【9:もしかして教科書忘れたの? あ、うん。】
昼休みが終わり、もうすぐ午後一番の授業が始まる。さっき資料を職員室に取りに行った国語だ。
一匠は教科書を出そうと、鞄の中を探る。しかしなぜか国語の教科書が見当たらない。
ふと頭の中に、自分の部屋の机の上に国語の教科書が載っている、昨日の夜の映像が浮かぶ。
(あ……鞄に入れ忘れたかも……)
顔を上げて、ふぅーっとひと息吐く。
(しまったな……)
一匠は腕組みをして机の上を見つめたまま、もう一度ふぅーっとため息をついた。
「白井君」
右側から瑠衣華の声が聞こえた。瑠衣華の方から声をかけてくるなんて珍しいと思いながら、一匠は彼女の方を向く。
瑠衣華は指先に消しゴムをつまんで、目の前に出している。その手首には、昨日同様赤いシュシュがはめられている。
「え……?」
「落ちてた」
あ、俺の消しゴムだ、と一匠は気づく。さっき教科書を探してバタバタした時に、机の上から落ちたのだろう。
瑠衣華から消しゴムを受け取り、『ありがとう』と言おうとしたら、先に瑠衣華が口を開いた。
「もしかして教科書忘れたの?」
「えっ……? あ、うん」
瑠衣華は眉間にシワを寄せて、冷ややかな目をしている。こういう時の瑠衣華はいつも憎まれ口を叩いて来る。
今回もきっと、バカだねとか言われるのだろうと一匠は覚悟する。
「ふぅーん……バカだね。相変わらず」
──あ、予想通りだ。
しかも相変わらず、まで付いてきた。相変わらずなんて言われるほど、そんなに何度も忘れ物はしていないと思うが。
そんなことは反論しても仕方がないので、一匠はグッと口をつぐんだ。
「かっ、かっ、かっ……」
いきなり瑠衣華が、訳のわからない声を出した。
「なんだ? 笑ってるのか? 水戸黄門のモノマネか?」
「な、なに言ってんの? ちがっ、ちがっ、違うって」
「じゃあ、なんなんだよ?」
「かっ、かっ、かっ……」
また始まった。いったいなんなのかと一匠は不審に思う。
(ああそうか。『カッコわる!』って言いたいんだな……)
わざわざ瑠衣華がそんなことを言いたいんだとすると、よっぽど自分は嫌われているのか? やはり中学の時は知らないうちに瑠衣華を傷つけて、別れを切り出されたのだろうか……
一匠がそんなことを考えていたら、左側から理緒が話しかけてきた。
「白井くん、教科書を忘れたのですか? 私のを一緒に見ませんか?」
理緒はニコリと笑顔で、おいでおいでと手招きをしている。どうやら机を自分に寄せて、くっつけろということらしい。
(なんと。地獄に現れた天使様だ)
一匠はそう思って自分の机を持ち上げる。すると右隣でガタンと音がした。振り向くと、なぜか瑠衣華が中腰になって、両手を広げて机の両端を握っている。
「ん……?」
一匠が訝しげな声を出すと、瑠衣華はプイッと横を向いた。そして何事もなかったように椅子に腰掛けた。
(なんだ?)
一匠は何が起きたのかわからない。しかし相変わらず理緒が笑顔でおいでおいでをしているので、そちらに机を寄せた。
「ありがとう青島さん」
「いいえ、どういたしまして。白井くんにはさっき助けてもらいましたからね。お返しです」
理緒は目を細めてそう言いながら、くっつけた机の間に教科書を開いて置いた。
(ん~……間近で見ると、青島さんってやっぱり美人だなぁ)
そんな一匠の耳には、後ろで瑠衣華がブツブツと呟く声など届いていない。
「んもう、私ったら。なんで『貸してあげる』の一言がちゃんと出ないのよ。一緒に教科書を見るために机を持ち上げるところまでしたのに。あっ! 『見せてあげる』って言えばよかったんだ。私ってバカ……」
瑠衣華は、仲良さげな理緒と一匠の姿を羨ましそうに眺めながら、リスみたいにほっぺをぷっくりと膨らませている。
(あっ……そう言えば、さっき赤坂さんが消しゴムを拾ってくれたのに、お礼を言えなかったな)
一匠はふと思い出して瑠衣華の方を向いた。なぜか彼女は頬を膨らませている。やっぱり消しゴムのお礼を言わなかったことを怒っているに違いない。
──そう思った一匠は笑顔を浮かべる。
「あ、赤坂さん。ありがとう」
「えっ……?」
一匠のお礼の言葉を聞いた瑠衣華は、ちょっと驚いた顔をした。一匠はそれだけ言ってまた理緒の方に向く。
「教科書を見せようとしたことを、ちゃんと気づいたんだ。いっしょー君って、案外ちゃんと私を見てる……」
一匠の背中の方には、にへらと笑いを浮かべて、ぶつぶつと呟く瑠衣華の姿があった。
だがもちろんその声は、一匠の耳にはまったく届いていないのであった。
こんな短編投稿しました。
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