忠義の士官が遺した書置き
長男として家督を継ぐ必要があり、尚且つ体力的な自信の無さから軍務と無縁だった私にとって、士官学校を卒業して陸軍将校となった弟は誇らしくも眩しい存在だった。
あのロシア帝国を相手にした先の戦争でも、弟は遼陽や奉天の戦場で雄々しく勇敢に戦い抜いた。
そうして市井の人々から「第四師団の若武者」だの「堺の若獅子・園成太郎大尉」だのといった勇猛な武名で称賛される弟を見るにつけ、私の胸中には嬉しさと申し訳無さの綯い交ぜになった不思議な感情が湧いてくるのだった。
−弟が帝国軍人として雄々しく武勲を挙げているのを横目で見ながら、兄である自分は銃後で安穏とぬるま湯に浸かっている。
そんな劣等感と申し訳無さからは、どうしても逃れられなかった。
そのため身体を患った弟が我が家に身を寄せて療養生活に入った時は、不謹慎極まりない事だと分かってはいるものの、ホッと安堵してしまったのだ。
−弟が軍務を離れて療養生活をしているうちに、私は自分の得意分野で功績をあげよう。そうすれば、弟への劣等感も克服出来るはずだ。
そうして私は教壇に立つ傍ら、国文学者としての研究に勤しんでいった。
「気長に養生すれば必ず良くなる。加太なり白浜なりに、気晴らしを兼ねて湯治にでも行けば良いだろう。」
同情からか、或いは優越感からか。
自宅の離れに起居するようになった弟に対し、こんな無邪気極まりない労いの言葉をかける始末だった。
だが弟は、私が思っていた以上に思い詰めていたらしい…
弟が離れで自ら生命を絶ったのは、大正二年九月十三日の事だった。
腹へ軽く懐剣を突き立てた上で、こめかみを南部式自動拳銃で吹き飛ばす。
そんな凄絶極まる死に様は、武士の切腹に倣った物だろう。
介錯の一太刀が、一発の南部弾に取って代わられていたけれど。
「あなた…成太郎さんの文机の上に、このような書き置きが…」
「むう…これがそうか、さつき…」
恐慌状態の妻から受け取った書き置きを、私は震える手で広げ、恐る恐る読み進めたのだ。
世那樹兄さん、さつき義姉さん。
生まれてから今日までの三十年間、ありがとう御座いました。
離れを私の血で汚してしまった事、並びに先立つ不孝を御許し下さい。
蝕まれた私の身体は、軍務への復帰は絶望的だそうです。
このまま生き恥をさらして兄さん達や世間に御迷惑をお掛けする事は、私には耐えられません。
蝕まれた身体に別れを告げる事、御許し下さい。
叶うならば、遼陽や奉天で逝った戦友達と再び相見えたいです。
それは紛れもなく、弟の遺書だった。
毛筆で認められた文字には少しの乱れも震えも無く、揺るぎの無い覚悟が感じられた。
「今日は九月十三日…!まさか、成太郎さんは…」
ハッと息を呑んだ妻の言わんとする事は、私も直ちに思い至った事だった。
「今を去る事一年前、乃木大将が殉死を決行された日だ…成太郎の奴は、乃木大将に深く心酔していたからな…」
弟の心中を兄として察してやれなかったのは、悔やんでも悔やみきれない。
だが、私が弟の心の内に気付けたとして、何になったのだろう?
殉死の決意を翻すように諭したとして、果たして成太郎は従ったのか?
今となっては、それも分からなかった。
いずれにせよ、今の私達に出来る事と言えば、成太郎の魂が英霊となった戦友達と再会し、心穏やかにしているのを祈るばかりだった…