十六話
闇の中。
蝋燭の灯り。
暗い部屋。
「さぁ、これであなたも私の駒だ」
紙面を走るペンの音が途切れ、その声が部屋に響き渡る。
「う……」
不動の呻く声。
何らかの作用が彼の体に変化をもたらしたのだろう。
抵抗を試みるように、不動の体は一度小さく身震いした。
そして、動かなくなる。
「ふふ」
男は小さく微笑むと、燭台を手に不動の背後へ回る。
不動の手にかけられた錠を外した。
「さぁ、立ちなさい」
男の言葉に従い、不動は立った。
その正面に回り、顔を燭台で照らす。
灯りに照らされたその表情に感情の色は一切なく、目にも意思の光はない。
それは完全に意識が絶たれた事の証。
無意識な状態である。
この状態になれば、相手は自分の命令でのみ行動するようになる。
自分の意思ですら、動く事は叶わない。
いや、そもそも行動したいという意思すら存在しなくなるのだ。
男の口元に笑みが浮かぶ。
そして、その口が不動の手によって塞がれた。
「!」
男の表情が驚愕に歪む。
口を塞ぐ手は力強かった。
何故だ?
確かに意識は絶っていた。
男は、命令しようとする。
しかし、口を塞がれてそれができなかった。
能力が効いていない?
いや、能力は成立しているはずだ。
だからこそ、こいつは私の口を封じたのだ。
次に何かを命じられ、コントロールされる前に……。
だが、何故そんな事が……。
今の彼は意識を奪われている。
無意識の内に、ここまで明確な敵対行動を取れる者がいるなどありえない。
何故……。
彼の脳裏に疑問が巡る。
そしてその解が出ぬまま――。
不動のもう一方の手が、男の頭頂へ伸ばされる。
髪の毛を掴むと、口元を塞ぐ手と同時に力を込め……。
男の首が、上下反転する。
――男は絶命した。
蝋燭の火が燃え尽き、部屋は純粋な闇に満たされた。
どうすればいいのか。
僕は考え続けた。
召喚者を殺す。
そのためには何をすればいいのか。
戦いで勝つためには、戦略が必要だ。
そして、戦略を実行するための手段も。
僕にはどんな手段がある……。
亮二の剣とナイフ。
ジェシカとトーマスに教わった剣術。
それだけ……。
いや、違う。
まだある。
ジャグリング。
投げナイフ。
それに、僕の持ち味……。
トーマスが才能だと言ってくれた事。
僕の顔とそして……。
あとは、相手の情報。
手段と情報をすり合わせてこそ、最善の戦略が立てられる。
とはいえ、剣の腕がトーマスと同じという事と気配の察知ができるという事くらいしか、相手の事がわからない。
まず、剣の腕では勝てない。
でも、気配の察知ができるから奇襲も気付かれる。
つまり……。
正面から戦いを挑む事しかできないが、正面からでは勝てない。
絶望的な状況だ。
勝てる要素がない。
それでも殺すためには、どうすればいいのか……。
僕はそれを考え続け、そして一つの方法に思い至った。
多分、僕にできる唯一の方法。
僕の持つ手段では、これだけが唯一あの男を殺す可能性を秘めている。
それに賭ける事にした。
あの召喚者の居場所は、簡単に割れた。
今の奴は、トーマスの姿をしている。
トーマスはここでも何度か興行を行っていたらしく、彼の顔を知っている人が見つかったのだ。
運よくその人に聞き込みをする事ができ、彼の目撃談から僕は奴の居場所を知る事ができた。
そこは歓楽街だった。
酒場や風俗店の林立する場所だ。
奴は、そこで度々姿を見られているらしかった。
実際、僕はそこへ足を運び、すぐに奴を見つけた。
「また来るぜぇ」
陽気な声を上げて、酒場の中から出てくる。
顔が赤く、足取りも覚束ない様子だ。
僕にとっては、とても都合の良い状態だった。
知らず、強く歯を噛み締めていた。
唇の端を挟み込んでしまったらしく、肉に食い込んで血が口の端から流れる。
奴は何の憂いもないように、堂々としていた。
ただただ楽しげだった。
無論の事、そこに悔恨の色など見えない。
あれだけの事をしておきながら、彼は平然としている。
彼にとって、あの日の出来事は気に留めるほどの事でもなかったのだろう。
その様子が一層に、憤りを強くした。
こんなに、誰かを憎んだ事はない……。
奴はトーマスを殺し、その姿を奪った。
助けてくれた恩人をただ、自分の利己のためだけに殺した……。
そして、キャロルの心を傷つけて、不幸にした……。
奴の存在は、今も彼女を不安で苛み続け、苦しめている。
だというのに、あんなに楽しげにしている。
あんな男が、今も生きている事が許せない。
でも、その憤りは消さなければならない。
自分に、この感情を消す事ができるのだろうか……。
自信はない。
でも、それができなければ、僕に奴を殺す事はできないだろう。
憎しみは殺気となって現れるだろう。
そうなれば、奴に察知される。
だから、僕は殺気を抱かずに奴へ近づく必要があった。
できるさ。
僕は心の中で自分に言い聞かせる。
だって、僕は僕じゃないから……。
僕はただの少女だ。
女の子だ……。
口元を濡らす血。
その血を唇へ塗りつけるように拭う。
口紅の赤で誤魔化すように。
ドレスだって着ているし、カツラも着けた。
お化粧もしている。
どう見ても女の子だ。
あいつにも、僕が僕だとはわからない。
僕は、奴に向けて歩き出す。
ただ、好みの男性を見つけたから、声をかけようとしているだけ。
それ以外の他意はない。
あの男とは、今まで一度も会った事がない。
だから、恨みようもない。
そう、あんな奴は知らない……。
そう自分に言い聞かせていくと、自分ではない別の自分が出来上がっていく気がした。
奴にしがらみを持つ僕《不動》という人間が眠りに着き、別の誰かが形作られていく。
気付かれるはずがない。
いいえ、何に気付かれるというの?
何も気付かれて不味い事なんてないのに。
何で私、こんな事を考えているのかしら?
不思議ね。
「こんばんは。おじさん。いい夜ね」
私は笑顔を浮かべて、彼に声をかけた。
「あん?」
彼は赤ら顔を怪訝に顰め、私に向いた。
しかし私を見ると、彼はすぐに表情を綻ばせた。
「これは美人さんだな。俺に何か用か?」
「特に理由なんてないわ。ただ……好みの男性がいたから声をかけただけ」
「こんなしょぼくれたおっさんに?」
疑問を口にするのとは裏腹に、彼は楽しげな笑みを作る。
素敵な声ね……。
そういう所も好みだわ。
「年下に興味はないの。そんな人と一緒にいても、ちっとも楽しくないわ」
「いいな。見る目があるよ」
彼は愉快そうに笑うと、私の肩に手をかけた。
そのまま引き寄せ、片腕に抱く。
「このままキスしてやろうか?」
「いいの? 嬉しいわ」
にっこりと笑って答えを返す。
彼の顔が私に寄せられてくる。
私は目を閉じて、それを受け入れる。
そっと、唇に彼の唇が触れる。
そのまま体を抱きしめられる。
ああ、気分が良い。
素敵な人……。
だから、私は彼を殺したいわけじゃないの……。
ただ、このナイフをその体に突き刺したいだけ……。
致命傷になるような太い血管に、ナイフを突き刺したいだけ……。
体中を何度も、斬りつけてやりたいだけ……。
それだけの事……。
殺したいわけじゃないの……。
「ぐぅぅ……っ!」
痛みを堪えるような、搾り出された悲鳴。
それは彼の口から漏れた物だった。
その悲鳴は、私の手に握られたナイフが引き出した物だろう。
脇腹にナイフが刺されていた。
そのまま私は、上へ向かって順々にナイフを抜き差ししていった。
腰部の付近から、脇の下まで、順々に肋骨を避けて突き刺し、首までを突き刺していく。
そして、喉を連続で何度か斬りつける。
一瞬の出来事、多重する痛みからか、彼が私から離れる。
そのまま彼は、うつ伏せに転がる。
「……っ! ……っ!」
喉を斬り付けられたから、もはや声は出ないようだった。
ただ言葉にならない音だけが出て、声の代わりに止め処なく血液が流れ続けている。
彼は、這ってその場から逃げようとしていた。
その後ろに血の軌跡を描きながら。
どうしたのかしら?
どうして私から離れるのかしら?
不思議に思いながら、彼を見下ろし……。
私は消えた。
「お前は、キャロルが幸せに暮らすためには邪魔な存在だ」
僕はそう告げて、ナイフを奴へ投げつけた。
亮二のナイフは、奴の後頭部へ突き刺さり、頭蓋を貫通して刃の半ばまでを地面へ埋めさせた。
同時に、奴の体から力が消え、頭が力なく地面へ伏した。
頭が地面に落ちるのと同時に、バシャと血溜りを叩くかすかな音が発せられる。
殺した……。
僕が、殺したんだ。
その事実を再確認するように、心の中で呟く。
達成感などない。
ただ気分が悪かった。
でも、堪えられないほどじゃない。
僕は、この世界に来て、人の死に慣れすぎてしまったのかもしれない……。
いや、殺人への嫌悪よりもきっと、こいつに対する恨みの方が強かったからだろう。
あの時と同じ。
亮二を殺した時と……。
この心理状態の真偽はどうあれ……。
これでもう、キャロルが怯えずに済む。
それは良い事だ。
そう思えば、僕に後悔はなかった。
帰ろう……。
僕はドレスを手早く脱いだ。
血に濡れたドレスは目立つ。
近くに隠し置いていた鞄にカツラとドレスを入れて持ち、ナイフを回収して帰路へ着く。
人気のない夜の町を駆けていく。
荒い息、速くなる鼓動。
それだけが聞こえてくる。
すると、少しずつ心が落ち着いてくる。
これでキャロルは大丈夫だ。
彼女は安心して暮らせる。
もう、何も不安なんてない。
そして僕は、彼女と一緒に生きていく。
トーマスに頼まれた事だから。
僕は彼女のそばにいる。
今はまだ、僕に彼女を支えるだけの力なんてない。
でもいつか、それができるようになろう。
何。
これからはきっと、今までみたいに厳しい事なんてないさ。
だって、もう邪魔になる人間はいないんだから……。
だから、平穏に暮らしていける……。
そのはずだ。
そんな事を思っていた時だった。
バチバチという派手な音が鳴る。
それと共に行く道の横手に伸びる路地から、青白い光が迸って闇を散らした。
電気?
雷?
そう思わせる音と光だ。
僕は道の角へ身を隠しながら、その道をうかがった。
そこには二人の男女がいた。
女性は壁に持たれて座り込み、身をかすかに痙攣させていた。
男性はそんな女性の様子を見下ろしながら、笑みを浮かべていた。
「や、め……て……!」
女性が弱弱しい声で言う。
「安心しな。死にゃしねぇよ。そういう加減は得意なんだ」
言うと、男は手の平を上にして見せた。
その手の平から、小さくバチバチと青白い光が発生した。
あれは……魔法?
いや、能力だ。
女性の言葉はこの世界の言語だが、男性の発した言葉は日本語だった。
なら、召喚者だ。
「何せ、死んだ女とヤる趣味はねぇからよ。へへへ」
何言ってるか、わからねぇだろうけどな。
そう言って男性は、女性へ手を伸ばす。
胸元の衣服に手をかけ、シャツを引き千切った。
ボタンが弾け飛ぶ。
「やっ……た、た……すけ……」
女性は、助けを請う。
目の前で何が起こっているのか、僕には理解できた。
多分この光景を見た誰もが、説明されるまでもなくわかる事だ。
召喚者が、女性を襲っている。
この世界の人間を虐げようとしている。
襲われる女性の姿が、キャロルと重なった。
キャロルだけじゃないんだ……。
召喚者のせいで、不幸に陥る人間というのは……。
助けなくちゃ……。
相手は召喚者。
電気を操る。
あとはどんな能力があるかわからない。
どう戦えばいい……?
すぐに思い浮かばない。
時間が無いのに……!?
戦略を立てられず、戦いに挑むのは無謀だ。
能力のない自分では、返り討ちに合うだけかもしれない。
でも……。
今そこで、苦しんでいる人間がいる。
それに……。
許せない……!
自分でも信じられないほどの、強い怒りを覚えた。
僕は剣の柄を握った。
戦略はない。
ただ走り寄り、斬る。
その一撃に全てを賭ける。
僕には、それができる。
そう自分に言い聞かせ、勇気を奮い立たせる。
そして、道の角から飛び出ようとした時だった。
僕の肩に、手がかけられた。
思わぬ事に驚き、振り返る。
そこには、見知った顔があった。
「ジョエルさん?」
それはジョエルだった。
「見ていろ」
「え?」
僕が呆然と声を漏らす間に、ジョエルは召喚者の方へ歩いていく。
無造作に、まるで何の危機も感じていないかのように、召喚者の方へと向かった。
召喚者が、そんなジョエルに気付いた。
「誰だ、お前?」
「新島 真吾だな?」
召喚者の問いに答えず、逆にジョエルは訊ねた。
その言葉は、日本語だった。
「何で俺の名前を知っていやがる?」
「確認できたのならそれでいい」
ジョエルはそれだけ答えると、さらに召喚者へと迫った。
「馬鹿が」
言うと、召喚者はジョエルへ手をかざした。
その手から、電光が迸る。
光が闇を切り裂き、ジョエルへと殺到した。
しかし、それら全てを身に受けながら、ジョエルには一切動じた様子がなかった。
感電による痙攣も見られず、歩く速度も緩めずに、彼は召喚者へ近づいていく。
「な……何だてめぇ!」
自分の攻撃が効かない事に、召喚者は明らかな焦りを見せた。
手の届く範囲まで近づかれ、召喚者は電光によって青白く輝いた拳をジョエルへ放った。
ジョエルの顎を殴りつけるが、それにすらもジョエルは無反応だ。
そして……。
無造作に振るわれたライトアッパーが、召喚者の顎を捉える。
跳ね上げられた召喚者の顔が、真上を向き……。
それどころか、背面へと向いた。
顔はそのまま戻らなかった。
明らかに首の骨が折れている。
召喚者はその場で膝を折り、うつぶせに倒れた。
それでもなお、その顔は上を向いていた。
明らかに異常な光景だった。
召喚者の能力を行使した攻撃が効かず、そして軽い一撃で人の命を奪える攻撃。
ただの人間にできる事ではない。
そんな事ができるとすれば……。
日本語を話した所から見ても、多分ジョエルは召喚者だ。
僕はそう、結論付けた。
ジョエルは、女性に向く。
女性は怯えた素振りを見せる。
たとえ助けられた相手であっても、女性にとっては恐るべき力を持った人物である事には変わりない。
襲われる相手が別の人間になっただけではないか、という不安があるのだろう。
「死体を片付け、彼女に手当てを」
「はい」
ジョエルがいずこかへ告げると、どこからか返事があった。
その返事をした誰かの姿は、どこにも見えない。
ジョエルはこちらに向かい、歩いてくる。
「あなたは、いったい……?」
「ついてこい。話をしよう」
そう言うと、ジョエルは歩き出した。
こちらを振り返らず、夜道を歩く彼。
そんな彼の後ろに、僕はついていった。
「私は、暗殺ギルドの人間だ」
しばらく道を歩き、ジョエルは唐突に告げた。
「暗殺ギルド?」
「そして、トーマスもまたその一員だった」
「トーマスさんが?」
「興行を隠れ蓑に、各地で依頼された人物を暗殺する暗殺者。それが彼の裏の顔だ」
急に言われて、それを全て信じる事はできなかった。
けれど、腑に落ちる部分があった。
トーマスは順当に街道を巡って興行をする事がなかった。
距離が離れていようと、近かろうと、気まぐれに次の興行の場所を選んでいた。
町であろうが村であろうが、関係なく規則性はなかった。
でも、気まぐれに思えた興行地の選定も、全ては暗殺ギルドの依頼をこなすためだったのかもしれない。
剣の腕もそうだ。
一介の興行師にしては、腕が立ちすぎる。
ジョエルの後を歩いていたけれど。
気付けば僕は、彼の隣を歩いていた。
彼が歩みを遅くしたのではない。
僕が、彼と話をしている内に、歩みを速めていたからだ。
僕が彼の話に興味を持ったからだ。
「彼は優秀な暗殺者だった。だが、そのやり方は危険だった。彼は何よりも理解を優先した」
「理解を?」
訊ね返すと、ジョエルは頷いた。
「たとえ殺す相手であろうと、一度は対話を試みる。理解しようとする。そしてどのような人間かを見定める。そして場合によっては、暗殺の正当性を疑い本部へ暗殺の正否を問う事もあった」
トーマスらしい。
僕にはそう思えた。
「だからこそ、命を落としたとも言える。……いや、これは言い訳だ」
「どういう意味ですか?」
彼の発言を不可思議に思い、僕は訊ね返す。
「トーマスを殺した者に手傷を負わせたのは私だ。しかし、逃してしまった。その結果が巡り、トーマスを死へ追い込んだ」
苦しげな表情で、ジョエルは言う。
まるで懺悔するように、悔やむような声色だった。
そうか……。
そんな事が……。
「……彼が対話を優先したのは、彼にとっての正しさがその方法を必要としたからだ。彼は、その正しさに殉じた。……そして私は、彼が遺したものを見定めようと思った。君が、あの召喚者をどうするのか……。それを見届けようと思った」
もしかして、彼は僕があの召喚者を殺す所をうかがっていたのだろうか?
実際にそうなのだろう。
だから彼は、こんな場所で僕に声をかけたのだ。
この人は一度、あいつと戦っている。
そしてあいつを瀕死に追い込み、右腕をもぎ取ったのが彼だとするならばあいつの事も簡単に殺してしまえるだけの力を持っているのだろう。
そして、この人はトーマスの仇を討ちたかったはずだ。
けれどその感情を抑え、僕の行動を見届けた。
それも、友人を想っての事だ。
「君があの召喚者を殺した理由は、キャロルを想っての事だろう。しかしそれは正義ではない」
「わかってます……。これは、ただの恨み……。私怨です……」
「それも違う」
僕の答えをジョエルは否定する。
「それは、義憤と言う物だ」
義憤……。
怒り……。
「正義という物は、不確かな物だ。人はそれぞれ自らの正義を持ち、その形は人によって変わる。悪と呼ばれる者にだって正義は宿る。正しさとは、そんな矛盾した代物だ」
まるで「正しさ」という物に価値を見出していないかのように、彼は語る。
「ゆえに、絶対的に正しい物などこの世には存在しない。もし、それでも絶対的な正しさを主張する者がいたとすれば、それは愚か者だ」
正しさ。
なら、トーマスはどうなるのだろう。
彼の話によれば、トーマスはその正しさに殉じたという。
彼が持っていた信念にも、価値はないと言うのだろうか?
いや、違うのか。
その正しさによって友を失ったからこそ、正しさを厭うのか……。
「だから、我々はそれを重要視しない」
「なら、何を?」
「それこそが義憤だ。我々が最も重要とする感情。個々人がそれぞれの胸に抱く、憤りだ。我々の組織はその感情で繋がっている」
それが彼の属する暗殺ギルド。
「組織には、義憤を抱く者が集う。この世界には、虐げられる弱者がいる。虐げる者は皆、力ある者達だ。それは無法者であり、権力者であり、そして、召喚者だ」
召喚者。
その言葉に、僕は息を呑む。
そうだ。
その通りだ。
彼の言葉に、僕は強い共感を覚えた。
「そんな強者達によって、多くの者達が虐げられている」
ついさっき、襲われていた女性だってそうだ。
召喚者は、この世界の人間を不幸にする。
僕はそんな人間に、強い怒りを覚える。
これが、彼の言う義憤か。
「我々はその理不尽に、義憤を覚えた者達。上下の位、戒律などなく、ただ義憤を胸に抱き人を殺す。それを主とする組織だ」
言うとジョエルは立ち止まり、僕を見る。
僕も立ち止まって彼の顔を見上げた。
「そして君は、その感情を持ち、その感情を行動に移せる強い心を持っている。君ならわかるはずだ。この理不尽が罷り通る世界の歪さを……。それが間違いだと思える心も持っているはずだ」
……理解はできる。
そして、共感も……。
「だから私は、君が欲しいと思った」
「僕を?」
「そうだ。組織には、君のような者が必要だ。……君は能力的な面で及ばぬ所が多い。しかしそれでも、我々にとってもっとも重要な素養を持っている」
それが、今僕の覚えている感情か……。
彼の言う事は正しいのかもしれない。
僕の感情に義があったのか……?
個人的な復讐心だけがあったのではないか……?
それは定かではない。
間違いなくそうだとは言い切れない。
ただ、憤りは確かにあった。
傷つけられたキャロルの心を癒したい。
その気持ちも確かにあった。
でも、僕を突き動かした感情は、キャロルの心を傷つけられた事への憤り。
それを許せない気持ちの方が強かったようにも思える。
いや、キャロルだけじゃない。
マーサ、ジェシカ、傭兵団のみんな……。
召喚者は、この世界の人間を不幸にしている。
それが今も、許せない。
今日、目の前で死んだ二人の召喚者だけじゃない。
目の前にはもう、この世界の人間を虐げる召喚者はいない。
けれども、世界のどこかでは誰かが召喚者によって今も虐げられている。
そう思うと、怒りが消えない。
そして僕は、この世界で知り合った大事な人達を守れなかった。
それは力が足りなかったから……。
そう思っていた。
でも、それは根本的に違うのかもしれない。
僕自身も召喚者だ。
召喚者には、この世界の人を不幸にする事しかできないのかもしれない。
僕もまた、彼らと同じ……。
だから僕はきっと、人を守る事ができないのだ。
僕にできる事は、人を殺す事だけなのだ。
もし人を活かす事ができるとするなら……。
何かを殺す事でしか、成しえない。
だから、誰かを守ろうとする事は間違った方法だったんだ。
だからもう、それに気付いた今は、その方法を間違えない。
誰かを活かすために、僕は殺す人間になろう……。
召喚者は、この世界の人間を人間として見ていない。
なら、そんな召喚者を人間として見ない者に僕はなろう……。
召喚者がこの世界の人間を不幸にするのなら、僕はその者達の報復を担う存在となろう。
そう、決意する。
そんな僕に、ジョエルは手を差し出した。
僕はその手をじっと注視する。
「どうする? 君が私達の理念に共感するならば、この手を取れ。そうすれば、私は君に今以上の手段を与えよう。君の義憤を形にするための、あらゆる手段を……」
ジョエルが問う。
僕は答えなかった。
ただ、黙ってその手を取った。
「ようこそ。我らが義憤同盟へ……」
尾上 彰道
能力名『精神掌握』
相手の心理状態をある程度把握する事で、自分のコントロール下に置く能力。
彼は日本において精神科医をしていた男性。
人の精神に興味を持ち、あらゆるケースの精神疾患や精神構造を知りたいという理由からその道を志した経緯がある。
医師としては優秀。
闇社会のボスに召喚され、同じ境遇の召喚者達に頼まれてカウンセリングを行っていた時に自分の能力を把握する。
闇社会のボスを操り、組織そのものを乗っ取った。




