六話
前話でちょっとボケボケしていまい、見直しの際に加筆した部分が今回の話で矛盾を生んでしまいました。
なので、前話を修正致しました。
闇の中。
蝋燭の灯り。
暗い部屋。
「新しい仲間。その人達とは良好な関係を築けていた……。そういう自覚はありますか?」
男の問いに、不動は頷いた。
「そう、思う。……僕とあの人達との間には、強い絆があった。家族のような。……錯覚かもしれないけれど、そう思うよ」
そう思いたい……。
小さな呟きが、不動の胸中だけに響く。
今は確かめる事ができないけれど。
あの時の僕達には、確かな絆があったのだ、と。
ある日の事だった。
昼前に、ジェシカが僕の所へ来た。
武器の手入れをしていた僕が顔を上げると、ジェシカは手に持っていた物を僕へ差し出した。
それはウサギだった。
彼女はウサギの両耳を掴んだ状態で、僕に差し出した。
「あ、ウサギだ。かわいい」
「ああ。かわいいウサちゃんだ」
「それ、どうしたの? 飼うの?」
僕は訊ねた。
「昼食だ。殺れ」
「え?」
思わぬ事に、言葉を失った。
「殺れ」
「え?」
「……」
「……」
彼女はウサギを持った腕を下ろすと、説明してくれる。
「剣の腕は一朝一夕じゃどうにもならない。特にお前は、何年も鍛錬して物になるかどうかってくらいに才能がない。ならせめて、命を奪う事くらいには慣れておくべきだ」
「あー……そういう事なんだ」
僕は彼女の意図を理解した。
「だから、このかわいいウサちゃんを殺すんだ」
「え、やだよ……」
「なぁに、こんなかわいいウサちゃんを殺せるようになれば、憎たらしい顔の敵兵士の命なんてちょちょいと奪えるようになっからさ」
本当にそう?
僕は懐疑的に思いながら、ウサギを見る。
その真っ赤な目と目が合った。
ウサギは状況を理解しているのかよくわからない表情で、鼻をひくひくとさせている。
「……ごめん。ジェシカの言いたい事はわかるけど、できそうにない。その子は、ジェシカが捌いて……」
「は? 私にこんなかわいいウサギを殺せるわけないだろ?」
「自分にできない事、させようとしないでくれる?」
そんな時だった。
「おや、うまそうなウサギだね」
マーサがそう言って近づいてきた。
「あ、姐さん」
「どれ……」
マーサはジェシカからウサギを受け取ると、迷いなくその首をきゅっきゅっと捻った。
某アマゾネスのお姫様でもここまで鮮やかに首をコキャっとする事はできないだろう。
「「あ……」」
あまりにも自然な所作で成されたため、僕達はそれを呆然と見ているしかなかった。
昼食に出たローストウサギは、悲しいけれどとても美味しかった。
僕が、ジェシカとの訓練を終えて地面に寝そべっていた時だった。
もう指一本動かしたくないと思えるような、倦怠感。
とはいえ、動かしたくないと思うだけだ。
これまでの訓練で、何度ももう動けないと座り込んだ事がある。
でも、ジェシカはそれでも訓練の継続を要求した。
努力しろ、と。
そうした訓練を続けた結果、どんなに酷使された体でも気力さえあれば案外何とかなるという事を僕は知っていた。
もしかしたら、人が本当に体を動かせなくなる時というのは、死ぬ時以外に存在しないのかもしれない。
「あの子も容赦がないね」
声が降ってくる。
僕はゆっくりと体を起こした。
ほら、動く。
首を巡らせて見ると、そこにはマーサがいた。
「僕のため、だと思います」
強くなりたいと、願ったのは僕だ。
「ずいぶん、仲良くなったね」
「そう……かもしれませんね」
なんだかんだでジェシカは、今では一番仲の良い団員である。
一緒にいると安心する。
ファーストコンタクトが最悪だっただけだ。
「強くなりたいんだってね」
「はい」
「なら、一つアドバイスしておく」
「……! お願いします」
マーサは、ジェシカの師匠らしい。
ジェシカから聞いた話によれば、その剣の腕は『隻狼』で一番なのだという。
そんな人からのアドバイスはありがたい。
「今の鍛錬ばかり続けていても、強くなれない」
「え?」
僕は驚いて声をあげた。
「それは、今の鍛錬が無駄だという事でしょうか?」
訊ねると、マーサは首を左右に振った。
「いいや。ジェシカの鍛錬は、戦士としての前提条件を満たすために必要だ。体力や戦うための方法は、必要だからね。無駄じゃない。でも、それだけじゃ強くなれない」
「なら、どうすれば?」
「戦略を立てる事」
「戦略……」
僕は言葉を反芻する。
「戦いに強い奴ってのは、自分にできる事を吟味し、それを使ってどうやって勝つか。それを考え、実現する事のできる奴なんだよ」
「今の自分に取れる戦略では勝てないなら、勝てる手段を増やす。これはそのための手段。それを念頭に置いて鍛錬しな。そうすれば、ジェシカに教わるだけじゃなく、自ずと自分に必要な鍛錬法も思いつくはずさ」
なるほど……。
「あと大事なのは、感情に支配されない事、かな? これは感情優先で自分の戦略忘れるような事になるなって事だよ」
「はぁ……」
「まぁ、これはあんたよりジェシカに言った方がいいんだけどね」
なんとなく言いたい事はわかる。
「かといって、冷静になれとは言わない」
「え?」
「矛盾してると思うかい? 何だかんだで感情……心っていうのは体に力を与えてくれる事がある。それもまた、手段の一つにしろって事さ」
そこまで言うと、マーサは僕に背を向けた。
「とはいえ、これは理想だ。私だって、完全にできているわけじゃないよ。じゃ、頑張りな」
手を振って、その場を去っていく。
「ありがとうございます」
僕はその背中に、感謝の言葉をかけた。
僕が傭兵団の一員として、戦場へ出るようになって三ヶ月が経とうとしていた。
傭兵団の主な仕事は偵察と遊撃。
敵の居所を探し、情報を得持ち帰る事。
そして、敵部隊への攻撃、破壊工作などだ。
主戦場で大規模な乱戦を行う事はないが、敵の目論見を妨害しつつ、できる限り戦力を削るのが仕事である。
部隊は最低でも二人以上、最大四人の隊で行動する事が基本だった。
人員数の少なさから、そうした部隊運用が最適だとマーサは言っていた。
そして二人一組で行動する時、僕はジェシカと行動する事が多かった。
師弟の縁もあってか、彼女から率先して僕と組むようにしてくれたからだ。
その日も僕はジェシカと一緒だった。
「敵兵発見」
僕はジェシカに告げた。
「どこだ?」
彼女が訊ねる。
「あそこ」
僕はそこを指差した。
指の先には、小さな人影が見える。
「相変わらず目がいいな。助かるぜ」
木陰に身を隠して、敵兵の方を見た。
兵士は二人。
鎧の種類、記章からイーガ軍の兵士である事に間違いはなかった。
「私達と同業かな?」
ジェシカの疑問に僕は首肯する。
数が少ないから、あの二人も偵察隊という所だろう。
「装備から見て、正規兵だ。傭兵じゃないと思う」
「じゃあ、近くに拠点でもあるのか?」
「どうして?」
「国にとって傭兵は、使い捨てだ。だから、内みたいな少人数の傭兵団には偵察なんて仕事が回される。戦力としてよりも、情報収集の手段として有用だからだ」
前に、マーサからも聞いた事がある。
大規模な傭兵団は戦陣の先頭で酷使され、少数の傭兵団は前線での偵察や遊撃などを当てられる。
どちらも危険な仕事だ。
そんな運用をするのには、国の抱える正規兵の消耗を抑える目的がある。
そして他にも、報酬を安くできるという利点があるからだ。
この国との契約では、傭兵団の人員一人一人に賃金を支払う事になっている。
だから、その数が減れば傭兵団への報酬も自ずと少なく済ませる事ができるという事だ。
傭兵団全てを一緒にするような所に比べれば、この国の指揮官は心得ているよ。そんな事をすれば、統率や連携が難しくなるからね。傭兵団それぞれの持ち味だって殺されちまうよ。
とマーサは笑いながら言っていた。
「比べて、正規兵は大事にされているからね。広域の偵察に使われる事はまずない。同じ偵察だとしても、部隊から遠く切り離して小部隊で使うような事はしないはずだ」
それこそ、傭兵の役目だ。
「あいつら、こっちに気付いてると思うか?」
「そんな素振りはないよ」
「やっちまうか」
ジェシカは言うと、しゃがんで手ごろな草陰へ身を移した。
僕も彼女の背中についていく。
木陰と草陰を利用しつつ、兵士の方へ近づいていった。
「……相手は二人だ。分担しようか」
僕は申し出た。
ジェシカはすぐに答えなかった。
数秒を要し、答える。
「いや……。私が二人とも殺る」
「……うん」
彼女の答えに僕は安心しつつ、情けなさを覚えた。
彼女には、僕が無理をしている事がわかっているのだろう。
僕はまだ、人を殺した事がない。
戦う力が欲しいと思いつつ、僕はまだ人を殺したくないと思っていた。
彼女もそれを配慮してくれていた。
だから、僕の手はまだ血に染まった事がない。
兵士達の近くへ、僕達はたどり着いた。
相手の足音が聞こえる距離。
僕達の動きも、さらに慎重な物になる。
草陰に隠れて兵士達をやり過ごす。
彼らの背中が見えるとジェシカは右手で剣を取り、左手でナイフを取った。
ジェシカは左手を出して僕をその場へ押し留める仕草を取る。
ここで待機しろという意味だろう。
そして、背後から兵士の一人へ近づいた。
背後から首筋をナイフで刺して排除、仲間が襲われている事に気付いたもう一人を剣で排除するつもりなのだ。
ジェシカは右側にいた兵士の首へ、ナイフを突き刺した。
「ぐあああっ!」
ナイフを刺された兵士が悲鳴を上げる。
やった……!
そう思いきや、首を刺された兵士はそれで絶命しなかった。
意識を絶つには浅かったのだろう。
ジェシカは再度ナイフを刺し込もうとするが、兵士が大きく体を動かして腕を振り払った。
その弾みでジェシカのナイフが手から離れ、いずこかへと飛んでいく。
「っ!」
舌打ちに近い音が彼女の口から漏れた。
「何だこいつは! 敵か!」
もう一人の兵士がジェシカに気付き、剣を抜こうとする。
彼女は最初の一撃で一人を無力化し、最悪でも一対一の状況を作り出そうと考えていた。
でも、それが失敗した。
刺された方も出血こそ酷いが、まだ戦意を見せている。
左手で首の傷を押さえながら、剣へ手をかけている。
一方が手負いとはいえ、二対一のこの状況は彼女の手に余るだろう。
このままではまずい。
このままでは……。
ジェシカが危ない。
でも、彼女を助けるには戦わなければならない。
戦うのは怖い……。
殺されるかもしれない。
殺すかもしれない。
だから怖い……。
怖い……。
この感情は邪魔だ。
今必要なのは、そんなものじゃない。
僕は剣に手をかけて、草陰を飛び出した。
彼女を助けたいという気持ち。
それだけが、今の僕には必要だ。
「わああああっ!」
大きく叫び、剣を振り上げて、僕は無傷の兵士へと突撃した。
これが、僕の戦略だ!
「仲間か!?」
混乱しつつも、その兵士が僕の方へ注意を向ける。
僕は剣を相手へ叩き付けた。
難なく剣で防がれ、甲高い剣戟が響く。
防がれた!
こんな時はどうするんだっけ……?
戦い方はジェシカに教わった。
でも、その全部が頭の中からすっぽ抜けてしまったようだ。
勝つための戦略が思いつかない。
何をしていいのかわからない。
それでも、止まってはならない事だけわかる。
だから僕は、剣を振り上げて何度も叩きつけた。
キンキンと金属のぶつかる音が続く。
けれど、それ以上の事ができない。
その内に、兵士は僕のそんな状態に気付いたのだろう。
振り下ろした剣をいなされる。
僕の剣は地面を叩き、その重みにひっぱられる形で僕は前のめりにバランスを崩した。
首を巡らせて敵兵士を見上げる。
上段に剣を構える兵士の姿が見えた。
その剣が振り下ろされれば、僕は死ぬだろう……。
直感し、怖くて目を閉じる。
「うおおおおおっ!」
雄たけびと共に、ジェシカが体ごとぶつかるような形で兵士のわき腹へ剣を突き刺した。
剣は、兵士の腰甲と胴当ての隙間へ突き刺さっていた。
「がっ!」
痛みに呻く兵士。
ジェシカは剣が刺さった状態のまま、腕の力だけで横薙ぎに剣を閃かせた。
刃が通り抜けた、腰甲と胴当ての隙間から大量の出血が迸る。
「あぁぁ、くそぉ……」
搾り出すような断末魔を上げ、兵士は倒れた。
そのまま絶命する。
僕は、もう一方の兵士を見る。
そちらも血溜まりの上で息絶えていた。
ジェシカが殺したのだろう。
……僕は、ジェシカに助けられたんだ。
彼女がいなければ、僕は死んでいた。
そして、僕が手を出したから彼らは死んだ……。
命の危機が去った事を自覚したからか、今まで気にならなかった拍動の音が耳を叩き始めた。
息が荒くて苦しい……。
寄せては返す呼吸の中に、酸っぱい物が混じっている。
一度えづき、むせた。
嘔吐には至らない。
あの頃に比べれば、僕も慣れてきているんだな。
そんな事を考える。
「馬鹿野郎! 無茶しやがって!」
ジェシカが僕を怒鳴る。
「守りたかったんだ。ジェシカを……」
答えると、彼女の表情から怒りが消えた。
「そうか……」
短く答え、彼女は僕に背を向けた。
「行こう」
彼女は歩き出す。
僕は答えずにその後ろをついていく。
二人とも黙り込んだまま歩いていく。
彼女は黙ったままで、僕も声をかけなかった。
叱られた事もあって、気まずくて声をかける事が躊躇われた。
彼女を怒らせてしまったかもしれない。
「よかったな。目的を果たせて」
「え?」
唐突に言われて、僕は戸惑いの声を漏らす。
「私を守ってくれたじゃないか」
そうなんだろうか?
「でも、僕じゃ相手を倒す事ができなかった……」
「お前がいなかったら、私は多分死んでたよ。これ、守ってもらったって事だろ?」
ああ、そうなのか……。
僕は、守れたんだ。
今度こそ……。
最低限だけれど、誰かを守れるだけの力を僕は今持っているんだ……。
「ありがとう……」
「馬鹿。礼を言うのはこっちだって」
照れたように笑い、ジェシカは答えた。
それから周囲を捜索した僕達は、敵の拠点を発見した。
マーサの判断を仰ぐため、一度帰還する事になった。