第6話 「旅立ち」
戦いの決着にそう時間は掛からなかった。ゼロの満身創痍の体でフェンリーに太刀打ちできるわけもなく、数秒後にはゼロの体は仰向けで床に叩きつけられていた。握りしめたフォークは腕ごと床に凍りつけられ、両足は太ももから下が全て固まっている。最早立ちああることすらできないゼロの眼差しは、フェンリーの足元に落ちているレイアの髪に向かっている。
「まだこの女に未練があんのか。俺の氷よりもよっぽど冷酷だった男が・・・・・・優しくされて日和っちまったか?」
「黙れ。その女は俺の獲物だった。それだけだ」
呆れた表情のフェンリーに冷たく言い放つゼロ。
「そうか、そいつは悪かったな。ま、過ぎたことだ、気にすんな」
フェンリーはゼロの顔面に手のひらを近づけが、あと数センチでその命を奪えるところで唐突にフェンリーの動きが止まる。
「お前、そこまで」
フェンリーは驚愕し、後ろに下がる。冷徹無慈悲な殺し屋と恐れられていた男の顔には、確かな悲しみが浮かび上がっていたからだ。
「貴様に何が解る」
悲しみの奥底から湧き上がる殺意がフェンリーを貫く。凍らされたゼロの体がパキパキと音を立てて震えていく。
「俺は何度もあの女に殺意を向けた。だがあいつはその度俺に笑いかけてきた」
ゼロにとって笑顔とは、過去の記憶を呼び覚ます憎悪の象徴でしかない。現に今までゼロが見てきた笑顔とは、絶望した狂気か愉悦に歪んだ醜い物だけだった。ただ一人の笑顔を除いて。フェンリーはゼロの言葉を黙って聞いている。
「あいつは俺の・・・・・・!」
そこまで言ってゼロは言葉を詰まらせる。そしてもう何も意味は無いと言わんばかりに目を閉じ、一言「殺せ」と呟く。それ以上一切しゃべろうとしないゼロの代わりにフェンリーが話し出す。
「実を言うとな、俺は組織から何の指令も受けちゃいない。なんせ組織を抜けた身だからな」
やれやれと椅子に腰かけるフェンリー。もうフェンリーが何者だろうと関係ないと、目を閉じたままゼロは動かない。新しい煙草に火を付けると、ゼロに構わずフェンリーは続ける。
「お前のうわさは常々聞いてたよ。組織に居る時も抜けた後もな。血も涙もない殺人マシーン、死神、惨殺のゼロ、まあ呼び名は様々だがろくな噂は1つも無かった」
フェンリーの言葉は止まらない。興奮した様子で自慢話でもするかのように生き生きとしている。
「町で殺人鬼が出たって話を聞いて調べてみれば、屋敷に向かうお前を見つけた」
身を乗り出し、身振り手振りを交えながら話すフェンリー。サングラスの奥からはキラキラとした瞳が輝いており、その姿はまるで少年のようだ。
「そしたら実に面白いもんが見られたよ。最強とまで言われた殺し屋が、1人の女をめぐって他の殺し屋と争ってたんだもんな」
耳には入っているようだが、ゼロに反応は無い。
「そういや嬢ちゃんにも驚いたさ。まさか自分を殺そうとした男をあの細腕で担いでここまで運んで手当てまでするんだからな」
(まったくだ)
フェンリーの言葉に共感するゼロ。今となってはレイアの真意も分からない。
「そこで俺はお前を試すことにした。屋敷の周辺をうろついてたドレクにお前の情報を伝えた。そしたらお前は嬢ちゃんの事を話すどころかドレク返り討ちにしちまった」
話そうが話すまいがゼロが無事だったかは分からないが、ドレクを撃退したのは事実だ。バロードの件も含めてゼロは完全に組織を裏切ったことになる。
「俄然俺はお前に興味がわいたね。もしかしたらお前は俺が探していた人物なんじゃないかってな。嬢ちゃんを始末したって伝えた反応も期待通りだったよ」
そういうとフェンリーは自分の後ろにあった小さな戸棚の引き出しを開ける。
「殺し屋さん?」
聞き覚えのある明るい声に、ゼロは思わず目を開ける。そこにはあの少女が立っていた。黄金の髪、大きくくりくりとした目、白く透き通った肌、間違いなくあの少女だ。
「いろいろ試して悪かったな。氷はそのうち溶けるから嬢ちゃんに手当てしてもらいな。嬢ちゃんも協力ありがとな」
フェンリーはそれだけ伝えるとそそくさと小屋を出ていく。ゼロが呼び止めようと必死に声をかけるが、背中を向けたまま手を振り、フェンリーは闇の中へと消えていった。
「何故、俺に構うんだ」
濡らした布で自分の凍った体を必死に擦っている少レイアに声をかけるゼロ。レイアの白い手は冷たさで真っ赤に腫れ上がっており、今にも血が滲んできそうだ。それでもレイアは手を動かし続ける。
「初めて会ったとき、とても悲しそうな顔をしていたから」
そう告げられた殺し屋は意味が解らなかった。溶けてきた氷の隙間からレイアの熱が伝わってくる。確かにレイアはそこに居るが、レイアの心はまるで理解できない。
「悲しんでいる顔を見るのって、嫌じゃないですか」
困惑しているゼロに向かって微笑みかけるレイア。最早その笑顔に対しては殺意ではなく疑問しか浮かんでこない。どう考えても悲しんでいるのは自分ではなくレイアの方だと思ったからだ。
「お前はなぜ笑っていられるんだ。両親を亡くし、屋敷の者も皆殺しにされたんだぞ。なぜ悲しそうな顔をしないんだ。怒りは? 憎しみは? お前はなにも感じないのか」
自分でも驚くほど口が回る。理解できない物を理解するためなのか、彼の疑問は止まらない。
「だかこそ笑うんです」
ゼロの疑問に対して間髪入れずに答えるレイア。またしてもゼロの頭上にはハテナマークが浮かび上がる。
「お父様とお母様が亡くなった時、わたくしは悲しみと寂しさで泣きじゃくっていました。そうしたら爺やも町の方々もとてもつらそうな顔をされたんです」
当時の事を思い出したのか、レイアの顔には若干の曇りが見える。それでも何とかゼロの疑問に答えようと、必死に言葉を絞り出す。
「そこで無理やりにでも笑うことにしたんです。そうしたらどうなったと思いますか? 皆さんも笑顔になったんです!」
そうやって満面の笑みをゼロに向けるレイア。その顔はゼロの目から見ても明らかに無理をして作っていると分かるほど悲しみが滲んでいた。
「わたくしが悲しい顔をすれば皆さんも悲しんでしまう。悲しいのは、わたくしだけで十分だから・・・・・・」
レイアはすべて言い切ると、下を向いてしまう。ゼロは自分とは全く価値観の違う存在を前にして、ただただ呆気に取られていた。哀れとすら感じる。だがそれと同時にゼロは自分を恥じていた。
ゼロにとって他人とは敵でしかない。自分に対して敵意はあれど、その逆は決してない。だからこそゼロは他人に興味を示さず、他人が女だろうが子供だろうが、傷つこうが泣きわめこうが、一切躊躇せずに仕事をこなしてこられた。しかし、ゼロの目の前で涙を堪えているこの少女はその真逆だ。レイアは自分の事よりも他人の事を考えている。そういう考えができるのは、レイアの周りにはきっと彼女を大切に思ってくれる人がたくさんいたのだろう。そう思うとゼロはレイアの事を哀れと思う反面、羨ましくて仕方なかった。
長い夜が明けるころには、ゼロを覆っていた氷はすっかり溶けていた。一晩中冷やされていたというのにゼロの体には不思議と凍傷は見られない。それがフェンリーの氷だからかレイアの看病のおかげだからかは分からないが、ゼロの中に渦巻いていた殺意はすっかり消えていた。
「お前には礼を言う。さっさとここを去れ」
ゼロは傷の具合を確かめ、なんとか動けると分かるとレイアにすぐ離れるように指示する。バロードとドレクを撃退したことはもう組織に伝わっているだろう。そうすれば間違いなく組織はゼロを裏切り者として認識する。幾人もの殺し屋がゼロを始末するために動く。そんなゼロと一緒に居れば、レイアの命などいとも簡単に散ってしまう。
「俺はもうお前を殺すつもりは無い。だがお前は元々組織に殺しを依頼されていた。このままここに居れば間違いなく殺されるぞ」
そう言うとゼロは無くなった自らの銃を探し始めた。それを見たレイアは自分が隠れていた戸棚から古びた銃を取りだし、ゼロの前に差し出す。それを受取ろうとゼロが手を伸ばすが、レイアは銃を自分の方へ引き戻してこう言った。
「わたくしのボディーガードを引き受けていただけませんか? 報酬は・・・・・・今は払えませんが、いつか必ずお支払いします」
すでに何度もレイアの発言と行動に驚かされたゼロだったが、今回もまた見事に驚愕させられた。
「正気なのか? 俺と一緒に居ればお前は間違いなく戦いに巻き込まれる。この間の様なことが何度も起きるかもしれない。怖くは無いのか?」
思い出すのも恐ろしいレイアだが、今は1人になることの方がよっぽど怖かった。屋敷の使用人たちも、自分を生まれた時から可愛がってくれた老執事ももうこの世にはいない。傍に居てくれるなら、たとえそれが自分を殺そうとした殺し屋だとしても構わなかった。
「もちろん怖いです。今も震えが止まりません。ですが、あなたがボディーガードになってくだされば守っていただけるのでしょう?」
ゼロを見つめるレイア。ゼロはレイアから銃を受け取るとそれをあるべきところへ納め、返事をする。
「報酬は必ず頂く。それと、俺は誰かを守って戦ったことなど1度も無い。どんな結果になっても責任はとれないぞ」
「はいっ!」
元気よく声を上げるレイア。殺し屋とその元ターゲット、奇妙な二人の旅が始まった。