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婚約破棄を叫ばれた

作者: 暁

 



「ここにいたのか、私の華」


振り向けば甘やかな眼差しで見つめられていた。

優雅に伸ばされた腕が私の腰をさっと攫う。

言葉を返す間もなく、足早に歩みが進められていく。


その先には、眩いホールの中央。


ふと接近に気づいて振り向く、艶やかな彼女。

私と、私の隣にいるひとの姿にほんの少し表情が曇る。


「メルディアナ! お前に婚約破棄を言い渡す!」


音楽と話し声のにぎわいが、ホールから消え失せた。


「……まあ」


彼女はぱらりと扇で口元を隠す。


身分の高い貴族女性に必需品の扇は、全ての生徒が平等の身分となるこの学園では持つことが許されない。

しかし卒業式典後に行われるパーティーは、王家も認めている正式な場。

卒業をもって学生を終え、明日から正式な貴族の一員となる者の最初の晴れ舞台。

格式と伝統に倣い、意識して礼節を持たねばならないために許される。

今現在、卒業生の保護者や来賓の方々に見定められているのだ。


だから彼女はすぐに表情を隠した。


この国では、貴族令嬢が表情を変えるところを隠す文化がある。

表情を扇で覆うと余裕を思わせて美しいが、あからさまな変化は明け透けではしたないと言われている。

昔の貴族の他愛ない仕草から生まれたマナーのひとつだ。

もちろん今は私も手にしていて、先ほど声をかけられた時からしっかりと口元を覆っている。


「ガルハンド様……わたくし耳は悪くありませんの」

「そんなこと知っている! ならば俺が言いたいことは分かっているだろう!」


彼女は声が大きいと言いたいのだろうが、隣の男はまたも怒鳴った。

扇で表情を遮る彼女の姿は、周囲には冷静な姿に見えるだろう。

だが私は知っている、彼女にあるのは呆れと怒り。

心の中は冷静を通り越して氷点下。


彼女は怒ると冷静になるタイプであり、根は激情型で沸点が低い。

というのも、このパーティーは伝統があるばかりでない。

卒業生たちにとっては長らく過ごした学園での、名残惜しい最後の時間でもある。

婚約破棄なんて個人的なことなど2人のときに話しあえばいい。

関係のない他人に見せつけるように、あてつけるように、無神経な大声で叩きつけられて、台無しにされたのだ。


彼女はそのことにこそ、怒っている。


冷ややかな怒りにはまったく気づかず、隣の男は得意満面に大声を上げ続ける。

やれ高慢ちきで我侭がすぎるだの、やれ女性として優しさが足りず浪費がちだの、やれ人の心が分からず自分勝手だの。

出るわ出るわ……どこまで出るのかと思ってしまう。


欲目はなくても彼女は貴族女性としてとても優秀である。

上級生にも可愛がられていたし、下級生からも慕われ、同級生とも仲が良い。

模範的な生徒であり続けた彼女の努力を褒め称えるべきであり、変な言いがかりをつけるなどありえない。


きっとほとんどの生徒が、2人が学園で一緒に過ごす姿を見たことがないはずだ。

男の言うことは、彼女に嫉妬して貶めようとした者の戯言に似ている。


彼女も最初は男にやり返す気満々で清聴していたようだが、少し聞いていただけで男が阿呆だと気づき、すでに白けた目をしている。

そろそろ良いだろうか。


「私は愛する華を見つけたのだ! お前のような女とは違う素晴らしい――」

「……あの、ところで、貴方はどなたですの」


私の言葉に時が凍った気がした。


「貴方が伯爵家の方であると存じておりますが、わたくしは今まで一度もお話したことがございません。貴方とはクラスも委員会さえも一度も重ならず、お会いする機会も理由もありません。ですので、何故わたくしがこの場にいるのか理解できておりません。貴方は、わたくしとは一体どういう関係なのでしょう」


極限まで目を見開いて、まんまるな目で私を見下ろす男。

名前は聞いたことはあるが、先ほど彼女が名前を呼ぶまで誰か分からなかった。


「な、何を……私の華? 愛しいひと、可愛い冗談を」

「わたくし今まで貴方に愛を囁かれたことなどございませんが」


冷ややかに告げると、男の動きが止まる。


「ええ、もちろん。彼女に愛を囁くのは私の特権ですから」


ホールが凍るさなか、軽やかな声と足音が響く。

そっとそちらに視線を向けると、にこやかな笑みを浮かべた青年が歩いてくる。

にこやかではあるが、隣にいる男を見る目はやはり氷点下以下だ。


青年の後ろからはかつかつ……いや、がつがつと抉るような足音が響く。

青年の後ろから現れたのは、私と鏡合わせにしたような女生徒だ。


静けさが驚きのざわめきに包まれる。


とはいえ、鏡合わせのようであるのは顔立ちのみで、髪型も服装もまるで違う。

私はすーんと澄ました表情で豪華なドレスを身にまとい、彼女は怒りに燃えたぎる表情で学生服を着ている。

それだけでも別々の人間だと分かるもの。


「なんてひとなの! 恋人である私と人違いするなんて!」

「え、いや、え」

「最低ねっ!」


戸惑う男がおろおろと私と彼女を見比べる。


「私の婚約者を返していただこう」

「リベロ」

「おかえりミルティ」


男の腕が緩んだ隙に、私の本物の婚約者が優雅にさっと腰を攫う。

言葉を返す間もない動きに、ようやく慣れた腕へと戻れた私は安堵する。

男に詰め寄る彼女の姿に溜息をついた。


「どうしてこの方を選んだの」

「名前を呼んでくれたのよ! だけどそういえば私たち髪型が違ってたのよね! いつものことだからすっかり失念していたのよ! 信じられない! もっと言えば婚約者がいたなんて知らなかったわ!」


はしたなく地団駄を踏むのは、私のひとつ下の従妹である。


私たちの一族は、不思議と女系だけがわりと似た顔立ちになってしまう。

離れた血筋でも母娘や姉妹に間違われるほど、何故だか女性たちが似てしまうのだ。

もちろん顔が似ている者ばかりではなく、背格好や後ろ姿が似ていたり、雰囲気や性格が似ていたりすることも多い。

それでも身内以外からは結構な確率で間違われる。

ちなみに男系でそれほどまで似ている者はほとんどいない。

ある親戚が嫁いだ先は男系が悪人顔になってしまう家だったらしいが。


とにかく一族の家訓に、間違わずに名を呼ぶものを友と伴侶にしろ、というものができるぐらいである。


彼女の言い分には、なるほどと頷いてしまった。

地味なおさげ姿で過ごしていた私と違って、彼女は華やかな髪型で過ごしている。

しかし、地味な私とほとんど会うこともなかった男は、似ている人間がいるだなんて思わなかったのだろう。


ちらりと傍観に徹していたメルディアナに視線を向けてみる。

ご愁傷様、と言わんばかりに、彼女は扇を優雅にぱちんと閉じた。


私と彼女――メルディアナが友人だということを知るひとは少ない。

メルディアナは立場と高い身分で友人が少なく、遠巻きにされることが多かった。

私は目立つことを嫌い、地味で目立たないよう普段から控えるようにして、人付きあいを避けてきた。

しかし共通の趣味を持っていた私たちは偶然出会い、人知れず友人付きあいをするようになったのだ。


ちなみにメルディアナも従妹のことを知っていて、私たちの名を間違えずに呼べるひとり。

私にとっても従妹にとっても、メルディアナは本物の友人であるのだ。


そして従妹は男の最低さに怒りながら、友人の婚約者を恋人としていたと気づかなかった自分にも憤慨している。

メルディアナも男のことをあまり良く思っていなかったのか、私も一度か二度くらいしか名前を聞いたことがなかったので、仕方ないのかもしれない。


しかし私の華とか言いつつ、男は従妹の学年すら知らなかったのだろうか。

パーティーの参加者は卒業生と、その近親者のみであると知っているはずなのに。

内心で溜息をつく私の隣でリベロが肩をすくめる。


「見分けがつかないなんて呆れたね。こんなにも違うのに」

「そうかしら」

「私にとってミルティが唯一の宝石だよ」


……華にあてつけて宝石ということだろうか。

彼に愛を囁かれたことは数えきれないが、宝石に例えられたことはないので素直に嬉しい。


バチーンとひどい音がして、慌ててそちらをみると、従妹が男の頬を見事に引っぱたいていた。


ううん、やってしまったか。

しかしメルディアナはよくやってくれたと言いたげに扇を開いている。

そして私の方には、後始末はこちらですると視線を向けてきた。


従妹は引っぱたいた勢いのまま身を翻し、ガツガツ抉る音を響かせながらホールを出て行く。

従妹に便乗したリベロに誘導されて、私も歩みを進めてホールの外へと出た。

あの男とは違って、ゆったりと私を気遣う歩き方のまま迎えの馬車に乗る。

私はこのまま故郷である隣国へ帰る予定になっている。

本当はメルディアナともっと色々な話をしてから、お暇する予定だったのに。


「ミルティ、安心して。予定を一日ずらすよう言ってあるから、メルディアナ嬢と明日話せる」


驚いてリベロを見ると、全て準備はできているから、と笑う。


「嬉しいけれど大丈夫? 結婚式、延期に」

「それはない。卒業をずっと待っていたんだ、馬車みたいに遅らせない」


きっぱりと言いきった婚約者に笑ってしまった。


私は隣国に戻ってすぐに彼と結婚する上、城仕えの文官として就職も決まっているので、おいそれとメルディアナに会いに来られなくなってしまう。

だからこんな終わり方になってしまって、少し落胆していたのだけれど。

そうか、馬車が遅れていたのか。

近親者として出席する彼をメルディアナに紹介するつもりでいたので、一向に姿が見えないから首を傾げていたのだ。

彼も馬車の到着が遅れて焦っただろうに、会場をこっそりと覗いて恋人だと思っていた男を見ようとした従妹と鉢合わせたのだろう。

そしてすぐに事情を把握して、対処してくれたのだ。


散々なパーティーになってしまった。

それでも、メルディアナと明日また話せることが嬉しい。


「ありがとう、リベロ」

「どういたしまして。ミルティ、卒業おめでとう」



  

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