三話
闇の中。
蝋燭の灯り。
暗い部屋。
「あなたは、厳しい状況にあったのですね。それは辛い事です。大変でしたね」
「ああ、辛かった……。僕達に、逃げる場所はなかったから……」
不動は答える。
「でも、あなたには心の支えがあった。それはよろしい事です」
男の声に、不動は黙り込んだ。
そして、再び過去の出来事を語り始めた。
森林の戦場。
僕達はその日も、戦っていた。
極限の死地。
その中にあって僕は、未だに人の命を奪う事ができなかった。
戦地にあって僕は、常に紫のそばにいた。
彼女を守りたかったから。
けれど、僕が彼女を守れた事なんてなかった。
彼女が危機に瀕しても、僕には彼女を守れない。
彼女へ襲い掛かる兵士と戦っても僕は傷ひとつつける事ができず、できたとしても一枚の脆弱な盾になる程度の事しかできなかっただろう。
本当に……。
気持ちだけで僕には何もできなかった。
今日だって、敵兵士に襲われた彼女を助けたのは幸樹だった。
斬りつけられそうになった所を彼が敵兵士を倒したのだ。
彼女を守るのは、いつも幸樹だった。
きっと彼も、彼女を守ろうと思っているのだろう。
いや、僕の事も守ろうとしてくれているのかもしれなかった。
彼はいつも、僕達のそばにいてくれた。
彼には能力があり、戦う力があった。
でも亮二が単身で敵陣へ突き進むのに対して、彼はいつも僕達のそばで戦ってくれていた。
僕達はいつも、彼に助けられていた。
それを思うと僕は、自分がとても情けない存在に思えた。
「この国、また召喚するらしいな」
部屋にいる時、亮二が何気なく呟いた。
召喚。
それが何を意味するのか、僕は察する。
「また、戦奴が増えるわけか」
幸樹が呟く。
その声からは、感情が読めない。
「この国で初めて召喚されたのは、俺達だったらしいぜ。試験的に行われた、とか前のパーティで言ってた。つまり俺達は、お試しだったわけだな」
宴へ初めて参加してから、亮二はさらに戦場で活躍した。
だから、あれから何度も戦勝の宴へ参加している。
「その結果が良好だったから、また行われるという事か」
幸樹は言う。
「召喚者《人》が、増える……」
紫が、呟いた。
見ると、彼女は真剣な面持ちで顔を俯けていた。
何か思案しているのかもしれない。
「また、この部隊にも人が増えるって事かしら?」
紫が顔を上げて問うと、幸樹は首を左右に振った。
否定する。
「それはないだろう。連中は、召喚者が結託する事を恐れている。新しい部隊が増えるだけ、だと思う」
「そう……」
紫は呟く。
その声には隠しようのない落胆が滲んでいた。
「ねぇ、他の召喚者達と協力して、逃げ出す事はできないのかな?」
僕は幸樹に問うた。
亮二と同じく、幸樹も宴に同席する事が多い。
宴には他にも何人かの召喚者達が招待されるらしいので、その人達と幸樹は会っているはずだ。
宴には他にも、各部隊から優秀な召喚者が招待されているらしい。
けれど、幸樹はまた首を左右に振る。
「無理だな」
「どうして?」
「この首輪を外す手段がない事もそうだが……」
そう言って、幸樹は説明してくれる。
宴に招待される召喚者は、主に亮二と幸樹を合わせて六名らしい。
各部隊から一人ずつ招待され、二人招待されたのは内の部隊からだけだったらしい。
そして、その各部隊から招待された召喚者達を幸樹は信用できないらしかった。
確かに、現状を打破したいという人間はいるが、このまま活躍して取り立てられようと目論んでいる人間もいるようだ。
もし、反乱を起こそうなどと話を持ちかければ、おそらく情報を売る人間が出てくる。
だから……。
「やめた方がいい」
幸樹はそう結論付けた。
「そうなんだ」
僕は顔を俯けた。
「楽しめよ。お前ら」
すると、二段ベッドの下から声がする。
見下ろすと、仰向けに寝転んだ亮二が笑っていた。
「今、俺達ができる事なんて限られてるんだ。その中で、自分にとって良いと思う事をすりゃいいんだ。そうすりゃ楽しくなるぜ」
「お前はさぞ楽しいだろうな」
幸樹が皮肉っぽい口調で答えると、亮二は「くっくっく」と声を出して笑った。
「今、自分にできる事……」
紫が呟く、そんな声を僕は耳にした。
「そうね……。それしかない、のね」
それから数日。
ほどなくして、二度目の召喚が成功したと聞いた。
その時に亮二が部屋から連れ出されたので、間違いない。
新たな召喚者達との折衝を目的にしての事だろう。
亮二は、この国の召喚者達の中でも最強だった。
そして、この国に対しても友好的だ。
そんな彼の姿を見せて、反発が起こりにくくする目的があったのだろう。
その次の日。
僕達は戦場へと連れ出される。
戦いはいつも通りに進んでいた。
亮二が敵陣へ単身で切り込み、僕達は後方で敵兵士と戦う。
僕達にとってそれはいつもの事だが、亮二にとっては違うらしい。
相手は亮二に対しての策を毎回講じ、待ち構えているそうだ。
亮二はそんな相手の策を打ち破り、敵将を倒す。
それで戦は終わりだ。
今日もそうだろう。
いつも通り。
ただ戦いに勝つたび、帰り道は長くなっていった。
戦に勝つという事は、相手の土地をそれだけ奪うという事なのだから。
「不動くん」
戦いの最中、名前を呼ばれた。
周囲を見ると、紫が僕を呼んでいた。
こっちに来て、と手招きしている。
彼女のそばには幸樹がいた。
彼女を守ってくれていたのだろう。
僕は彼女のそばに近寄る。
「どうしたの」
訊ねると、紫は僕の手を握った。
こんな時なのに、手を握られた事に嬉しさを覚えた。
「逃げましょう」
「え?」
「いいから」
そう言うと、紫は走り出した。
僕もそれに引かれて、走り出す。
幸樹がその後を追った。
「どうやって? 首輪は?」
「方法を見つけたの」
首輪を外す方法を?
「とにかく、ここを離れるわ」
「わかった」
彼女が何を考えているかわからない。
首輪を外す方法を見つけたという方法もにわかには信じられなかった。
でも、彼女だけは信じられた。
それを信じられないという事は、何も信じられないという事だ。
たった一つの心の支えを失うという事だ。
だから僕は彼女に言われるまま、彼女の後を追った。
彼女と幸樹を伴い、三人で……。
僕達は戦場を駆けた。
途中、行く手を阻む敵兵士を幸樹が斬り倒し、僕達は駆け続けた。
やがて敵兵士の姿が見えなくなり、それどころか味方の兵士すら見えなくなるほどの遠く……。
そして進む先の地面が途切れていた。
崖だ。
それ以上、進めそうになかった。
そこまで来ると、首輪から高い音がなった。
笛や鐘、警告となるそれらの音とは違う不思議な音。
電子音に近いその音は、僕達を管理する監視官から一定以上離れた時に鳴る警告音だ。
これ以上、作戦区域から離れれば首輪が爆発し、着用者の首が千切れ飛ぶ……。
その音を聞くと、僕は不安になった。
隣の紫を見る。
彼女の表情にも緊張が見て取れた。
幸樹へ向き直り……。
肩に激痛が走った。
「うあぁあああっ!」
激痛に思わず声を上げる。
視線を幸樹の方へ向ける。
すると、地面へ向けられた剣の切っ先から、滴る血が見えた。
それ、誰の血?
そんな素朴な疑問が過ぎる。
考えられるのは、思わず手で押さえてしまった僕の肩……。
手には、ぬるりとした温かな液体の感触。
僕は斬られたんだ。
幸樹に……。
そう悟った。
「どう……して?」
僕の問いに、幸樹は答えない。
「私、死にたくないの」
代わりに答えたのは、紫だった。
僕はそちらに向く。
「亮二くんは強い。幸樹くんも強いわ。でも、あなたはどう?」
「え?」
思わず、気の抜けた声が漏れ出る。
それでも、僕は彼女の問いに心の中で答えを用意した。
強くない。
僕には、何の能力もないから。
「あなたは強くない。だから、私を守る事はできない」
「でも僕は、精一杯に……」
君を、守ろうとして……。
「あなたは何もできないじゃない」
彼女から発せられた言葉に、僕は言葉を失った。
同じ事を僕は、何度も思い悩んだ事があるからだ。
彼女の言う事は、反論しようのない真実だった。
「だから、私はあなたの代わりが欲しいの……。身を守るために……。死なないために!」
僕は、彼女の考えを理解した。
彼女は、部隊から僕を排除したいのだ。
僕が弱いから……。
排除して、新しい人間を代わりに配属してもらいたいのだ。
今のこの国には、新しい召喚者がいる。
今までは人員が足りなかったけれど、新しい召喚者がいる今なら失った人員を補充される可能性は高い。
部隊はバランスが取られているから、亮二と幸樹がいる限りそこまで強い能力者は配属されないだろう。
でも、無能力者の僕よりは、きっとマシな奴がくる。
彼女は生存率を上げるために、少しでも手を打とうとした。
今できる最大限の手段を取ろうとしているのだ。
彼女の考えを悟った……。
その時の僕の気持ちを言い表す事はできない。
体は震えていた。
今にも、膝の力が抜けてしまいそうだった。
「俺も彼女を守りたい」
幸樹が語る。
「お前だってそうだろう?」
問われ、僕は否定できなかった。
僕だって、彼女を助けたいのだ。
彼女の考えも、彼の言葉も理解できる。
でも、死ぬ事は怖かった。
だから答えられず、後ずさる。
そんな僕に、幸樹は抜き身の刃を構えて近づいてくる。
僕の後ずさる速さより、彼が歩み寄る速さの方が上だった。
剣の届く距離まで、彼は近づいた。
猶予などなく、剣が振るわれる。
彼の剣を見ていた僕は、彼の剣が視界から消える瞬間を見た。
恐ろしく速い剣閃。
避ける事なんてできない。
でも、体は咄嗟に反応した。
一歩、退いた。
鎖帷子で守られているはずの胸に痛みが走る。
そして、浮遊感……。
いや、落下……。
僕はいつの間にか、崖の際まで追い詰められていたらしい。
僕は幸樹に斬られ、そして崖から落ちたのだ。
甲高い、首輪の警告音。
それを耳にしながら、僕は落ちていく。
そして僕は、気を失った。
次に目覚めた時。
僕は、寝台に寝かされていた。
起き上がる力はなかった。
ただ、ぼんやりとする。
ここが、イーガの収容施設でない事だけはわかった。
天井が布製だった。
ここはテントの中なんだろう、となんとなく察する。
「起きたようだね?」
そんな声をかけられ、そちらを見る。
そこには、一人の女性がいた。
木の椅子に座り、片方だけ組んだ足に頬杖を付き、彼女は僕に笑いかけた。
長い黒髪をアップにまとめた彼女の左目には、黒いアイパッチがあった。
鹿嶋 紫
女子高三年生の少女。
平凡な家庭に生まれた平凡な少女。
社交的で友人は多い。
能力『愛されし少女→翻弄する女』
愛の神ハルトナーの加護者。
異性から好意を持たれやすくなり、一定以上の好意を持たれているとある程度相手の心を操る事ができる。
劇的な効果はなく、強制力は弱い。
ある種の行動、選択によって能力が変化する。
能力によって悪行を成した事によって、ファムファタールへ能力が変化した。
人を操る強制力を強化する方向への変化である。