十話
更新が遅れ、申し訳ありません。
闇の中。
蝋燭の灯り。
暗い部屋。
「僕は、生き残ってしまった……。度し難い事に、僕はそれに負い目を感じていなかった。ただ、みんなに置いていかれてしまった事を嘆いてばかりだった。だから、みんなを追いかける事だけを考えていた」
「それでもあなたは、今も生きている。もちろん、心境の変化があったからなのでしょう?」
「……どうだろう。ただ、死ねなくなっただけ……。何もかもを投げ出して死ぬ事を許されなくなったから、生きているだけなのかもしれない」
前の時と比べて、僕はすぐに歩けるようになった。
最初の二、三日は杖を使って歩いていたが、それ以降はおぼつかないながらも自力でも支障なくなった。
召喚され、訓練も受けずに能力頼りに戦場へ出されていた時とは違う。
僕はジェシカに鍛えられて、少しは体も頑丈になっていたという事だろう。
この調子なら、ここを出て行く日もそう遠くは無さそうだった。
どうやら、このマークス一座は大型の木製馬車で各地を巡っているらしかった。
胴の長い木製の馬車で、中は三つの部屋に区切られている。
家の代わりにもなる大きな馬車だった。
キャンピングカーのようなものだ。
僕が寝ていた部屋はトーマスの部屋で、馬車の最後尾にある。
そこから共用スペース件小道具置き場となる部屋を挟んで、先頭にはキャロルの部屋があった。
料理や洗濯は水場を見つけて外で行うようにしているそうだ。
肩の怪我が癒えると、トーマスが馬車の上に新しい部屋を作ってくれた。
部屋と言っても最低限の柱と天井、壁は布を張っただけの簡素なものである。
壁はないが、転落防止に木の柵をつけてくれていた。
転落すると危ないので、家具の類は一切無い。
布団一式があるくらいだ。
ベッドを用意できない事を申し訳ないとトーマスは言っていたが、むしろ日本ではそれが当たり前だったのでまったく気にする事じゃなかった。
日本……。
召喚されて一年も経っていないのに、酷く遠い過去のように思える。
「今はこれが精一杯だな。冬場は堪えられないだろうが……。夏は涼しくていいだろう。これからの季節には丁度いい」
この世界の季節を僕は把握していなかったが、今の季節は多分春なのだろう。
思えば、少しずつ気温が上がっているようにも思える。
彼の言うように、夏が近いのだろう。
「僕は怪我が治ればここを出て行くつもりです。ここまでしてくれなくても、よかったのに……」
そう、僕はここから早く離れてみんなの所に行きたいんだ。
「まぁ、いいじゃないか」
トーマスは僕のぶっきらぼうな言い方に嫌な顔ひとつせず、むしろ笑顔でそう答えた。
その意図を察したのは、それから少し後になる。
その日、僕はマークス家の家族会議にという物に出席させられた。
場所はトーマスの部屋だ。
部屋の主であるトーマスは、床に座る僕とキャロルの前に立った。
会議と言うからには議題がある。
トーマスはそれを口にする。
その言葉を向ける先は、僕に対してだった。
「さて。この数日、君にはここで生活してもらったわけだが……。君が食べた食事、手当てや世話、それに馬車の改造費用と手間賃などでいろいろと思わぬ出費をしてしまった」
「……はぁ……そうですね」
「で、君にはそれの返済をしてもらいたいと思っている」
トーマスの言葉を聞いて、キャロルが顔を顰めた。
「お父さん。それは恩着せがましくない? いつもなら――」
「まぁいいから」
そんなキャロルの言葉をトーマスは止める。
トーマスの言う事は、もっともな事である。
そう言われるなら、僕としても応じたい……。
ただ、問題があった。
僕は返すためのお金を一切持っていなかった。
「でも、僕には……」
「金が無い事はわかってる。だから、君には体で払ってもらいたい」
その一言で、リックを思い出した。
僕に親切だったリック。
でも、本当は同僚のランデルの事が好きだったリック。
本気で好きだからこそモーションをかけられないんだと相談を受けた日の事が懐かしい……。
みんな……会いたいよ……。
どうして、僕だけ残されてしまったんだろう……。
「お父さん……。まさか、フドウが可愛いからって……」
信じられない! という表情でキャロルが父親を見た。
でも、どうしてちょっと嬉しそうなの?
口元緩んでるよ。
「そうだな。フドウくんは可愛い。認める事は恐ろしいが、もしかしたらうちの可愛いお姫様以上に可愛いかもしれない」
トーマスが言うとキャロルは手近にあったクッションをトーマスへ投げつけた。
トーマスは娘の柔らかな攻撃を頭で受けると、何事もなかったように続ける。
「で、だ。その可愛らしさをこの一座のために使ってもらいたい。無論、君の返済が済むまで」
「はぁ……」
どういう事なのだろうか?
それがよくわからず、僕はただ言葉にならないそんな声を返すばかりだった。
「それまで、君はこの一座の一員だ」
僕は、なんとなくトーマスの意図を察した。
きっとトーマスは、僕がここを出て何をするのか気付いているのだろう。
だから、長く引きとめようとしているのだ。
そのために、あの部屋も作ってくれたのだろう。
トーマスは、僕を思いやって借金の返済を求めた。
僕の命を永らえさせるために……。
僕に、そんな価値なんてないのに……。
「明日には町へ着く。着いてすぐにマークス一座開演だ。君のデビューだぞ、フドウくん」
「え? でも、僕は何もできませんよ……」
「大丈夫だ。この一座は見世物を生業としている。つまり、見て楽しませられればそれでいいのだよ。そして君はすでに、そのための素養を持っている。あとは、ベテランの私達がフォローするさ」
そう言って、トーマスはウインクした。
その翌日、一座の馬車は町へ到着した。
入り口の門でトーマスが手続きを行い、馬車は町中へ入る。
そのまま大通りを抜け、町の広場で馬車は停車した。
そして、マークス一座開演のための準備が控え室で行われた。
僕も見世物のための準備を整える。
と言っても、僕がした事はトーマスとキャロルの指示を元に着替えを行ったくらいだ。
二人はすでにそれぞれの衣装を着込んでいる。
トーマスは燕尾服にシルクハットのいでたちである。
複雑な色合いをしていて、とても派手な衣装だ。
キャロルも白いドレス姿。
ラインをタイトに出しつつそれをフリルで飾った上半身から、スカートへ向かうにつれてふんわりと広がっていく末広がりのドレスだ。
スカートには、赤い花を模した飾りがいくつも付いている。
衣装が決まって着替えさせられると、あとはキャロルが仕上げをする。
「あの、これ……」
準備が終わると、僕は二人にそう言葉を漏らした。
「ああ、よく似合ってる。可愛いぞ、フドウくん」
トーマスがそう言って褒めてくれる。
今の自分を褒められる事は少し複雑な心境だった。
何故なら今の僕は、女の子の姿をしているからだ。
キャロルの衣装と対になったような黒いドレス。
ただ、キャロルの物と違ってフリルやスカートの飾りはない。
僕はこの姿で、観客達の前へ立つのだ。
「緊張してる?」
キャロルが僕の様子を察して訊ねてくる。
「うん」
素直に答えた。
トーマスは立っているだけでいいと言ってくれたが、それでもやっぱり緊張する。
それもこんな姿となればなおさらだ。
「不安なんだ。僕が男だってバレないかな?」
キャロルに訊ねる。
「正直、私にその不安はなかったわ」
けれど、キャロルは何も心配ないという風に言い切った。
「気になるなら、もう少し声を高く意識した方がいいな。元々、男性にしては高い方だが、その方が確実だ」
「喋る機会があるんですか?」
立っているだけで良いんじゃないの?
「気持ちの持ち様だよ。自分は可愛い女の子だ、という自覚を持つ人間は仕草にもそれが出るもんさ。慣れれば、その仕草だけで相手に錯覚させる事もできる」
言うと、トーマスは手近にあった布を手にとって口元を隠した。
目元だけが見える状態だ。
そして流し目をくれる。
それだけだと言うのに、その一連の動作と相まってトーマスが一瞬本物の女性のように思えた。
トーマスが布を放り捨てると、その印象も消える。
「だから、それを普段から意識するんだ。そうすれば君も女の子になれる」
別になりたいわけじゃないけど……。
「何せ、君はこの一座の看板娘になるんだから」
これからもこの衣装で見世物に出ろと?
「あら、看板娘は私よ?」
「それはもちろんだ。お姫様。ただ、綺麗な物は一つであるより多く並んでいる方がもっと綺麗に見える物だよ。花屋に陳列された花より、お花畑に生える花の方が綺麗だろう?」
冗談めかした口調のキャロルに、トーマスも冗談めかして返す。
「というわけで、開演だ」
え、もう?
「さぁ、意識しろ。自分に言い聞かせるんだ。自分は可愛い女の子だ、と。自分はそういう物なのだ、と暗示をかければ人はなりたい物になれる。人の体に限界はあるが、精神に限界はない」
意識……。
暗示……。
僕は女の子……。
僕は女の子……。
「あら」
「ほう」
キャロルとトーマスが何かに驚いた。
「あなた本当に素直ね」
「君は才能があるな」
どういう事だろう?
でも僕は女の子だ……。
僕は女の子だからどういう事でも関係ない……。
心の中で唱える僕の両手が、トーマスとキャロルに両方から掴まれて引かれる。
僕はそれに従って外へ出た。
馬車内の薄暗さに慣れた目には、太陽の光が眩しい。
目を眇めながら出ると、外には数名の人間がまばらに距離を開けて並び、僕達へ注目していた。
それほど人数が多いわけではないが、それでも複数の人間に見られるのは緊張する。
それも、この人達が目当てとしているのが、自分達のこれから行う見世物なのだと思うと余計に身も強張るというものだ。
「お集まりの皆々様。この度は、当マークス一座の見世物へ足をお運びいただきありがとうございます。私、座長のトーマスと申します。では、並びに当一座の花形である二人をご紹介致しましょう」
トーマスは恭しく礼をすると、キャロルと僕を手で示す。
「皆様から見て右手側がキャロル。左側がフドウ。当一座の看板娘二人組でございます」
「よろしくお願いします」
トーマスの紹介に応えて、キャロルはスカートの両裾を摘んで可愛らしくお辞儀した。
「よ、よろしくお願いします」
僕も彼女の仕草を真似てお辞儀する。
若干、声を高くして挨拶した。
「では、手始めに。投げナイフの妙技をご覧ください」
そう言うと、トーマスは僕に近づいてくる。
耳元へ囁いた。
「まぁ、安心してくれ。信じられないかもしれないが」
どういう事?
と問う前に、トーマスは僕の両肩へ手をやって声を高らかに上げる。
「これより、このフドウの頭に林檎を載せます」
「はい、林檎。載せました」
キャロルが僕の頭の上に林檎を載せた。
「そしてこの林檎をこれから、私が投げナイフで狙います」
え?
「失敗すれば哀れ、この若い命は散り、良くてもこの可愛らしい顔には生涯消えぬ傷が残る事となるでしょう」
その様を想像したのか、観客達からかすかなどよめきが上がる。
「ですが、成功すれば……。皆様方、彼女の勇気と私の技量に、喝采を以って報いてくれれば幸いです。あと、その喝采を賃金という形で振りまいてくださればさらに報われます」
トーマスが言うと、観客達が笑った。
場にあった緊張が少し和らぐ。
トーマスが衣装の中から、数本のナイフを取り出す。
キャロルが僕の近くに寄ってきた。
「大丈夫よ。この役を務めるのはいつも私なのよ。この顔に穴が空いているように見える?」
「見えない」
「だから大丈夫」
そう言ってキャロルは僕から離れた。
トーマスが投擲の動作に入る。
キャロルの言いたい事はわかる。
でも、僕はトーマスの力量を知らない。
だから、信じるという事は難しい話で……。
でも、急な話に関わらず、それほど恐ろしいとは思わなかった。
失敗しても、死ぬだけ……。
みんなの所へ行ける。
そう思うと落ち着いた心持ちだった。
ナイフが投擲される。
一本、二本と連続で投げられたナイフが僕の頭上にある林檎へ突き刺さる。
「さて、難しいのはここからですよ」
そう言うと、トーマスは布で目隠しをする。
その状態でさらに三本のナイフが投げられ、次々と林檎へ刺さった。
そして最後の一本をトーマスは上空へ投げる。
少し間があって、頭を押さえつけられるような衝撃があった。
見えないけれど、上に投げられたナイフが真上から林檎へ突き刺さったのだろう。
トーマスが目隠しを外してお辞儀すると、一際大きな歓声が上がった。
その間に、キャロルが近づいてきて林檎からナイフを抜いていく。
「頑張ったわね」
小声で労ってくれる。
でも、僕は立っていただけなので、あまり頑張った気はしない。
「次は何をすればいいの?」
小声で返す。
「可愛くしてて」
とても難しい注文が来た。
いや、でも僕は女の子だ。
可愛い女の子なんだ……。
自分に言い聞かせる。
そのやり取りが終わると、キャロルは抜いたナイフの一本を宙に放り投げた。
それを皮切りに、次々と上へ投げる。
投げられたナイフは落ちてくると、キャロルはそれをキャッチして再び上へ投げる。
その繰り返しを行う。
ジャグリングだ。
キャロルの始めた事に気付いた観客が、指を指して声を上げる。
不意に、その声が困惑に変わる。
キャロルのジャグリングしていたナイフが少しずつ少なくなっていっているのだ。
最初はわからなかったが、あからさまにナイフの数が減るとそれに気付く客も増えて困惑も大きくなっていく。
そしてついに、ナイフが一本になる。
その一本をキャロルは掴むと、トーマスの方に放り投げた。
トーマスがそれを受け止めてジャグリングを始めると、再びそのナイフの数が増えていった。
その様子に、観客達から再び喝采が上がった。
気付けば、最初それほど多くなかった観客の数が増えていた。
まばらだったそれは今、人垣になっている。
トーマスは最初の演目で、見事に人の関心を惹く事に成功したのだ。
しかしそれで終わりではない。
トーマスは間髪入れず、新たな演目を披露し始めた。
マークス一座の見世物は盛況の内に幕を閉じた。
主にそれはトーマスとキャロルが代わる代わる大道芸を魅せるという物だった。
内容も然る事ながらお互いの息がとても良く合っており、トーマスの演目が終わると同時に、キャロルが絶妙のタイミングで次の演目へ移るため、観客の関心を惹きつけて止まなかったのだ。
そして、最後の締めくくりはキャロルの歌だった。
トーマスがギターに似た楽器を弾き、キャロルが歌う。
それを締めくくりに、ショーは終わった。
僕はその間、出番がなく……。
ただ、キャロルの言われた通りに可愛くしている事しかできなかった。
できていたかはわからないけれど。
「大儲けだ!」
銅貨や銀貨でいっぱいになった木箱を見せて、トーマスは嬉しそうに言った。
見世物を見たお客さんが、投げ入れていってくれたものだ。
「これもフドウくんが可愛いかったからだな」
「いえ……。僕は何もできませんでした」
本当に何もしていないので、そう言われて少し申し訳なくなった。
「いやいや、残念ながらうちのお姫様だけじゃここまでおひねりは貰えない。残念な事だが」
トーマスが冗談めかして言うと、キャロルの鋭い外門頂肘《肘打ち》が彼のわき腹へ刺さった。
「おうふ……。まぁしかし、確かな事だ。美しさという物は、君が思う以上に人の関心を惹き付ける物さ。時にそれは、他の感覚を疎かにしてしまうほどね」
「そんな物ですか?」
「観客の最前列に、サンドイッチを食べながら見ていた奴がいただろう? あいつなんか、ずっと君を見ていた」
「そうでしたね」
何度も目が合ったので覚えている。
愛想よくした方がいいかと思って、できるだけ女の子らしくなるように微笑み返したんだっけ。
「あいつは君を見る事に夢中で、途中からサンドイッチの具を全部落としてしまっていたし、サンドイッチを食べる事すら忘れて君を見ていた」
そう言えばそうだった。
「それだけ、あの時の君には大きな魅力があった。誰よりも可愛い女の子だったよ」
「喜んでいいんでしょうか?」
褒められてはいるが、正直言って複雑な気分だ。
「ええ。それは誇っていいと思うわ。悔しいけれどね」
そう言って、キャロルは僕の両頬を軽く抓った。
「じゃあ……僕は役に立てた?」
「ああ。とても」
僕が訊ねると、トーマスは即答した。
その答えを聞くと、僕は嬉しくなった。
この一座には恩がある。
少しでも役に立てたのなら、僕は嬉しかった。
返済のためではあるけれど、それとは関係なく僕は二人のために何かできた事が嬉しかった。
亮二との戦闘において。
致命傷を受けるリック。
「大丈夫か、リック!」
「……ランデル……。ずっと好きだったんだ……。お前の事……。もっと早く、言うんだった……」
そう言い残し、リックは息を引き取った。
「リック……。いつ言われても俺は女が好きだから断ってたよ……」
返事をしないリックに答えると、ランデルは亮二へ剣を構えた。
「でも、一人の人間としては大好きだったぜ。あの化け物相手に、怯えより憎しみが勝っちまう程度には、な!」
ランデルは亮二へ向かっていった。