一話
僕がこの世界に来たのは、イーガという国の戦争奴隷として異世界召喚されたからだ。
呼び出されたのは僕だけじゃなく、他に多くの人間が僕と同じように戦争奴隷として呼び出されていた。
みんな日本人だった、と思う。
異世界へ召喚された人間は、みんな特殊な力を授かってこちらへ来るんだと呼び出された日に教わった。
それと同時に、これから自分達が奴隷として戦争に参加させられる事も告げられた。
僕を異世界召喚した国は、隣国ヴォネと戦争をしている最中だった。
その戦力として、僕達は呼び出されたんだ。
そして、僕達の首には僕達を殺すための首輪があった。
仕組みはわからないけれど。
逆らえば、命を奪う。
そんな首輪だ。
だから、逃げる事はできないのだ、と彼らは言った。
臭いがする。
むせ返るような臭いが。
周りは風通しのよい森林。
なのに、臭いは辺りに篭っている。
それは周囲の臭いだけじゃない。
きっと、自分の口腔の中に残る臭いも混じっている。
あたりには、臓腑があふれている。
実際は人の死骸だ。
でも、そこから出ている臓物に自然と目がいってしまう。
だから、僕にとってそこは臓腑が転がっている場所と言った方が正しかった。
最初は、死が転がっている、と認識していたように思える。
でも、それが今はもっと即物的な認識へと変わっていた。
そんな認識の変遷があったとしても、僕がこの状況に耐えがたさを覚えている事に違いはなかった。
今しがたも、嘔吐したばかりだ。
血の臭いなんてしない。
ただするのは臓物の臭い。
普段は皮と脂肪の中へ押し隠されたそれは、肉の袋から開放されると容赦なく酷い臭いを周囲へ拡散する。
胆臓を傷つけられた死体からはもっと酷い臭いがする。
その臭いに、自分が出した吐しゃ物の臭いが混ざる。
混ざり合って、それが死体の臭いなのか、吐しゃ物の物なのかわからなくなる。
自分の口の中にその臭いの元がどちらもあるように思えてくる。
本当は血の臭いだってあるのかも。
混ざり合っているだけで。
ただ、この気分の悪さは、臭いだけではないかもしれない。
それだけを理由にするには、あまりにも酷い物が辺りに溢れていた
僕はきっと、臭いだけに意識を向けようとしていた。
嗅覚に与える酷さだけが、比較的に受け入れやすい物だったから。
周囲の音、目に見える光景、肌に触れる衣服、鎖かたびら、手にある剣、その冷たさ、重み、全てが僕にとって耐え難い事だ。
全てが僕に、自分の状況を自覚させようとしてくる。
周りは僕を殺そうとしている。
僕が手に持つ物は他者を殺すための物だ。
そんな現実を直視させようとする感覚から逃避したくて、だから……。
他人の死を認識する事が、自身の死を自覚しないために必要だったから……。
「うおおおおっ!」
雄たけびが上がる。
それほど離れていない距離。
視線を向ける。
剣を振りかぶって駆けてくる男。
鎧を着た男。
「うああっ!」
絶叫が上がる。
それは僕の口から上がったものだ。
僕は殺したくない。
でも、僕の本能はたとえ相手を殺しても、自身を尊ぶ事に決めたようだ。
無意識に剣が振るわれる。
剣は、相手の振った剣を受け止め……られなかった。
叩かれた剣が、僕の手から弾き飛ばされる。
足がもつれ、尻餅をついた。
僕に抵抗するための術がなくなったと見るや、相手の男は剣を振り上げた。
息も絶え絶えに……。
もう何人かその手にかけているのだろう、剣や装身具、頬は血で汚れている。
その表情が、緊張から安堵へと移行する。
笑みを作った。
勝利を確信している。
彼の勝利は、僕の死が絶対条件だから。
僕はその一連の様子をただ見上げる事しかできなかった。
剣が、僕の命を絶とうと振り下ろされる。
「死ねぇ!」
そう叫んだのは、僕を殺そうとした男じゃなかった。
横から剣を突き出しながら突進する別の男が叫んだ言葉だ。
その男の剣が、僕を殺そうとしていた男のわき腹を刺し貫いた。
彼は味方の兵士だろう。
「ごのぉ!」
口から血を吹き出しながら、悪態を吐く敵国の男。
彼は最後の力を振り絞って、剣を振った。
その軌跡は見事に相手の首をなぞった。
切断には至らなかったが、刃は動脈に至ったらしい。
派手な血飛沫が上がる。
散水機のように吹き出した赤が、大気を赤く染めた。
殺しあった二つの命が事切れ、その場で力を失い、倒れた。
荒い息遣いが聞こえる。
周囲で戦い続ける兵士達の音よりも、その息遣いは大きく聞こえる。
それもそのはずだ。
息遣いは、自分の物だったから。
「死んだと思ったのにな。運の良いやつだ」
そんな声が聞こえた。
その声が、自分に向けられた物だと気づいて、声のした方を見る。
そこには、一人の男が立っていた。
僕は、自分の体格に劣等感を持っている。
低い背に、肉の薄い体、声変わりを経ても高い声。
男性的とは言えない、けれど女性的とも言えない。
そんな自分の容姿が嫌いだった。
でも、目の前に立つその男性は自分が嫌だと思う何もかもを排した体つきをしている。
身長は高く、筋肉質で、男性的な低い声だった。
けれど今の彼は、そんな特徴が一見してわからない姿となっていた。
彼の体は、金属に覆われていた。
さらに詳しく形容するならば、それは刃……。
もしくは針……。
体中から、皮膚が見えないくらいに鋭利な刃や針が飛び出している。
それは金属の体毛と呼ぶべき物。
ハリネズミを思わせるそれは、見るからに攻撃的な姿だった。
そんな彼に、敵兵士の一人が斬りかかる。
刃のぶつかる音が……しない。
確かに、敵の剣は彼の体から出る金属にぶつけられた。
しかし、無音だった。
敵兵士の剣は、金属の体毛にぶつかるのと同時にするりと通り抜けた。
そのように見えた。
しかし実際は……。
金属の体毛が、敵兵士の剣を断ち切ったからである。
音が出ないほどに抵抗もなく、あっさりと……。
スポンジ生地を切り分けるかのように、切り放した。
恐るべき切れ味である。
「お前も、死んでりゃよかったのに……」
そう言うと、男性は手を振った。
手の甲から伸びた爪のような刃が、敵の兵士の顔を上顎と下顎の辺りで難なく分かつ。
敵兵士が倒れると、彼の頭の上顎から上がずるりと地面へ滑り落ち、転倒の衝撃で上半分がいずこかへ転がっていった。
「こいつみたいに、よ」
彼はそう続けた。
その言葉は、僕へ向けられた言葉だ。
そこに親しみは感じられない。
彼の名は田中 亮二。
僕と同じ、日本からこの国の戦争奴隷として呼び出された召喚者。
同じ部隊に配属された、仲間だ。
だけど、僕へかけられた声には、仲間への親しみなど感じられなかった。
露骨なまでにあからさまな疎ましさだけがそこにはある。
吐き捨てられた言葉。
すぐに田中はその場を離れた。
彼が目指して向かったのは、別の敵兵士の所だ。
振り回された刃が、簡単に敵兵士の体を切り裂く。
彼は同じ、この国の都合で身勝手に呼び出された戦争奴隷。
けれど彼は積極的だった。
今の状況に絶望を覚え、忌避感を覚える僕とは違う。
積極的に、今の状況へ関わろうとしている。
彼からは悲壮感を見出せない。
敵を殺す事に、喜びすら覚えているように見えた。
いや、敵だけじゃない。
剣を交える敵味方の兵士達を容赦なく二人まとめて切り裂いた。
彼はきっと、殺せればいいのだ。
自分の力を振るえれば、誰が相手でもいいのだ。
僕はその様子を呆然と見ていた。
「不動くん!」
声がかかる。女性の声だ。
駆け寄る足音。振り返る。
息せき切って走り寄ってきた彼女は、僕の両肩へ手をやった。
「大丈夫? 怪我は?」
心配した面持ちで、彼女は僕に訊ねた。
「怪我は、ないよ……」
ただ恐ろしくて、今も心臓が胸の中で跳ね回っているけれど。
「よかった」
答えると、彼女はあからさまに安堵した様子を見せた。
彼女は僕と同じ歳程度の少女だった。
高校生くらいだろう。
ストレートの黒髪で、身長は僕より少し低いくらいだ。
柔和な顔つきで、優しげな雰囲気がある。
彼女の名は鹿嶋 紫
彼女もまた僕と同じ、召喚者だ。
そんな彼女の背後から、敵兵士が斬りかかってきていた。
「あぶない!」
「きゃあっ!」
僕が叫ぶと彼女もそれに気付き、悲鳴を上げる。
が、その敵兵士が一人の男性によって斬り倒される。
刃の音と敵の断末魔を耳にし、紫は振り返った。
そこで初めて、自分に迫っていた危機に気付く。
「はぁ……はぁ……片山くん……」
自分を助けてくれた男性の名を紫は口にする。
その声は息も絶え絶えで、震えていた。
自分が死の危機に瀕していた事を知って、恐怖を感じたのかもしれない。
片山と呼ばれた男性は、召喚者だ。
片山 幸樹。
彼は長身痩躯の男性で、銀縁の眼鏡をかけている。
口数は少なく、表情もあまり動かさない。
感情の機微を量る事の難しい人だった。
彼は僕と同じで、鉄の剣と鎖帷子を装備していた。
僕と違う所を挙げるとすれば、それらの装備が血で汚れているかいないか、という所だ。
「二人とも無事だな?」
「ええ。ありがとう」
敵兵士の遺体を気にしつつ、紫は幸樹に礼を言った。
その時、辺りにラッパの音が響き渡った。
それは戦の終わりを告げる合図である。
ラッパの音を響かせたのは、僕達が属する国の物だ。
音が響き渡ると、敵兵士達が後退していき、味方の兵士達がそれを追撃した。
その場で両手を振り上げ、歓喜の雄たけびをあげる兵士もいる。
今日の戦いは終わった。
きっと、亮二が敵の指揮官を倒したのだろう。
いつもそうだから。
でも、そんな事はどうでもいい。
もう、今日は戦わなくていいんだ。
今日も生き残る事ができた。
ただそれだけが嬉しかった。
田中 亮二
日本では、半グレ団体に出入りしていた高校三年生の男子。
ケンカによって人を殺してしまい、少年院にいた所を召喚された。
強さを示す事を好むが、思うようにそれができない日本の法律に嫌気がさしていた。
思う存分に自分のしたい事のできる今の世界が気に入っている。
能力『護剣』
剣の神スペディアの加護を受けている。
体のあらゆる場所を剣へ変化させる事ができる。亮二は主に皮膚や毛を剣に変じさせているが、やろうと思えば脳や眼球、内臓すらも全て剣に変えられる。
この世界のどの金属よりも剣に適した金属で作られており、この世の物質で断てぬ物のない切れ味を有する。
たとえそれがパラメータカンストの武器防具であっても例外ではなく、それらを無視して断つ事ができる。