポタポタ垂らしながら、殺意を向ける。
どうみても狂犬病だ。コレを依頼主に渡せば、間違い無く首が飛ぶ。射殺しよう。生け捕りにしても、金にならない。
「オイ。」
猟師の一人が鳥獣用の罠に、若い犲が掛かっている事に気がつきました。
長時間プラーンと逆さ吊り。頭がボンヤリして、何も考えられない。吉生は逃げるドコロか抵抗も出来ず、アッサリ捕まりました。
まず前足、それから後ろ足を縛られ、ヒョイ。
遠吠えして助けを呼びたい。けれど吉生に、そんな力は。
親の言いつけを破って、一頭で遠出したのが悪かった。探してもらえるのは、ずっと後。