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4月12日 その甘えたがりのわがままさんは

―――――――――――――――――――――

4月12日 


〇昼休みに穂村とゆうが何やらコソコソとやり取りをしていたが、私にはあまり良いことではなさそうなので知らぬふりを決め込んだ。


〇おじいさんに例の耳かきのことを訊いたが、どうやら貰い物をすぐに出したものだったらしい。道理で帳簿に載っていなかったはずだ。


〇ゆうにせがまれて耳掃除をしてあげたが、途中でウトウトとしていた。よくわからないが、ゆうにとっては“超高級”らしい。

―――――――――――――――――――――


 勘定場に座って本を読んでいると、店内の掃除をしていた彼女が感嘆の声をあげた。

 開いた本に目を落としたまま、「どうした?」と声をかけた。


「こんな耳かき、昨日までありませんでしたよね」


 彼女の言ったことが頭の中をぐるぐると回って、それに反応できたのは数秒後だった。

 顔を上げて彼女の方を見る。目をぱちくりとさせて、彼女が人差し指を壁際のショーケースに向けた。


「何、耳かき?そもそも耳かき自体商品としておいてなかったでしょう」


 嫌な予感がして、私はすぐに彼女のそばに歩み寄った。

 そこには確かに、普通とは違う耳かきが鎮座していた。重厚感あふれる漆塗りの黒い箱を添えて。

 私と彼女は揃ってその耳かきをまじまじと観察した。


「超高級竹製耳かき、だそうです」

「お値段たったの六千円也」


 おじいさんめ、またこんなものを。いつの間に仕入れてきたのか。

 ショーケースに映った彼女と視線が交差した。


「すごいですね、普通のとどう違うんでしょうか」

「さあねえ。まったくもう……これ売れるのかな」


 なんていう懸念を口にしてみたものの、おじいさんのことだから利益なんて度外視しているのだろう。つまり、ただのおじいさんのコレクションというわけだ。

 そんなことを考えていると、彼女が目の前の耳かきをじっと見つめて何やら物思いにふけっていた。


「ゆう、どうかした?」


 彼女はどこか悩まし気な顔をして私に体を向けた。

 左手で右肘を支え、手を頬にあてた格好をして口を開いた。


「私、思ったんです。お姉ちゃんに耳掃除してもらったら、もはやそれだけで超高級なのでは、と」


 真剣な雰囲気で何を言うかと思えば。

 しかし、彼女のこれは冗談ではなく、間違いなく本気で言っているのだから困りものだ。


「やらないからね」


 素っ気なく言って背中を向ける。

 すると、彼女は慌てた様子で背中に張り付いてきた。お腹に腕を回して、がっしりと。


「えー、先に答えないでくださいよ。いいじゃないですか、耳掃除くらい」

「くらいってあなたねえ、子どもじゃないんだから」

「だって学校ではお姉ちゃんとなかなか一緒にいられなくて、私ものすごーく辛いのをものすごーく我慢してるんですよ。子どもにだってなりますよー甘え足りないんですよー」

「何なのその理屈は。学年が違うんだから当たり前でしょう。ものすごーくわがまま」

「その当たり前が辛いんじゃないですかー、お姉ちゃんのわからずや!」


 学校が始まって一週間、ふたりきりになると「お姉ちゃん成分が不足してます」と言ってはこの調子だ。

 正直学校が始まる前とあまり変わらない気もするが、ほんの少しだけわがままが強くなった気がする。あくまで“気がする”だけだが。


 彼女を腰に巻いたまま、ずるずると引きずって勘定場に戻る。

 彼女は否が応でも離れないつもりらしい。そう、私が承諾するまでは。

 しかし私もそんなに甘くはない。今日という今日は鬼の心で彼女に挑もうではないか。

 心の中で拳を強く握り、気を引き締めた。

 


「えへへ、お姉ちゃんの太ももあったかいやわらかいいい匂いー」


 ベッドに腰かけた私の太ももの上で、幸福に満ち満ちた表情をして彼女が言った。彼女の手には、耳かきが持たれている。

 彼女の頭を撫でながら考える。今日は負けないはずではなかったか、と。

 お客さんが来店しても平気で腰に引っ付いたままの彼女に、私はつい決心を折り曲げてしまったのだった。

 その結果がこれだ。

 普段の彼女はもっと分別のあったはずだが、一体どうしたことやら。


「ゆう、学校で何かあった?」


 太ももに頬ずりをする彼女の顔を上から覗き込んで訊くと、うつ伏せになって顔を隠してしまった。

 しかし、彼女はくぐもった声で、


「私にとって、お姉ちゃんは特別な存在なんです」


 と話し始めた。


「でもお姉ちゃんってばたくさんの人から注目されてるんですよ。学校でお姉ちゃんの話題を耳にしたとき、嬉しさとか誇らしさよりも先に、なんだかちょっとだけお姉ちゃんとの距離を感じて落ち込んでしまうんです。もしかしたらお姉ちゃんは私だけの特別な人じゃないのかもしれないって」


 私はできるだけ優しく、彼女の頭を撫でてやった。


「やっぱり子どもだね」


 彼女は上を向いて、「はい」と笑顔をこぼした。

 

 心地よさそうに目を瞑る彼女を見つめて、

 私にとっても、ゆうは開いた心で接することのできる数少ないうちの特別な一人なんだよ

 と、声には出さずに語り掛けた。


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