第5話 「刺客」
幾度となく繰り返されてきた悪夢から目が覚めるゼロ。いつもとは違う暖かな光が差し込むこの場所には当然心当たりはない。心当たりのあるぼろぼろだった体は簡単な手当てが施されており、どうやら血も止まっているようだ。バロードとの戦いの記憶を呼び覚ましながら辺りを見渡すと、自分に笑顔を向けてきたあの少女が食事の用意をしていた。
「あ、目が覚めましたか? お体はどうです?」
レイアは食事を持ってゼロの方へと歩いていく。ゼロは咄嗟に腰に手を移動させるも、お目当ての物はそこには無かった。それでも戦闘態勢だけはとりながら、歩いてくる少女にゼロは言葉を投げかける。
「ここはどこだ。なぜお前が居る?」
質素でありきたりだが、食欲をそそる香りを醸し出しているスープをゼロに差し出しながら答えるレイア。
「ここはわたくしが幼いころ住んでいた別宅です。酷い怪我でしたので運んできちゃいました」
差し出されたスープに一切興味を示さず、ゼロはもう一つの疑問を口にする。彼にとって重要なのはむしろそっちの方だ。
「バロード、あの爆弾魔はどうした?」
ゼロの言葉を受け、レイアの動きが止まる。直後、スープが皿からこぼれる程レイアの腕は震え始めた。
「あの……方はあのまま置いてきました。爆弾を取り上げて体を縛ってきましたので、そのうち町の方々が兵士に……突き出すと……思います」
恐怖を堪えているのか、強張った声で答えるレイア。これ以上スープが零れないように地面に置くと、ゼロに背を向けて座り込む。
「ならば何故俺もそうしなかった? 俺が何をしにあそこへ行ったかは分かっているだろう」
ゼロの質問に、レイアの返事は無い。レイアはゼロに背を向け続け、小刻みに震えている。あんなことがあったのだから無理はないと考えるゼロだったが、それ以外はゼロの理解を外れていた。何故隠れ家を明かすのか、何故手当てをするのか、何故食事を差し出すのか、何一つ分からない。分かっているのはレイアに敵意は無いということだが、それこそ何故だか分からない。
「バロードからお前を助けたと勘違いしているのか? それとも俺に恩を売れば殺されないとでも思っているのか? どちらにせよ愚かな考えだ」
武器は無くとも少女1人を殺すことなど容易いと、ゼロはレイアを睨みつけながら立ち上がる。そして多少の殺気を放ちながら、背を向け続けるレイアにじりじりと近づいていく。あと数センチ近づけばレイアの細首に手がかかる。だというのにレイアは全く動こうとしない。それどころかいつの間にか先ほどまでの震えも消えていた。
「お前いい加減に・・・・・・」
レイアの態度に痺れを切らしたゼロは、重たい体ででレイアの正面に回り込む。そこでゼロは度肝を抜かれた。
「この女、まさか寝ているのか?」
レイアはすやすやと吐息を立てながら瞼を閉じていた。その姿は非常にか弱く、少し手を伸ばせば簡単に命を奪えてしまいそうだ。あの惨劇を潜り抜けたとは思えないその様子に、ゼロは思わず拍子抜けしてしまう。
「ッ!」
無理やり動かしたためか、ゼロの体は再び悲鳴を上げる。仕方なくレイアの前から退散し元の寝床へと戻ると、先ほどレイアが用意したスープが目に入った。
(そういえば何も口にしていなかったな)
度々鳴る腹を鎮める為、ゼロは皿に手を伸ばす。普段なら他人の作った料理など決して口にしないが、そのスープの香りはゼロの理性を打ち砕くのには充分だった。ひと口食べて毒が無いと分かると、それは止まることなくゼロの体を満たしていく。
レイアが目を覚ますと、そこに居たはずの青年の姿は消えていた。スープの皿がきれいになっていることに少し驚きながらも、それ以上に喜びが溢れてくる。
「どこへ行かれたのでしょうか。せっかくならご一緒に食事をとりたかったのですが」
レイアは少し残念そうにゼロの平らげた皿を片付けた。
その頃ゼロはあの屋敷を探す為、林の中を歩いていた。辺りも暗くなり、どんよりとした闇が襲ってくる。できればまだ体を癒していたかったが、バロードがどうなったかを確かめるまで安心できない。もしまだあの場で生きているのなら確実に息の根を止める、その覚悟で歩を進めていく。結局銃も腰のナイフも行方は分からなかったが、靴の仕込みナイフはそのまま残っていた。装備としては心もとないが、無いよりはマシだろう。そんなことを考えながらしばらく進むと、ゼロは林の異変を察知する。
(妙だな・・・・・・)
林の中からはいつの間にか生き物の気配が消えている。人や動物の気配は勿論のこと、虫の羽音すら聞こえない。それと引き換えに林の中には鼻を曲がらせるような異臭が漂い始めた。
「よォ」
茂みの中から聞こえてくるドスの効いた女の声に振り向くゼロ。そこには毒に侵された皮膚のような濁った紫色の髪の女がガスマスクをして立っていた。女はガスマスクの下の三白眼をぎらつかせながらゼロに問いかける。
「バロードの野郎をやったのはてめェか?」
「……ドレクか」
ドレクと呼ばれたその女はゼロの返答よりも先に、禍々しい色の液体で満たされた小瓶を取り出し、その明らかな劇薬と分かる液体をゼロに向かって投げつけた。それは空中で爆発し、淀んだ液体を辺り一面に飛び散らせる。後ろに飛びのいて液体を回避するゼロだが、傷みきった体で全てを避けるのは難しく、数滴がゼロの衣服にしみ込んでいく。
「かかったなァ」
それを見たドレクがにやりと笑うと同時にゼロの体に異変が起き始める。体は痙攣し、手先に力が入らない。視界もぼやけ出し、呼吸も困難だ。
「ホントはバロードの野郎と一緒に女をぶっ殺すつもりだったけどよ、あの野郎先走りやがって」
一瞬悲しげな表情を見せるも、すぐさまゼロに向かって歩いていくドレク。その手には割れた小瓶の破片が握りしめられている。何とか地面を這いつくばりこの場を離れようとするゼロだが、ドレクはすぐそばまで迫っている。
「これが欲しいか? あァ? 女の居場所を答えたらやるよ。女をぶっ殺した後になァ」
ドレクはこれ見よがしに解毒剤のカプセルを見せつけると、ゼロの背中に馬乗りになる。そして握りしめた瓶の破片を思い切りゼロの背中に突き立てた。
「がぁ!」
「いてェだろ?体の感覚は奪っても痛みだけは消えねェように調合してあるからなァ。さっさと吐いた方が身のためだぜェ」
苦しむゼロの様子を楽しみながら、何度も何度も腕を振り下ろすドレク。真っ赤な染みがいくつも浮かび上がるゼロの背中を見ながら、満足げな笑みを浮かべている。が、その笑顔は直後苦痛な表情へと変貌した。
「ぎやァ」
「薄汚い顔を俺に向けるな」
靴に仕込んだナイフでドレクの背中を突き刺すゼロ。真っ赤な血が噴き出し、のたうち回るドレク。ゼロは解毒剤の入ったカプセルを奪い取ると、拳をドレクの顔面に振り下ろす。鈍い音がしてドレクの叫びは止まった。
解毒剤を飲んだことで体は動くようになったが、ドレクとの戦いで血を失いすぎたゼロの意識は朦朧とし、視界は相変わらずぼやけている。気が付くとゼロは先ほどまでいた小屋まで戻って来ていた。小屋には明りが灯っており、おいしそうな匂いもする。一瞬扉を開けるのをためらうゼロだが、その香りに吸い込まれるように小屋の中へと入っていく。だがそこで待っていたのはあの少女では無かった。
「待ってたぜ、ゼロ」
目の前に居たのは身長2メートル近い長身の男だった。ハリネズミのような水色のツンツンとした長髪がその男を更に大きく見せる。たいして寒くないというのに手袋と厚手のコートを着込んでおり、かけたサングラスの奥からは鋭い眼光が光っている。
「貴様、組織の人間か」
一番重要な質問を投げかけるゼロ。男は蓄えたあごひげを撫で、煙草をふかしながら答える。
「F。氷殺のフェンリーってモンだ」
それを聞いたゼロは、ナイフの仕込まれた靴でフェンリーに回し蹴りを仕掛ける。普段なら岩をも砕く威力だが、今のゼロの体ではとてもそんな威力は無い。案の定フェンリーは片手でそれをいとも容易く受け止める。
「落ち着け、て言っても無理ないか。組織の命令に背いたんだもんな」
フェンリーはずり落ちたサングラスを上げ、ゼロの足から手を離す。それでも敵意を抑えないゼロの様子を見ると片方の手袋を外す。すると現れた生身の手のひらからは冷気が上がり始めた。
「俺には生まれつき特殊な力があるんだ」
そういうとフェンリーは小屋の柱を掴む。すると瞬く間に柱は凍り付き、フェンリーの手のひら同様に冷気が上り始める。柱から手を離したフェンリーは再び手袋をはめ直し、驚愕の表情をわずかに表すゼロに話しかける。
「分かったらおとなしくしろや。お前もこうなりたくなけりゃな」
凍り付いた柱を見つめるゼロ。原理はまるで分らないが、目の前で起きている以上受け入れるしかない。そして今の状況で目の前の大男と戦えば間違いなく自分もああなると確信したゼロは敵意を抑え、倒れこむようにしてその場に座った。
「まあ食えや」
ゼロの様子に安心すると、フェンリー食事の入った皿を差し出す。それはレイアのスープと同様にいい匂いがしており、ゼロの食欲をそそる。だがおそらくそれを作ったであろう少女の姿は影も形も見当たらない。
「ここに居た女は俺が始末して埋めた」
フェンリーの言葉に、ゼロは受け取りかけた皿を地面に落とす。
「どうした? 何か問題でもあるか?」
明らかに動揺しているゼロに止めを刺すかのように、フェンリーはポケットから金色の髪を取りだす。フェンリーがレイアから切り取ったのだろう。
「さあこれでお前を縛るものは無くなったわけだ。組織に戻ってこい、エクシルには俺が話をつけてやる。まあバロードをやっちまったから多少のペナルティは覚悟する必要はあるが、始末されはしないだろうよ」
レイアの髪を地面へ落とし、立ち上がるフェンリー。ゼロは黙ってフォークに手を伸ばす。それが食事をとるためのものでは無いことは一目瞭然なほど、ゼロからは再び殺気が放たれていた。
「それとも」
フェンリーはゼロの殺意に応戦するかのように両手の手袋を外す。素手からはすぐさま冷気が上がり、小屋の温度を急激に下げていく。
「無駄な抵抗で無意味な死でも遂げてみるか?」