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いつかの砂浜、海で誰かが僕を呼ぶ【2】

「ごめん小豆、開けられない」



 実に6,7年ぶりに再会する小豆は想像より──僕の記憶に、彼女の喋る姿は無いので本当に”想像”のイメージではあるが、それより饒舌なタイプだった。言いたいことが6年分溜まっていたのかもしれないが、話し始めると止まらなかった。

「何があったかは知ってるよ。だけどさ、やっぱり元気かなって気になっちゃって。連絡先もわからなかったから直接来ちゃったんだ。てか、あんなことあったのに引っ越しはしなかったんだね……ってか!出来なかったとはいえ連絡も無しに深夜に押しかけてやばかったよね、ごめんね!?ほんとはお昼とかに行こうかと思ったんだけど人目につくとまだやっぱり怖いかなぁって思って……。」


 堰を切ったように、というか堰を突き破る勢いであれこれまくしたてる小豆に僕は、問われたこと一つ一つ──引っ越しはせずに済んだこと、突然の深夜訪問は驚いたが、まだ100%安全とも言い難い状況だから人目につかない時間を選んだのは良かったこと──などを順々に答えた。


 "あの騒動"と小豆は呼ぶが、それはそれに通称が存在しないからである。しかし僕の中にはれっきとした呼称が存在する。


──《焦土事件》


 その滅茶苦茶な幕引きから、僕がそう呼ぶその事件は、現在僕の置かれた社会的孤立の元凶である。

 鐘町小豆は(恐らく)小学校以来僕と会っていないが、どうやら《焦土事件》は大学外部にも知れ渡っていたらしい。

 その騒動の中、僕の住所と連絡先は気付けば公然の秘密となっていた。

 そのうちの片方を変えるため、僕は一度携帯を機種変をして全てのデータを削除していた。それによって古い友人との連絡はもはや付かなくなっていた。

 そのような追い詰められた状況で、もう片方の公然の秘密であったこのアパートから僕が立ち退かずに済んだのは、一重に蓮華先輩がその知略で僕の聖域を守護しきった功名だった。

 今や僕の連絡先にも住居にも、気を止める人は居ない。しかし、調べようと思えば住居の方は特定することが可能なようだった。


「てか、自分から言いたくなかったけどさぁ、ドア開けてよ。女の子をこの深夜に立ち呆けさせる気?」


 その時、耐えかねたように小豆が言った。自分から切り出すのは無礼と承知だが、外の寒さと隔絶感に耐えかねたといったところだろうか。

 しかしここに来てまだ、僕の心にもたげる疑心は消えていなかった。《焦土事件》の後遺症であろうか、簡単にこの家の中に他人を入れることはできなかった。


「泊めてなんて言わないからさあー、顔くらい見せてよ」


 扉の奥からは変わらず小豆からの催促が聞こえる。僕は思案の末、言われた通りに扉を開けることにした。


 その時彼女を照らすのはアパートの明滅する蛍光灯のみだったが、闇と見紛う黒さを湛える髪の美しさは一目瞭然であった。

 背も伸びているが、雰囲気や声は変わらない。そこに居るのは見紛うことなく、幼馴染の鐘町小豆その人だった。


「久しぶり……その……小豆。」


 そう言いながらしかし、初めて気付いたこともある。彼女の目は三白眼だった。自然体で睨めつけるような形をした三角の目、その中で黒い瞳が大きく見開かれていた。


「ほんと、久しぶり。でっかくなったねぇ。」


 小豆はその三白眼で僕を足先から顔まで順繰りに見回して、しみじみと言った。


「はは、ありがと。……小豆は、あんまり変わってないように感じるな」


「その呼び方、久しぶりだとちょっと照れるね。お互い様かな、"れんくん"……ふふ。」


 彼女の笑いに釣られるように僕は少し微笑む。そして横目で自分の部屋を一瞥してまた、少し悩む。

 それでも、僕はもはや彼女に警戒心を払うことの愚かしさを感じ始めていた。

 考えてみれば、おかしいのはかつての友人を思い出せぬ僕の頭で、忘れられた被害者たる小豆に非があろうはずもないのだ。


「汚いけど、お茶くらいは出すよ。入って。」


 そう言って僕は決断し、小豆を家に入れた。

 《焦土事件》以来守り抜かれてきたこの一室に、異性の他人が入ったのは初めてのこととなる。


 部屋は二人入るには手狭だったが、布団をしまって座布団二つとテーブルを出せば、団らんには事足りた。


 冷蔵庫から残っていたジュースを取り出してしばらく使われていなかった来客用のコップに注ぐ。


 小豆は本棚やら壁紙やらを眺め、時折本のタイトルや壁紙の写真などについて質問をしていた。


「でもびっくりしたんだよ。ほら、幼馴染が突然パブリックエネミーみたいになっちゃってたんだから。私にも結構連絡きてさ。あいつはどこに居るんだって。私も知らなかった、むしろ私が知りたかったのにね!」


 僕が座布団に座ると、小豆はそう切り出した。

 背筋がぞくりとする。小豆はさらっと言ってのけたが、僕を追っていた者たちは、(僕が忘れていた)昔の幼馴染までも嗅ぎ付け、その魔手を伸ばしていたのだ。

 もし《焦土事件》が、その名の元となった最後を迎えなければ、いや、釜口蓮華によって迎えさせられていなければ……僕の知らぬところでさらなる事件を巻き起こしていたかもしれないのか。


「それは……僕のせいだ。ほんとにごめん。」


 少しうなだれてしまった僕に、小豆は焦ったように顔を寄せてきた。


「大丈夫だよ!責めようってわけじゃあないの!濡れ衣はもう晴れてるんだから。もちろん!私は最初っから信じてたけどねっ!」 


 そういってウインクした小豆は、その後、得意げな顔を少しだけ曇らせた。


「それでも……ね、信じてたけどね。」


 打ち明けるようにゆっくり言葉を継ぐ。僕は黙ってそれを聞いた。


「ちょっと怖かったよ。事件が起こってる間は。その後にれんくんは無事で、無実で、れんくんを狙う人もいなくなったって聞いた時、私少し泣いちゃった。」


 僕はややこそばゆい気持ちになりながら、その裏で自責の念が蛆虫のように這い上がってくるのを感じた。

 僕は、そんな彼女を忘れていたんだ。そして、今尚多くのことを思い出せずにいるんだ?

 ここまで僕を想っていた得難い幼馴染を。

 その時僕の頭に一瞬、あの『解決策』がよぎる。釜口蓮華によって送られたであろう、この頭の靄を取り除く方法。


 僕はスマホを探そうと顔を上げた、しかし、その次の刹那に僕の視線は鐘町小豆に奪われていた。


 小豆がうつむきがちにこちらを見ていた。その三角の目に、涙が溜まって潤んでいる。


「久しぶりに会えて、ほんとに良かったと思ってるの。」


 小豆は感情を抑えきれずにすすり泣くように言うや、僕に覆いかぶさった。


 肩に手をかけ、抱きつくように僕の反対側の肩に顎を乗せる。

 月並みな言い方だが、僕は人肌に触れた事自体が久々だった。その温みと小豆の泣き声に打たれたように、僕はただぎこちなく手を彼女の背に添わせることしかできなかった。


「れんくん──」


 耳元で、小豆が囁く。その声は脳に直接染みわたるように響いた。


「れんくん、私──」


──ドンッ!


 インターホンではない。暴力的に扉を叩く音が空気を裂いた。

 冷水を浴びせられたように僕たちははっと、顔を上げる。お互いがお互いから手を話して離れるのは完璧に同時だった。


「阿賀嶺君!!!」


 次いで扉の奥から聞こえた切迫した声は、僕が聞き間違えるはずがないものだった。


「蓮華先輩……?」


 かちり、と時計の針が音をたてる。

 時刻は00:00を周り、新しい日がはじまった。カレンダーを見れば、12月23日、クリスマスイブの更にイブ。

 聖夜の前哨戦が、始まろうとしていた。

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