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5月22日 体操着から感じる愛とは

―――――――――――――――――――――

5月22日


〇珍しいこともあるもので、基本しっかり者のゆうが体操着を忘れたと教室まで私のを借りにきた。

 家に帰るまでずっとゆうが持っていたのだが、洗濯機に入れる際、名残惜しそうに両手を合わせて拝んでいた。


 まさかとは思うが、わざと忘れたわけではあるまいか……あえて訊かないでおく。

―――――――――――――――――――――


 休み時間になり、穂村が通路に足を放り出し、椅子に横向きに座って壁に背中を預けた。だらりとして、私の机に右腕を引っかけた。


「あと一時間でようやく昼休みだってのに、昼休みまであと一時間もある。これってどうよ、まったくひどい仕打ちだよ」


 などと訳のわからないことを言って、退屈そうにあくびをした。

 何も反応せずに黙っていると、穂村は「ねむい」とこぼして私の顔を横目でなじるように見てきた。

 

「まったく反応しないのってさ、友人としてどうよ。適当な相槌すらないってのは」


 穂村の目を見返して、机に乗せられた腕を指ではじく。


「愛だよ、愛」

「えらく歪んだ愛もあったもんだなあ」


 半笑いでそう言って、崩れるように私の机に突っ伏してきた。

 どこか演技臭い遠い目をして、穂村が頬杖をついた。


「私も誰かにありったけの愛を捧げようか」

「私の穂村への愛はほんのひとつまみだけどね」


 私の言葉に、穂村が首をまわして視線を寄越した。眉を下げて、不満げな表情をしている。


「あんたのせいで、私の心は氷河期だよ」


 ため息をついて、失望したと言わんばかりの顔をした。しかしすぐに、廊下側に顔を向ける穂村がハッとして何かに気が付いた様子をみせた。


 私の手の甲を指先でつついて、「優菜、お客さん」と廊下を指さした。

 穂村が指し示す先を見遣る。

 教室の入り口から数歩下がったところに、私をまっすぐに見据えたゆうの姿があった。

 私と目が合った途端に、にこりと微笑んだ。


「あら、どうかしたのかな」

「忘れ物とかだろ、ゆうちゃんったらお茶目さん。私の心を解凍しておくれ」


 穂村が素早く立ち上がり、私を置いて愉快そうに走っていった。

 そんな穂村に呆れつつ、私もゆうの元に向かった。



「どうして穂村さんまで出てきたんですか」

「優菜のせいで心が凍えたんだよ。だから」


 にんまりとして言う穂村の返答に、ゆうが顔をしかめて私を見上げた。そんな顔をされたって、私にもさっぱり意味が分からない。


「それで、何の用なの?」


 ゆうに訊くと、「そうでした!」と言って両手を組み合わせ、瞳を潤ませた。


「実は体操着を忘れてしまったんです。水曜日はお姉ちゃんも体育ありましたよね」


 穂村がコクコクと首を縦に振って、得意げな顔つきをして私を見る。推測が当たったことが嬉しいのか知らないが、心底どうでもいい。

 穂村のことは放っておいて、ゆうとのやり取りを続ける。


「あったけど、ゆうには大きすぎるんじゃない?」

「うう……そうですけど、ないよりはましかなと」

「そう、少し汗かいたかもしれないけどいい?」


 すると、ゆうが力強く拳を握り締め、ガッツポーズをして頷いた。

 

「むしろありがたいです!お姉ちゃんの汗!」

「ちょっ、大きい声でなんてことを」


 慌ててゆうの口をおさえるが、ゆうの澄んでよく通る綺麗な声は、すでに周囲にばら撒かれてしまった。集まる好奇の視線。


 なんてことだ……まあ、ゆうの言動自体にらもはや慣れているから割とどうでもいいのだが。とは言え、さすがに刺さる視線には居た堪れない。

 かたわらに立つ穂村は穂村で、訳知り顔で腕組みをして首を縦に振っている。

 私は「少し待ってて」と言い置いて、体操着をとりに教室に戻った。


 手提げ袋に入れた体操着を手に、再び廊下に出ると、ふたりが楽し気に会話をしていた。

 このふたりはなんだかんだ言って、思考がかなり似通ったところがあるから仲が良い。

 まあ、その思考の方向性にクセがあるところは考え物だが。


「だからね、優菜の私への愛は全体の何パーセントなのかと」


 ふたりのそばに寄ると、ゆうが私の制服の袖を指先でつまんだ。


「このお姉ちゃんの輝きを考えてください、お姉ちゃんの愛は宇宙すらはるかに超越してるに決まってますよ。そのうちのひとつまみが穂村さんで、あとは全部私のものですから。つまり量子力学的な数字なんですよ。本当はそれすらも渡したくはありませんが、仕方がないのでそれくらいは穂村さんに譲ってあげますよ」


 挑発的に、ゆうが目を妖しく光らせる。

 そんなことを勝手に言われても、私にそんなスケールの大きな愛はないぞ、ゆうさんや。


「なんだと、優菜には失望した!だったら私は ゆうちゃんから愛をもらう!」

「イヤです、私はお姉ちゃんにすべてを捧げているので」


 ゆうが私を見上げて、「ね、お姉ちゃん」と訊いてくる。傍らで、穂村が顔を覆って泣き真似をする。

 ほんと仲良しだなあ、などと思って、頬が緩みそうになるのをこらえた。

 

「はいはい。ほら、体操着持ってきたよ」


 流しつつ、ゆうに手提げ袋を手渡すと、ゆうは満面の笑みでそれを抱きしめた。


「ありがとうございます!えへへ、体操着からお姉ちゃんの愛を感じます、一生大切にします」

「馬鹿なこと言ってないで早く行きなさい。授業に遅れるよ」


 はあい、と返事をして、ゆうが手を振って走り去っていった。

 弾む小さな背中を見送っていると、穂村が満足そうな表情で、


「すっかり心が温まったよ」


 とこぼした。


「それはようござんした」

「ええ、ええ。しかしあれだな、さっきの反応からして、優菜が着た後の体操着に身を包まれて、彼女はいったい何を思うのだろうか」


 教室に入りながら、神妙な顔つきで穂村が言う。


「ゆうちゃんの将来が色んな意味で心配だよ、私は」

「うん……それは言わないで」




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