四話
闇の中。
蝋燭の灯り。
暗い部屋。
「心の支えとなっていた少女による裏切り……」
男は独り言のように、呟く。
コツコツと筆記する音がする。
男は、不動の話の要点を記録しているようだった。
男が、こちらに意識を向ける。
闇の中にあって、その動作を不動の鋭い感覚は感じ取った。
「その時、あなたはどのように感じましたか? 復讐してやりたいとか」
「復讐……」
不動は言葉を反芻する。
彼はすぐに答えられなかった。
思えば、こうして記憶を辿り、ここで語るまで忘れかけていた過去だ。
まるで、自分を見詰め直すような気分だった。
そうした結果、不動は自分の気持ちに小さな驚きを覚えた。
「彼女を恨んだ事は、多分ないんだ。彼女の気持ちは理解できたから……。僕だって、辛かったから……。僕を殺してでも不安を消したいと思ったのだとしたら、僕は彼女を恨めない」
「そうですか……」
男は興味深そうに返した。
「あなたは、共感性が強いようです。一般的に、女性の方が共感性は強いという傾向にあるのですが。ご自分が女性的である、と実感なさった事は?」
「わからない」
「そうですか」
会話が途切れる。
「つまり、裏切られた事が原因で、今の考えに至ったわけではない。という事ですね?」
「そうだな……」
思い返してみても、紫を恨む気持ちは沸いてこない。
もしかしたら、それが彼女の能力だったのかもしれない。
そんな事に思い至る程度だ。
「では、よろしければ続きを」
不動は頷いた。
目の前には女性がいた。
左目に眼帯を着けた女性だ。
彼女は椅子に座り、ベッドに寝転がった僕を見下ろしていた。
その表情は笑顔で、僕は少し安心した。
ただ……。
その女性は男物のシャツを着ているのだが、ボタンがしっかりと留まっていない。
胸元がはだけていて、ささやかとは言い難いサイズの乳房の丸みがわずかに露出している。
僕はいたたまれない気分になって、視線をずらした。
その時に体を動かし……。
「うぐっ……」
全身を駆け巡る痛みに呻きをあげた。
そんな様子を見て、女性は「はっはっは」と笑った。
「やっぱり男の子なんだね。見た目からじゃわかりにくいけど」
そんな事を言われると、余計にいたたまれなくなる。
「でも、もう少しゆっくり休みな。運が良かったとはいえ、斬られた上に高い所から落ちたんだ。あんたの体はボロボロだよ」
「あんな所……」
そう呟き、僕は思い出した。
紫と幸樹から、殺されそうになった事を……。
幸樹の攻撃を受けて、致命傷を避ける事はできたけれど、僕はそのまま崖下へ足を滑らせた。
そして鳴り続ける首輪の警告音を聞きながら、落ちていき……。
「あっ」
僕は思わず、首へ手をやった。
首輪……。
爆発する……。
体を動かした痛みで、また呻いてしまう。
「首輪なら大丈夫。本当に運がよかったよ、あんた」
僕の様子から何を心配しているのか察したのだろう。
女性が答えた。
「首輪の警告音が聞こえたから、私達はあんたに気付けた。そして、幸いにも私の隊には首輪の解除法を知っている魔法使いがいた」
「首輪を、取ってくれた?」
彼女は頷いた。
「ありがとう……」
彼女が誰かはわからない。
でも、命を助けられた事は確かだった。
自分の首に触れる。
何の窮屈もなく、直に首へ触れるのは久しぶりだ。
肌が被れていて、痒みがある。
そこに外気が触れて、スースーする。
その感覚が嬉しかった。
開放感がある。
しかし、一つ疑問が沸く。
「言葉がわかるんですか?」
首輪には言葉の翻訳をする役割もあった。
それがない今、この世界の人間であろう彼女と会話できる事が不思議だった。
「召喚者の知り合いがいてね。覚えたんだよ。上手いもんだろ?」
大人びた雰囲気の彼女だったが、自慢げに「上手いもんだろ」と言った彼女の声色は弾んでいて、まるで無邪気な少女のようだった。
彼女に対する印象が少しだけ変わる。
「私の名は、マーサ。傭兵団『隻狼』の長を務めている者だよ」
「傭兵団?」
「そ、今はヴォネに雇われている」
僕は自分の表情が強張るのを自覚した。
ヴォネは、僕達が今まで戦っていた国の名前なのだから……。
「安心しな。何もしないから」
そんな僕の様子に気付いたのか、彼女は告げた。
相手を安心させるような柔らかな口調だ。
「あんたが戦奴なのは首輪を見てわかってる。好きで戦ってるわけじゃないのも、その様子を見てればわかるからね」
彼女は小さく笑う。
「でも、本当にあんたは運がよかったよ。見つけたのが私達で」
「どういう意味、ですか?」
「私達は傭兵団。ただの雇われで、ヴォネに何の愛着もない。あんたを見つけたのが国の兵士だったら、あんたの性根がどうであっても殺されていただろうからね」
それを聞いて、僕は彼女に対する感謝の念を強くした。
「で、そろそろそっちの名前も聞いておきたいんだけどね?」
そういえば、僕は自分の名を告げていなかった。
「僕の名前は不動――」
僕は名乗った。
「そう。ま、怪我が治るまでは面倒見てやるよ。それから先は……その時に話をしよう」
そう言うと、マーサは椅子から立ち上がった。
背を向けて、テントから出て行こうとする。
「……ありがとう、ございます」
その背に、僕は礼を言う。
「いいよ。私も昔……助けてもらったからね」
僕の体は崖から落下し、けれど木々に受け止められながら地面へ打ちつけられたようだ。
その光景を見た人はいないけれど、マーサが言うにはそうだという話だ。
そうでなければ、あの高さから落ちて助かるわけはない、と。
ただ、無事とは言いがたい状態だ。
目立った骨折こそないが、全身にまんべんなくダメージが残っているようだ。
幸樹に斬られた傷もある。
身じろぎをする度に、体のどこかへ痛みが走る事からもダメージの大きさは実感できる。
その怪我が癒える間、僕はマーサを始めとした傭兵団の面々から世話をしてもらった。
マーサは毎日様子を見に来てくれたが、彼女の忙しい時は別の誰かが面倒を見に来てくれた。
傭兵団の人達はその多くが屈強な男の人だったけれど、一人だけ僕と同じ歳くらいの女の子がいた。
「そろそろ行かなきゃならないね」
世話をしにきてくれていたマーサが言う。
「あ、はい。ありがとうございました」
「気にしなくていいさ。それより、今の内におしっこさせてあげようか」
「あの、自分でします……」
確かに今は排泄すら難しくて、誰かに手伝ってもらわなければならない。
というより、いつもマーサに手伝ってもらっている。
のだが、どうにもそればかりは慣れない。
恥ずかしい。
そして最近では痛みこそあるがまったく動けないほどでもなくて、多少痛みを我慢すればそれくらいはできるだろうと思った。
できればそうしたい。
「遠慮しなさんな。無理すると治りが遅くなるよ」
「……だったらせめて、男の人の方が……」
「野郎連中からそれだけは嫌だって言われたんだ。だから、私がやるんだよ」
そうだったのか。
「まぁ……是非させてほしいって野郎もいるんだけどね……。ちょっと危険な気がするから断ってる」
それが誰かはわからないけれど……。
ありがとうございます。
マーサさん……。
その時だった。
誰かがテントの中へ入ってきた。
「姐さん。交代しに着ました」
入ってきたのは見た事のない女の子だった。
赤いショートヘアが特徴的な少女だ。
皮の鎧を着ている所から見て、この子も傭兵なのだろう。
彼女の話す言葉はこの世界の言葉だった。
けれど僕は看病の合間にマーサさんからこの世界の言葉を学んでいたので、少しではあるが彼女の言葉が理解できた。
「ジェシカ。いいのかい?」
マーサはテントへ入ってきた少女の名を呼び、続けてそう訊ねた。
「だって、野郎連中に任せられないって言ってたじゃないっすか。でも、見て納得しましたよ」
そう言って、彼女は僕に視線を移した。
「こんな可愛らしい子なら、任せられないっすよね」
……もしかしたら、ジェシカは僕を女の子だと思っているのかもしれない。
「だろ?」
マーサは答えた。
なんだか、マーサさんがいつもしないような笑い方をしている……。
何か、面白い物を見つけた、という感じのにっこりとした笑みだ。
「じゃあ、下の手伝いしてやってくれるかい?」
「え、ちょっと……!」
止めようとして声を出すが、その拍子に痛みで声を失う。
「ああ、無理すんなって」
そう言って、ジェシカは僕に近づいてくる。
「恥ずかしいのはわかっけど、こんな時は助け合うもんだって」
人懐っこい笑みを浮かべて彼女はそう言う。
その言葉からは人を気遣う優しさを感じる。
たぶん、このジェシカという女の子は優しい良い子なんだろう。
しかしそれと僕がされようとしている事は別問題だ。
今はその優しさがありがたくない。
「いや、待って……」
僕の言葉は無視して、彼女は僕のズボンへ手をかけた。
僕は何とかズボンを握って抵抗しようとするが、彼女はいとも容易くズボンを下ろした。
すごい力だ……。
そのまま下着まで手をかけられ……。
僕は諦めと恥ずかしさから、両手で自分の顔を覆った。
視界を無くし、外気の冷ややかさだけが、僕の今の状態を教えてくれる……。
「あっ……」
思わず、声が出た。
「あ?」
ジェシカからも困惑の声が漏れた。
僕は指の隙間から、彼女の様子をうかがう。
彼女の表情は呆然とした物であった。
それが、見る見るうちに朱に染まっていく。
優しげだった目。
その端が、釣り上がった。
「は? 何でチン……っ! あんだよぉっ!」
頬を思い切りグーで殴られた。
「しかも何でちょっと元気にしてんのっ! 変態!」
さらにもう一発殴られた。
ジェシカはキッと僕を強く睨むと、テントを出て行く。
そんな様子をマーサは大笑いして見送った。
僕は両頬の痛みで涙を零すくらいしかできなかった。
その件で僕はジェシカからとても嫌われ、彼女が再びテントへ訪れる事はなかった。




