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チートスレイヤー【連載版】  作者: 8D
ある復讐者の一日
24/35

後編

 支部での用事を済ませた二人は、装備を整えてゴブリン討伐の依頼を出した村へと向かった。

 そのジェクトの町から馬で一時間程度の距離に、その村はあった。


 不動の装備は、皮鎧、亮二の剣と投げナイフ、大型の腰部ポーチ。

 それらを隠すように外套を羽織っている。

 彼自身、標的に合わせて持ち物を決めており、動きやすさを重視して軽装で済ませている。

 しかし今回は、普段以上に軽装である。


 オルガもまた初めての実戦だからか、装備は少ない。

 不動と同じく、皮鎧に剣とポーチだけである。


 二人は村に着くと、依頼者である村長を訪ねた。


「冒険者ギルドから派遣された者だ」


 暗殺者ギルドの依頼であるならば合言葉を用いるが、今日の不動は冒険者ギルドから流れてきた依頼を受けたためそう名乗った。


「ああ。来てくださいましたか」


 村長は安心したように息を吐いた。


「詳細を聞いておきたい」

「はい」


 不動が促すと村長は状況を説明した。


 どうやら、村の者が付近の森でゴブリンを見かけたらしい。

 ゴブリンというものは、巣を中心に活動する習性を持っている。

 つまり、ゴブリンを見たという事は、その付近に巣があるという事である。

 ほとんどは人里から遠い森や山奥などの洞穴を巣にするため、人里の付近に巣を作る事は珍しい。


 そしてゴブリンを目撃した村人の報告を聞き、不安に思った村人達全員が金を出し合って冒険者ギルドに依頼したという。


「被害者は?」

「今の所、目撃したという以外には……」

「巣の場所は?」


 村長は首を横に振り、把握していない旨を伝えた。


「皆、恐れてそれ以来森へ行っていません」

「わかった。なら、目撃した場所へ案内してほしい」


 目撃した村人によって、案内してもらう事になった。


 村人に先導され、不動達はゴブリンの目撃された場所へと向かった。

 森へ入って十分ほど歩いた位置で、村人は「ここです」と答えた。


「ゴブリンはどこにいた?」

「あの辺りに」


 不動に訊ねられ、村人は指を差して答える。


「数は?」

「一匹だけです」

「そうか……。ありがとう。もう、戻ってくれていい」

「はい。お願いします」


 ここまで案内する事すらも恐れていたのか、村人は逃げるようにその場を後にした。


 不動は示された場所を探る。


「足跡の類はないな」


 ゴブリンは人型の魔獣だ。

 小柄で体重も軽い。

 沼地などでなければ足跡は残りにくい。


 不動は、ポーチの中からビンを取り出した。

 中には、黄土色の濁った液体が入っている。


 それを開ける。


「うわ、臭っ!」


 オルガが思わず叫ぶほど、その臭いは強かった。


 不動はそれを地面に数滴落とすと、再びビンを閉める。

 ビンは閉められたが、それでも残り香と地面に落とされた液体の臭いは消えない。


「何ですか、それ!?」


 鼻を摘み、涙目になりながらオルガが訊ねる。


「ドラゴンの糞尿を煮詰めて作った臭い液体だ」

「何でそんな物作っちゃったんですか!?」

「ドラゴンは最強の魔獣だ。ゴブリンのように力の弱い魔物は、その臭いがすればそこに近づかない」

「そうなんですかぁ?」


 この臭いで、もうここにゴブリンが現れる事はないだろう。

 人間では感知できないくらい臭いが薄まっても、嗅覚に優れたゴブリンなら感知する。

 一年はその状態が維持できるはずだ。


「ゴブリンの行動範囲は、巣から半径一キロメートル前後。湿地帯であればそれが倍になるらしいが、今回はそれに当てはまらない。……ここから一キロメートル以内を探索すれば別の痕跡があるだろう」

「はぁい。わかりました」


 二人は周囲の探索を始める。

 そして新たな痕跡は十分と経たずに見つかった。


 血痕である。

 まだ乾いていないようだ。

 血が流れてまだ時間が経っていないのだろう。


「血痕はあるのに、その血を流したものがない。獲物を狩り、それを持ち帰ったんだろう。村人が森へ近づかないというのなら、狩ったのも狩られたのも村人ではない」

「では、ゴブリンが?」

「ゴブリンには獲物を巣に持ち帰る習性がある。その可能性が高い」


 不動は再び、ビンを取り出した。

 オルガはそれを見て鼻を摘んだ。


「出血量が少ない。大型の動物ではないだろう。ウサギか、鳥か」


 ビンの中身を使い、不動が言う。


「周囲を調べよう」

「調べてからビンの中身を使ってほしかったんですけど……」

「じきに慣れる」


 オルガの不満に短く答え、不動はさらに周囲を探索する。

 そして別の場所で血痕を見つけた。


 血は乾いていない。

 なら、先ほどの血痕と同じ物だろう。


 そこから少し離れた場所で、さらに別の血痕を見つける。


「辿っていけば、巣を見つけられるかもしれないな」


 不動のその言葉通り、血は一定の間隔で見つかった。

 その血を辿りながら、巣を探す。


「そういえば、どうしてゴブリン退治の依頼を受けるんですか? わざわざ、冒険者ギルドから回してもらったと聞きましたけど」

「ゴブリンに限った事ではないが、転生者の中には魔獣に転生する者もいる」


 召喚者の中には、一度死んでこちらに別の生物として転生する者がいる。

 それが転生者である。


 そして転生者は人に限らず、魔獣として転生する場合もある。

 その場合、その魔獣本来の習性からはずれた行動を取る個体である事が多い。


「ゴブリンの場合は本来人里に近づかない。もし近くに巣を作ったとすれば、そこに転生者の介入があったとも考えられる。だから、依頼を回してもらえるようにしている」


 早い内に発見して潰してしまうためでもあるが。


 魔獣に転生した場合、なんらかの方法で別の強い魔獣へ変化する事がある。

 ゴブリン程度ならどう足掻かれようが力押しで倒せるが、一段階でも変化すれば正面から勝てなくなる可能性が高い。


「あなたは、この世界の人間を殺さないようにしていると聞きました……」


 不意に、オルガは言う。


「でも、ゴブリンは群れで行動する生き物です。戦いになれば転生者以外のゴブリンを相手にする事になると思うのですが?」


 殺さずに戦うのですか?

 という意図を込めてオルガは訊ねた。


「邪魔ならば殺す。ゴブリンは魔獣だ。人間じゃない。僕は、生きるために何匹も動物を殺している。それを今更、止めたとしてもおこがましいと思わないか?」


 あくまでも、不殺を誓うのはこの世界の人間だけである。と、不動は答えた。


「過ちと認めて、今後改めるという事もできると思いますが?」

「その考えも間違いじゃない。でも僕の中では、何よりも召喚者を排除するという目的が一番強い。無用に殺すつもりも無いが、止むを得ないならば殺すだろう」

「そうですか。でも、ゴブリンは人間に近いんじゃないですか?」

「何故、そう思う?」

「ゴブリンに犯されれば人間の女性はゴブリンの子を孕むと聞きます。でしたら、人間に近いという事ではないですか?」

「いいや、違う」


 不動はあっさりと否定する。


「そもそもゴブリンの精子は人間の卵子に受精しない。……いや、受精はするが着床しないんだったか? まぁどちらにしろ、人間との間に子供を残す事はできない」

「じゃあ、どうして孕むんですか?」

「あれははらを借りているだけに過ぎない。ゴブリンは卵生だからな」

「え?」


 オルガは驚いて目を見開く。


「ゴブリンは水の中にメスが卵を産み付け、そこにオスが精子をかける事で子供を作る。そして適切な水場がない場合のみ、他生物の体内を水場の代わりにするんだ」


 だから、何も人の女性だけを標的にする事はない。

 適度な湿度を保てる動物の体内ならば、胎内でなくてもゴブリンの仔は育つ。


「ゴブリンが人間の女性を輪姦したというケースは確かにあるが、これはメスが卵を産み付けてその後にオスが精子をかける作業だ。生物の性質として、そうしなければ仔を成せないから輪姦のようになる」


 メスのゴブリンにも男性器と思しき部分はあるが、それは卵管である。

 そこから出てくるのは卵だ。

 人間の体も水場の代替品でしかなく、適当な水場があればわざわざ人を襲って卵を産み付ける事は無い。


 戦闘能力は低く、飼育すればある程度人間にも懐くので、脅威としてはかなり低いのだ。

 では何故恐れられているかと言えば……。


 輪姦に見えるその交尾過程が過剰に恐れられているというのが現実だ。

 実際に子供を産み付けられた者にとっても、それを目にした者にとっても、精神的なショックは大きいのだろう。


 ……あとは、召喚者経由の怪しい知識が拡散しているという可能性もある。


「しかしその産卵方法にはリスクが大きいため、仔を産むための環境が一切無い極限の状況でなければ行われない」


 そもそも、ゴブリンからすれば人間は驚異の一種であり、それを襲うという事が珍しいケースなのだ。

 その珍しいケースが頻繁に起こる場合は、それこそ転生者の関与が疑われる。

 転生者の中には、そういう行動へ出る者が多い。


「はぁ、そうなんですか。話を聞く限り、なんだか魚みたいですね」

「ああ。その習性から、元は水棲生物……魚人サハギンの一種ではないかと僕は思っている。地上に適応した亜種なのではないか、と。よく見れば、首の辺りにエラのような器官もあるし」

「でも、どうしてそんな事を知っているんですか? 訓練課程の座学でもそんな話は聞きませんでしたよ」

「教わったわけじゃない。自分で生態を調べたんだ」


 転生者がどんなものに転生していても殺せるように、不動はあらゆる魔獣の生態を調べていた。


 そうしている間に、二人は洞窟を見つけた。

 どうやら血痕は、洞窟の中へと続いている。


「ここが巣でしょうか?」

「多分」

「早速乗り込みますか?」


 そう言って、オルガは腰に佩いた剣の柄へ手をやった。


「いや、まずはふるいにかける」


 そう言って、不動は黄土色の液体の入ったビンを取り出した。

 反射的にオルガは鼻を摘む。


 不動は村のある方向の地面に、線を引くようにしてビンの中身をかけていく。


 ビンの中身が空になると、栓をして腰のポーチへしまい込んだ。


 そして、もう一つ大きめのビンを取り出した。

 中には、黄土色の土団子めいた何かが入っている。


「それは?」


 オルガは、何となくその正体に見当をつけながら訊ねた。


「ドラゴンの糞尿を混ぜ合わせた物だ」

「それも!?」

「割合を変えて固形にしたものだ。ペースト状の物もあるが、今回は必要ないだろう」

「何でそんなにバリエーション豊かなんです? ウンチ好き過ぎません?」

「必要だから」


 短く答えると、不動は洞窟の前に燃焼剤を置いた。

 燃えやすい素材を用いて作られた、皿状の固形物だ。

 不動はその上にドラゴンの糞尿を置くと、燃焼剤に魔法で火を着けた。


「隠れよう」


 そう言って、不動は洞窟の入り口が見える草場を示した。


 粘土状の糞尿が燃え、煙が立ち上り始める。

 同時に液状のものの比ではないほどの強い臭いが周囲に立ち込めた。

 あまりに酷い臭いで、鼻を摘んでいるはずのオルガが涙目になっている。

 口腔を通った臭いが、鼻の方に回ったようである。

 そのままむせる。


 そうして、燻された煙に向かって、不動は風の魔法を放った。

 風によって煙が、洞窟の中へと流し込まれていく。


 次々に送り込んでいくと、しばらくして人の物ではない甲高い悲鳴が洞窟内から響いてきた。

 それも一つ二つではなく複数の悲鳴が混ざり合い、同時に慌しい足音がこちらへと迫ってくる。


 不動が草場へ深く身を屈めると、オルガもそれに倣って屈んだ。


 そして、洞窟の中から人型をした小さな魔獣が飛び出してきた。

 耳と鼻が長く、口から覗く牙は鋭い。

 肌の色は濃い緑で、目には蛙を思わせる横長の黒目がある。


 それがゴブリンの姿である。

 そんなゴブリン達が、群れで出口へと殺到してきた。


 数は十匹前後だろう。


 しかし洞窟の外へ出たゴブリン達はそのまままっすぐに出て行かず、すぐに反転して洞窟の入り口がある反対の方向へと逃げていく。

 事前に不動が撒いていた液体の臭いに反応し、そちらへ逃げる事を厭ったためだ。


 天敵の多いゴブリンは、それらから身を守るために感覚器官が発達している。

 ドラゴンの糞尿の臭いを察知したゴブリン達は、その場から一斉に逃げる事を選択したのである。


 そして、燻煙によって天敵の臭いが強く染みついたこの巣に、ゴブリンが入り込む事はもう二度とないだろう。


 逃げ去っていくゴブリン達の姿を眺め、洞窟からもうゴブリンが出てこなくなった事を確認すると、不動は風の魔法を止める。

 風の影響を受けなくなると、煙は上空へ昇り始めた。

 不動は草場から出る。


「中に入る」

「え?」


 当初、すぐにでも乗り込もうと言っていたオルガだったが、その提案にはとても嫌そうな顔で訊ね返さざるを得なかった。

 すでに、状況は変わっている。


 それに構わず、不動は洞窟へ向かって歩き出す。

 オルガは躊躇いながらも、不動の後についていく。


 不動は松明たいまつを手に取り、火を着ける。

 それをオルガへと差し出した。


「戦いになった時のために、手を開けておきたい。照明を頼む」

「はい」

「視界の確保は重要だ。わかるな?」


 言われて、オルガは真剣な表情になった。


「頑張ります」


 オルガは答え、松明を受け取った。


「で、私達は今から、このとんでもない臭いが充満した洞窟の中へ入るんですよね?」


 その声色には、やはり割り切れない感情が含まれている。


「そうだな」


 答えながら、不動はポーチから取り出したマスクを装着した。

 口と鼻を完全に密閉するタイプの物だ。


「それ、何ですか?」

「毒性ガスを中和するマスク。臭いも防いでくれる。さすがに臭いが充満した洞窟は耐え難い。こうなると思っていたから、用意してきた」

「ずるくないですか? この状況を想定してたなら、教えてくれてもよかったじゃないですか」

「これは特注品だ。伝えてもあの支部では用意できないだろうから黙っていた」

「酷くないですか?」


 そんなやりとりをして、二人は洞窟の中へ足を踏み入れた。




「今回、転生者の関与はなさそうだな」


 洞窟内を歩きながら、不動はオルガに語りかける。


「どうしてですか?」


「ゴブリンの知能はそれほど高くなく、言語を解する事はない。理性がほぼないため本能が強く、感覚にしたがって行動する。そんな状況の洞窟に留まるゴブリンが居れば、理性を持った存在である可能性が高い」


 つまり、転生者であるという可能性だ。

 先ほどの薫煙作業をふるい、と言ったのもそれを見極める意味があったからだ。


「理性があっても、この臭いが密閉空間に充満したら出てくると思いますけど?」


 鼻を摘み、鼻声でオルガは訊ね返した。


「そうだな。出てきた上で、臭いの原因が燻されたドラゴンの便である事に気付く」

「ああ、なるほど。確かに、気付く素振りもなく全部逃げていきましたね。ゴブリンがあの状況下で取る行動は、あれが正しいという事ですか」


 不動は、そうだと肯定する。

 その上でさらに続けた。


「それ以外にも、その可能性が低いと判断できる点はある」

「どうしてですか?」

「洞窟から逃げ出したゴブリンの数が少なかったからだ」


 本来、ゴブリンは五十匹程度の群れで巣に住んでいる。

 十匹前後はあまりにも少ない。


 村人に目撃されたゴブリンも一匹だけだった。

 本来群れで行動するゴブリンには珍しい行動だ。

 それはそれで転生者の可能性を感じたが……。


 今回は違うだろう。


「転生者の関与で人里へ近づく場合もあるが、他の理由で予期せず人里へ近づいてしまう場合もある。恐らく今回は、縄張り争いで負けて逃げ延びたのだろう」

「……数が少ないのは、その争いによるもの?」

「ああ。縄張りを追い出されたゴブリンは別の地へ逃げる。地形を把握していない土地まで逃げてきたなら、人里の近くまで来てしまう事もある」


 今回はそのケースだろう、と不動は判断したようだ。


「そうですか……。それにしても、意外とおしゃべりなんですね。もっと無口な人だと思っていました」

「頼まれたからな。レクチャーぐらいはするさ」


 不動としては、カタリナの願い通りにオルガへ指導する意図があるようだった。


「それは……ありがとうございます」


 オルガは俯きがちに答えた。


 洞窟を進むと、二人は開けた場所へ出た。

 周囲を見回すと、ゴブリン達が生活していたであろう痕跡がある。


 ……水の音がする。

 落ちる雫と波紋の音だ。


 その音を頼りに、不動がそちらを向く。

 それに気付き、オルガは松明の灯りを向けた。

 そこには湖があった。


「湧き水が出ているようだな」


 洞窟内は、全体的に湿り気を帯びていた。

 水源がある事は予想できた。


 生活の拠点としていたであろう広場には天井から滴り落ちた水滴による穴がいくつもあり、そこに水が溜まっている。

 覗き込むと、その水溜りには緑色の球体がいくつも沈んでいた。

 ゴブリンの卵である。

 恐らくこの洞窟は、ゴブリンの巣として極めて適した環境だったのだろう。


 不動はポーチから皮袋を取り出した。

 ゴブリンの卵をそこへ放り込んでいく。


「え、持って帰るんですか?」

「ゴブリンの有精卵だ。冒険者ギルドならともかく、同盟では手に入れる機会が少ない。開発室の連中が高値で買ってくれる」

「……開発室は、それで飲み薬とかも作るんでしょうか?」


 目を閉じ、眉間に皺を寄せてオルガは訊ねた。

 とても嫌そうな表情である。


「訊いてみないとわからない」

「原料を知ったら飲みたくなくなる気がしますね」


 松明の灯りを頼りに、不動は右手で卵の入った袋を持った。

 入り口の方を見て、オルガに背を向ける。


「洞窟内にゴブリンは残っていない。依頼は終わりだ」

「そうですね。じゃあ……」


 オルガは目を細めて、にっこりと笑って答え――


「死んでもらいましょうか」


 その笑顔のまま、松明を付近の水溜りへ投げ入れた。


 洞窟内が闇に閉ざされる。


 同時に、打ち合わされる金属の音。

 二度……。

 三度……。


 金属音は間髪入れず、洞窟内に響き渡る。

 音の響くたび、一瞬だけ火花が散り、暗闇を照らし出す。

 二つのシルエットが、岩肌へと焼きついた。


 やがて、音が止み……。


「クソ……」


 小さな悪態が、静かな洞窟の中に響く。


 シュボッと音を立てて、闇の中に火が灯る。

 火は、不動の人差し指から出ていた。

 魔法による物である。


 その灯りが、不動の顔を照らす。

 彼は眼鏡をかけていた。

 ガルシアから貰った、熱感知の眼鏡である。

 暗闇の中で視界を確保できたのは、その眼鏡があったからだ。


 赤外線は熱から発せられる。

 熱感知サーモグラフィーはその赤外線を見る。

 よって、光源のない闇の中であっても視界を確保する事ができるのだ。


 そして照らし出された彼の足元には、背中を踏みつけられ、動きを封じられたオルガの姿があった。


「自分を殺そうとしている相手に、隙を見せるわけがないだろう。それでも隙を見出したとすれば、それは罠だと疑うべきだ」


 不動は、オルガが自分を殺そうとしていた事に気付いていた。

 だから、いくつかの隙を見せ、誘ったのだ。


 照明を任せたのも、荷物で利き手を塞いだのも、背を向けたのも……。

 オルガにはチャンスだと思えただろうが、それは不動がこの場所で襲ってくるように誘導した結果だ。

 その誘いに乗り、オルガはこの場で襲い掛かった。

 松明の火を消し、暗闇を作り出しての奇襲。

 そのために、目を閉じて視覚を闇に慣らしていた。


 それが誘いだとも知らずに。


 不動は背を向けた時に熱感知の眼鏡をかけて、彼女が視界を奪ってくる時に備えた。

 視界が奪われたと同時に右手の袋を躊躇い無く手放し、剣に手をかけた。


 振り返り攻撃を防ぐと、初撃で仕留めようとしていたオルガの動揺を衝いて反撃。

 剣を打ち合わせる度に亮二の剣によって彼女の剣を斬り折っていき、その剣の状態に気付かず剣を空振りさせた彼女の体を蹴り飛ばした。


 起き上がろうとした彼女の背を踏み、自由を奪ったのである。


「これも良いレクチャーになったかな?」

「気付いてたのかよ……。このクソ野郎!」


 不動を罵る彼女からは、先ほどまでの柔らかな雰囲気は無い。

 作る表情も口調も今までと違う。

 刺々しく攻撃的なものである。


「いつから気付いてやがった!」

「支部長室で会った時からだ。初対面じゃないだろう?」

「はは……何だよ、じゃあ憶えてたのかよ、私を……」

「ああ。だから、君の行動にも予想が着いた。出してくれた茶にも毒を入れていただろう?」


 不動はそれに気付いていたからこそ、過失に見せかけてカップを落としたのである。

 手付かずの茶を知らずに誰かが飲むかもしれないという懸念があったからだ。


「当たり前だ」


 悪びれる事もなく、オルガは言い放つ。

 その言葉に対し、不動は同じく「当然だろうな」と心の中で呟いた。


 顔を地面に押し付けられた状態で、不動を睨みつけるオルガの目には憎しみの色が強く映されている。


「そうだな。僕は、君の父親を殺したから」

「ただ殺しただけじゃねぇだろう? 私を人質にして、自分で死ぬよう仕向けたんだ」

「手強い召喚者だった。そうでもしなければ、僕には彼を殺せなかっただろう」


 ある召喚者を殺した時の事だ。

 その男は召喚者としての能力を使い、盗賊として生計を立てていた。

 そしてその男は自分の娘を助けるために、自害した。

 自害するように、不動が仕向けた。


 その娘が、オルガだ。

 彼女は、その男がこの世界で作った子供だった。


 不動は事が終わった後、その娘を同盟に預けた。

 同盟の中には孤児院を経営している者がいるという話を聞いたからだ。

 それがカタリナだったとは、当時知らなかったが。


「いつか……ぜったいにころしてやる……!」


 同盟へ引き渡された時、オルガが不動へ向けて放った言葉だ。

 強い意思のこもった言葉……。

 呪詛だった。


 不動はそれを忘れる事ができなかった。


「本当はお前の女を人質にして、父ちゃんと同じように殺してやりたかったのにな」

「できなかっただろう?」


 オルガが言うと、不動は答えた。

 悔しげに黙りこむオルガの様子から、それが真実である事が見て取れた。


「あれだけ守りが堅ければな……。クソが……」


 不動はキャロルの周囲を守るため、複数の傭兵を雇っていた。

 従業員であるロッタを含め、何人かの常連客は彼女を守るための人員であり、密かにキャロルを守っている。


「いつか絶対に、殺してやる……!」


 地面に伏せられたオルガは、不動を睨んだままそう言った。


 あの時と、同じ言葉だ。

 あの時の意思は、今も衰える事無く彼女の胸の中で燃え上がっているのだろう。


 不動は小さく息を吐いた。


「君になら殺されてもいい。それだけの正当な理由がある。だけど、約束はできない。僕を殺したがっている人間は、君だけじゃないだろうから」

「争奪戦か……楽しいね」


 オルガは笑う。

 そんな彼女の首に腕を回し、不動は締め上げた。

 意識を奪う。


「今度こそ、終わりだな」




 オルガを担いで洞窟を出た不動は、村に戻って報告し、依頼料を受け取った。

 そして気を失った彼女を村に置いて、一人でジェクトへと帰り着いた。

 支部で受付嬢に報告すると、受付嬢からカタリナが呼んでいる事を聞かされる。


 不動は、支部長室へ向かった。


「オルガは?」


 入室すると同時に、カタリナは問いかける。


「気を失ったから、村に置いてきた」

「そうですか。それならよかった」


 安心したのか、カタリナは深く息を吐いた。

 それが聞きたくて、彼女は不動を呼んだのだろう。


「知っていたのか? 彼女の目的を」


 カタリナの反応を見て、不動は訊ねる。

 その上で、自分に教導を頼んだのか、という疑問も含めて。


「それはもちろん。養い親としては、子供の願いを叶えてやりたいと思うものでしょう」

「返り討ちに合うとは思わなかったのか?」

「あなたは、この世界の人間を殺さないでしょう。たとえ、自分を殺そうとする相手だったとしても……」


 質問に答えを返し、カタリナはきっぱりと答えた。


「何か問題が?」

「いいや、ない。同盟の理念にも則っている。僕からは何も言う事なんてないさ」


 たとえ同盟に反していたとしても、不動は彼女に殺されるならそれでもいいと思っている。

 それだけの事をした。

 その自覚はある。


 彼女の父親を殺した事……。

 彼が盗賊行為によって不幸にした人々を思えば、そこに後悔はない。

 しかし、自分もまた一人の少女を不幸にした事は、間違いないのだ。

 報いは受けるべきだろう。


 それでも彼女に抗ったのは、自分にはまだやらなければならない事が多々あるからだ。

 その一番の理由は、キャロルの事だろう。


 キャロルは……。

 多くの大事な人々を守れなかった不動にとって、たった一つ残った守るべき対象なのだから……。

 彼女がいる限り、死ぬわけにはいかない。

 自分の権能全てを使い、生き残らなければならない。


「そうそう。そういえば、前に頼まれていたカダ村の支配者を殺した人物の件ですが」

「わかったのか?」

「はい。居場所がわかりました」


 カタリナは、調査資料を不動へ差し出した。

 不動はそれを受け取り、軽く紙面を読む。


「ありがとう。あとはこちらで調べる」


 礼を言って、部屋を出ようとする。


「でも、本当によかった」


 不動の背に、カタリナは言葉を投げかける。


「過失で殺してしまうという事もありますからね。そうなっていれば、私があなたを殺す所でした」


 それに答えず、不動は支部長室を後にした。




 日が落ちようとしていた。

 暗くなり始めた町に、強い朱の光が射して、濃い陰影を作り出す。


 そんな町並みに目を向ける事もなく、不動は道を歩き続ける。

 彼が足を留めたのは、キャロルの店の前だった。


 キャロルは、店じまいの準備をしている所だった。

 テーブルを抱え上げようとしている。


「僕がやるよ」


 そんな彼女に声をかける。

 キャロルは、その声で始めて顔を上げる。


「ただいま」

「おかえりなさい。早かったわね」


 不動が無事に帰ってきた姿を見て、キャロルは心から喜び、微笑んだ。

 支部にはドラゴンの転生者がおり、不動からしょっちゅう献血とスカトロプレイを要求されている。

 という部分を書こうと思ったのですが、一度にキャラクターを増やすとテンポが悪くなるので削りました。

 今後、別の機会に書くかもしれません。

 汚い話をして申し訳ありません。


 いつになるかわかりませんが、次はカタリナの過去、もしくは新しい仲間を迎える話になる予定です。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  この世界のゴブリンの生態の設定が良く考えられていて大変興味深く面白かったです!サハギン(半魚人)から枝分かれて進化した亜種、人型の両生類といった視点、考えは斬新でした!  憎悪の連…
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