十二話
闇の中。
蝋燭の灯り。
暗い部屋。
「三人で過ごした時間は、得がたい物だった。あれは多分、幸せと呼べる物だったんじゃないだろうか」
不動の声が闇に響く。
「そして、多くの物を学んだよ。大道芸も、剣の扱いも……」
不動の言葉は、言葉尻が弱かった。
男は、そこに彼が何か含みを持って話している事に気付く。
先を促すでもなく、相槌もなく、男は黙した。
その沈黙に堪えかねたように、不動はさらに続ける。
「……自分が如何に無力で、愚かしかったか。あんな事があったのに、性懲りもなく僕は自分の力で人を守れるかもしれないと思っていたんだよ」
僕が一座に拾われてから、三ヶ月ほど経った。
ある町での公演。
「皆様。今日は我がマークス一座の公演に足をお運びいただき、誠にありがとうございます!」
トーマスが公演用の衣装に身を包み、観客達へ声を張り上げる。
「私は、当一座の座長マークスと申します。そして、この二人」
トーマスはそう言って、ドレスに身を包んだ僕とキャロルを示す。
「我が一座が誇る看板娘」
「キャロルです」
「フドウです」
二人揃ってスカートの両端を軽く摘み、頭を小さく下げて挨拶する。
最初は抵抗があったけれど、こうして高く保った声色で挨拶する事にも慣れた物である。
挨拶すると、観客から歓声が上がった。
観客の数は多く、すでに人垣ができていた。
前に訪れたかどうかで、客の入りも変わる。
これだけ多くの観客がいるという事は、マークス一座は一度この町へ訪れた事があるのだろう。
「可憐な二人に歓声をありがとう。本当に愛らしい二人ですね。特にこのフドウちゃん。思わず守ってあげたくなっちゃう可愛らしさです」
そう言いながら、トーマスが僕の方へ歩み寄る。
「しかしこのフドウちゃん、実はこの可憐な見かけに寄らず大変な特技を持っています。まずはそれをご覧に入れましょう」
トーマスの言葉を合図に、僕は三本のナイフを取り出した。
それを一つずつ宙に投げ、ジャグリングを始める。
それを見た観客が歓声をあげる。
「彼女は刃物の扱いを熟知し、巧みに操る事のできる剣の申し子なのです。しかし、これは彼女の数多くある特技のほんの一部に過ぎません」
トーマスが客の注目を浴びる間に、小道具を取りに行っていたキャロルが僕へ剣を渡す。
亮二の物ではない。
普通の剣だ。
キャロルが木の板を取り出し、観客へ見せる。
板は、一辺十センチ程度の正方形だ。
比較的斬りやすくなるよう、軽すぎず厚すぎない木板だ。
「種も仕掛けもございません。ただの木板です。このキャロルが板を投げ、それが落ちるまでの間に、このフドウが剣で板を斬りつけます。見事両断されれば喝采を」
トーマスが説明し、その間にキャロルは何の仕掛けもない事を示すように手で木板を叩く。
僕は剣を構え、集中する。
僕にはできる。
木の板が落ちるまでに、僕はこの木を斬る事ができる。
それだけの腕が僕にはある。
そう自分に言い聞かせる。
その言い聞かせた自分へ、自分の力量を近づけるように暗示をかける。
そんな僕の前に、キャロルが木の板を投げる。
宙にある木の板へ、僕は斬りかかる。
落ちる木を狙って刃が閃く。
地面へ向かう木の板が、二枚に両断されて落ちた。
トーマスがそれを拾って、観客へ見せるように高く掲げた。
その様子に歓声が上がる。
よし……。
笑顔を崩さないまま、心の中で成功の喜びを噛み締める。
「インチキだ!」
歓声の中、そんな声が上がった。
かき消されるようにして、歓声が止まる。
声のした方を見ると、人垣を強引に掻き分けて一人の男が姿を現した。
男は皮鎧を着ていた。
風貌からして剣士のようだ。
装備が軽い所からして、おそらくは小型モンスター退治やトレジャーハントを生業とする類の人間。
冒険者と呼ばれる者だろう。
男は、僕を睨み据えたまま、まっすぐにこちらへ向かってきた。
そんな彼と僕の間に、トーマスが割り込む。
「どうしました? お客さん」
若干戸惑いつつ、男は視線を僕から直近のトーマスへ移した。
そのまま怒りの矛先もトーマスへ向け、怒鳴りつける。
「今の見世物は剣術ではないだろう! ただの手品だ!」
「いえいえ、滅相もございません。最初に申しました通り、タネも仕掛けもございませんとも」
「嘘だ!」
彼はトーマスの言葉に聞く耳を持たず、頭ごなしに否定した。
何が彼をそうさせるのか、今の見世物が偽物であると決め付けたいようだ。
偽物ではないのだけど……。
これは僕が、練習に練習を重ねてできるようになった事だ。
「このような細腕の少女に、あのような事ができるはずもない。何か、仕掛けがあるのだろう」
「仕掛け、ですか……」
トーマスが呟く。
どうしよう。
荒事を嫌ってか、離れようとしている客の姿も見える。
これはまずい。
どうにかしないと……。
そう思っていると、トーマスはおもむろに男へ背を向けた。
僕の方へ手を差し出した。
剣を渡せという事だろうか?
その意図を察して、僕はトーマスへ剣を渡す。
トーマスは再び男の方へ向かって歩くと、持っていた木板を男の顔へ向けて放り投げた。
それに反応して、男が腰に佩いた剣へ手をかけた。
が、それよりも速くトーマスは剣を抜き、斬りつけた。
宙に舞った二枚の木板が両断され、さらに四枚へ分かれる。
そして木の板を切り裂いたトーマスの剣は、その切っ先を男の首元へと突き付けていた。
男は、剣を鞘から半ばまで抜いた体勢で固まってしまう。
トーマスがその気なら、簡単に命を奪う事ができる。
そんな態勢になれば、動く事などできないだろう。
「恥ずかしながら、彼女の剣は私の教えた物です。タネも仕掛けもございません」
静かな口調で、トーマスは男へ語った。
説得力があった。
トーマスは二枚に分かれた木板を空中で両断した。
これは一枚の木の板を斬る以上に難しい事だ。
そしてその難事を成した後に、男の反撃よりも速く刃を首元へ突き付けて動きを封じた。
恐るべき速さである。
その一瞬の出来事だけで、男はトーマスの力量を十分に悟った事だろう。
「あ、ああ。わかった」
男は冷や汗を流し、青い顔で答えた。
それだけ言うと、踵を返して離れていく。
「演目に協力くださった剣士様に感謝を」
それを聞いた観客達がどよめき、その中に拍手が混じり始める。
その拍手は、去っていく剣士にも向けられていた。
なんだ、演出だったのか。
と観客達の話す声が聞こえた。
僕が気を揉む必要なんてなかったみたいだ。
トーマスは簡単に、トラブルを治めてしまった。
改めて、僕はトーマスがすごい人物だという事を実感した。
その夜。
見世物を行った公園で、トーマスに見てもらいながら僕は剣の鍛錬をしていた。
それが毎日の日課になっていた。
教えてもらった型の反復練習を終えて、休憩する。
「トーマスさんはすごいですね」
「ん? 何の話かな?」
本当に何の事かわからないという様子で、トーマスは訊ね返す。
「今日の……剣士が乱入してきた時の事です」
何だ、そんな事か。
とトーマスは小さく微笑む。
「ま、こういう商売をしていれば、ああいう事も珍しくない。場数を踏めば慣れるものさ」
「それだけじゃなくて、短い時間で僕をここまで鍛えてくれた事もです」
僕一人が鍛錬を続けても、ここまで上達しなかっただろう。
きっと誰にでもできる事じゃない。
「君は、今までにも剣を振り続けてきたんだ。基礎はできていた。だから、その分上達までに時間がかからなかっただけだよ」
基礎、か。
ジェシカに教えられた事が、今に繋がっているんだな……。
そうしみじみと思う。
「僕も、トーマスさんのような事ができるようになるでしょうか?」
「同じ人間にできる事だよ。できないという道理はない。まぁ、召喚者の技能は例外だが」
「そうですね」
もはや、召喚者の技というのは人の領分ではないのだろう。
技能の範疇を超えている。
生物的に、別物と考えるべき物だ。
「練習を詰めば、いずれは君もできるだろう。が、できるようになってどうしたい?」
「え?」
「私の手伝いだけなら、もう今でも十分だと思うぞ」
そう、なのか……。
僕は、トーマスがキャロルを守るお手伝いをするために、剣を教わっていたんだ。
提案をした彼がそう言うのなら、確かにその通りなのだろう。
「……もし、それ以上にできる事を増やしたいのなら、何も剣である必要はないと私は思う」
「たとえば?」
「そうだな。キャロルから教わっているジャグリング。あれみたいに、他の大道芸を覚えるというのもいい。少なくとも、剣の技能を持っているよりも、そちらの技能を持っている方が安全に金を稼げる。最悪、それだけできれば生きていける」
そっか。
……ここでの剣は護身のためだ。
傭兵団にいた時とは違う。
戦場で戦って稼ぐ必要はない。
剣は、生きるために直結する技術じゃないんだ。
「剣の技術は今でも十分だよ。たとえ実力が足りなくたって、あの剣が補ってくれる」
あの剣とは、亮二の剣だ。
確かにあれは、僕の力量を大きく補ってくれそうだ。
何せ、折れず曲がらず、何でも切れる剣だから。
……。
折れず、曲がらず?
「そういえば、あの剣はどうやって加工したんですか?」
「ん? ああそうだな。やたらと硬かったし、あの刃は何でも切ってしまうからな。叩いたハンマーが真っ二つになるくらいだ。鋭すぎて柄で包んでも一振りするだけで柄ごと切り裂いて刀身が飛び出てしまうし。おかげで指が無くなりそうになったっけ」
やっぱり。
でも、今はちゃんと剣として機能している。
振ると刃が飛び出すなんて事はない。
「どうやって解決したんですか?」
「ナイフの方があるだろう?」
「はい」
「あっちとぶつけて刃を潰したんだ。同じ素材だから、お互いに潰れたが。でも、お互いに潰れて刃がなくなってくれたから、柄で包む事ができるようになった」
なるほど……。
じゃあ、ナイフの方もぶつけ合わせていた方を柄で包んでいるのか。
「ああそれと、話は戻るが……」
「?」
トーマスの言葉に、僕は耳を傾ける。
「君はすでにとても大きな才能《武器》を持っているよ。それは練習ではどうにもならない、素養が必要な物だ」
「それは?」
訊ねると、トーマスは僕の顎をクイッと摘み持った。
「顔だな」
「……あんまり、褒められている気がしません」
そう言って、僕は首を振る。
トーマスの手を払った。
彼に背を向ける。
「冗談ではなく、有用な素養である事には違いない。花があれば、客足も多くなるからな。それに……」
トーマスは言い淀む。
その沈黙が気になって、振り返る。
すると、トーマスは苦笑を見せた。
「まぁ、持っていないより持っている方が有利だ。手段は多い方が、戦略の幅が広がる」
戦略……。
その言葉に、僕はマーサを思い出した。
彼女は僕に、あらゆる物に戦略が必要だと説いた人だ。
そして、戦略のために手段を増やせ、という事も言っていた気がする。
「まぁ、戦略は自分の手段だけが重要なわけではないのだがね」
「手段以外? それは何ですか?」
「相手の情報を得る事」
トーマスは笑みを浮かべて答えた。
「たとえば、昼間の剣士」
見世物に難癖をつけてきた人だ。
「身なりからして冒険者の類だろうが、装備がどれもお粗末だった。何より体つきが悪い。腕の良い冒険者なら、ああはならない。鍛錬不足で、栄養も足りていない事がそれだけでよくわかった。恐らく、稼ぎが少なくて食い詰めていたのだろう」
装備の質についてはなんとなくわかるけれど、体つきを見てその力量を測る事なんて僕にはできない。
トーマスはそこまで見抜いていたのか。
「だから、自分よりも立場も弱いであろう興行師の一座に難癖をつけて、金をせしめようとしたんだ」
「なるほど」
「で、私は彼の実力に気付いていたから、力量の差を見せつけてお引取り願う事にした。それが有効な手段だと判断したからだ。というわけだ。わかったかな?」
「はい」
僕は頷いた。
「まぁつまり……。自分の手段と相手の情報を照らし合わせ、方法を模索する事こそが最高の戦略だという事だ」
トーマスの言葉を受けて、僕は素直に感心した。
でも、一つ気になる事がある。
「もし、あの剣士が自分より強い相手だったら、どうしていたんですか?」
訊ねると、トーマスは目を鋭く細めた。
表情は笑みだ。
しかし、不思議な迫力があった。
「言葉を尽くして、平謝りしていただろうね」
トーマスは答えた。
本当に、そうなんだろうか?
トーマスなら、力量で相手に劣っていても何とかするのではないか。
そんな事を思ってしまった。
それは僕が、トーマスを過大評価してしまっているだけなのだろうか?
「今日はこれくらいにしようか。私も少し、用事がある事だし」
そう言うと、トーマスは馬車とは別の方へ歩いていく。
「これから?」
「ああ。知人に会ってくる。すぐ帰るさ」
そう言い残して、彼は夜の町へ消えていく。
彼はどんな町に来ても、夜に出かける。
知人に会ってくる、というのは彼の常套句だ。
その真偽はわからないが、本当だとしたら広い交友関係だ。
でもトーマスは、彼ならばそれが本当でもおかしくないとそう思わせる人物ではあった。
「ああ。そうだ」
トーマスは不意に振り返った。
「君の持っている素養はそれだけじゃない。もう一つある」
「それは?」
「それは――」
数日後、僕達は次の町を目指していた。
外は雨が降っていて、馬車の屋根を叩く音がする。
僕の部屋は布の屋根しかないため、こういう日は全て馬車の中へ荷物を避難させるようにしていた。
眠る時は、トーマスの部屋で眠る。
今も、トーマスの部屋にいる。
キャロルと二人きりだ。
トーマスは、御者台で馬を御している。
だからいない。
僕は、本を読んでいた。
前までは読むのに手間取っていた本も、今ではすらすらと読めるようになっていた。
キャロルはさっきまで衣装の手入れをしていたが、それが終わって暇を持て余しているようだ。
床に座ったままジャグリング用のボールを壁へ投げ当て、跳ね返ってくるボールを受け止めるという動作を繰り返している。
そんな彼女の投げたボールが、不意に僕の方へ飛んできた。
僕は手の甲でそれを軽く払う。
払ったボールが、キャロルの方へ飛んでいく。
彼女はそれをキャッチした。
ボールが僕の方へ飛んできたのは偶然じゃないだろう。
わざと、彼女はそう跳ねさせたのだ。
暇だから構えって事かな?
僕はそう解釈し、本を閉じた。
「本って面白い?」
僕が本を閉じるのを見計らって、キャロルが訊ねてきた。
「面白いよ」
「私にはわからない」
「好きな人は好きなんだよ」
「世の中、そんな物しかないじゃない。私は青豆嫌いだけど、お父さんは大好きだし。私は魚があまり好きじゃないけど、あなたはお魚好き。私はトマトが好きだけど、お父さんもあなたもトマトが嫌い」
「そうだね。世の中、そういう物なんだよ。多分」
「そんなに歳食ってないくせに、何を人生悟ったような事を言っているのよ」
キャロルだってそんなに歳食ってないじゃないか。
僕と同じぐらいでしょうに。
そんな言葉を飲み込み、僕は黙り込んだ。
会話が途切れる。
彼女が視線をそらしたので、僕は再び本を開いた。
彼女の身じろぎするかすかな音が聞こえる。
「ねぇ……」
「何?」
「お父さんへの借金って、どれだけ残ってるの?」
「あと、半年くらいで返済できると思う」
「返済したら、出て行くつもり?」
「うん」
「ふぅん」
再び、身じろぎする音が聞こえた。
紙面から顔を上げ、僕はキャロルの方を見た。
彼女は左足を投げ出し、右膝を曲げた状態で座っていた。
曲げた右膝に、頭を乗せている。
そんな彼女が、ちら、とこちらへ視線を向ける。
目が合った。
見られていた事にばつの悪さを覚えたのか、彼女は顔を上げる。
「このまま、一緒にいようとは思わない?」
「迷惑はかけられないよ」
「迷惑だなんて思わない。あなたのおかげで、今までより稼ぎが増えてるんだから」
そう言って彼女は、悔しいけれど、と小さく付け足した。
「だから、このまま一緒に……。三人でさ……。そんなに裕福とは言えないけど、それでも楽しい生活になると思うわよ」
「それは、僕もそう思うよ。ここで過ごすのは楽しくて……」
ただ、僕だけがそんな楽しさ……。
……幸せを感じながら生きている事に、少しの申し訳なさを覚える。
「でも、出て行くよ」
「そう……」
そこでまた会話は途切れ、再開される事はなかった。
唐突に、馬車が停まる。
「何だろう?」
キャロルが呟いた。
トラブルだろうか?
そう思って、壁に立てかけていた亮二の剣に手を伸ばす。
耳を澄ませていると、雨音の中に誰かの走る音が聞こえた。
足音は部屋のすぐそばを走り抜ける。
ノックの音が、後ろの入り口から聞こえた。
「キャロル! 開けてくれ!」
トーマスの声が聞こえる。
彼は、御者台で馬を御していた。
という事は、馬を止めてわざわざ外から走ってきたという事だろうか?
何故、中を通らなかったのだろう?
いつもなら、合言葉を使って開けてもらうのに、今日に限ってはその時間も惜しいという様に声をあげている。
何かそうせざるを得ない、緊急事態が起こったという事なのかもしれない。
「わかったわ」
キャロルもそれを察したのだろう。
入り口を開けようとする。
「待って。僕が」
僕はそれを制止する。
剣を抜き身で右手に持ち、用心しながら入り口を開ける。
すると、そこにはトーマスがいた。
その姿を見て少しホッとする。
が、彼の腕の中に居る者を見て、緊張を覚えた。
彼は、一人の幼い少女を腕に抱いていた。
彼女は酷い怪我を負っているようだった。