隔たり
・三好サイド
クラスメイトの林が死んだ。
林の席には可憐な花を差した花瓶や林の好きなお菓子が置かれ、皆その死を悼んだ。
涙ぐみ、林の事を惜しく思う者は多かった。
これはクラスで俺三好からの目線で客観的に見た話しだ。
だが人というのは気紛れで、心は簡単に移り変わる。
1週間後、朝休みのクラスには笑みが溢れていた。
今朝あった何気無い日常や、放課後はどこに寄るかなどを相談して笑いあっている。
「あっ! やべーやっちまった!!」
「あははは、もう、夢中になって話すから! 先生来たら怒るから早く水拭きなよ!!」
クラスメイトが林の席にぶつかって花瓶を倒した。
水は零れ、下に滴り落ちていく。
最初は替えていた水も替えなくなり、花は萎れ始め、机は埃が被っていた。
鐘が鳴った。
教師が入って来て開始の挨拶を済ます。
俺は先生に遅れたプリントを出す。
先生は引き吊った顔で受け取る。
俺はクラスメイトからも教師からも浮いた存在だ。
俺の目線で客観的に見た話しだ。
ただ、クラスメイトとはそこそこに仲良くしていて特定で仲がいいやつもいる。問題児でもない。
それでも一線引かれているのは最早運命、何か特殊能力でも持っているんじゃないかと思う。
そんな馬鹿なことを考えていた。
・クラスメイトサイド
オレは三好が苦手だ。
1週間前の林の死を前にして少しも表情を変えないアイツは機械の様だから。
いや、それだけじゃない。
話しをして盛り上がっている時も、ふとした瞬間に三好の双睥が恐ろしくなる。
真っ黒なその目が、まるで双眼鏡の様に遠くから見ている様に思う。
そしてその双眼鏡に、心を見透かされているような気になって落ち着かなくなるのだ。
・・・・・オレの卑しい部分がアイツにはお見通しなんじゃないかと思うんだ。
・教師サイド
私はうだつの上がらない教師だ。
生活の安定する職ということで、教職についたがとてもやる気なんて起きそうにない。
理由が理由なので当然だが、私は歴史の分野を持つ教師で、ある時ふと気付いた。
私が今まで教えて来たのは人殺しの話しか。
生徒もやる気が無く、私はすっかり元々少ない覇気も無くした。
だが、このクラスには三好という生徒がいる。
取り立てて何がある訳でも無い、ごく普通の男子生徒だ。
私はごく普通の生徒、三好が恐ろしい。
三好と接点を持ち、関わるたびにその目に物事の真理を垣間見てしまいそうで恐ろしいのだ。
例えうだつの上がらない教師生活でも、[私]の人生という物事の真理を見るというのは恐ろしい。
この私の捨てきれない気持ちすら、三好にはお見通しなのではないかと常々思う。
・終幕
俺三好は席に戻る。
こうしてまたいつも通り授業の流れに軌道修正をさせられているかの様に。
……あぁ何だか、腹が重いな。
俺は全てを諦める様に机に突っ伏した。
―――……あ、一瞬寝てた。
「……ゴホッ、ゴホッゲホッ!!」
咳をしたとき分かった。
いつもと違う。
うすら白い視界でゆっくり手のひらを見ると、奇妙な程に真っ赤な鮮血がついていた。
隠れて口元を拭い、血の付いていない手を挙げた。
「先生、すみませんが保健室に行ってもいいでしょうか」
「ああ」
俺は手早く荷物をまとめて立ち上がり、後ろから教室を出る。
これで騒いでも、俺は構ってちゃんと思われるだけなのが目に見えている。
前を向くと―――……驚く事に彼がいた。
「林? 嘘だろお前、だって……」
死んだ筈じゃないか。
ならこの目の前にいる青白い顔で立っているのは誰だ?
「三好、どうした? 保健室に行くんじゃなかったのか?」
教室から、教師の声が聞こえた。
何だそれ、おかしいだろ?
だって俺は今、廊下にいるんだぞ?
そんな俺にかける言葉にしては変だろ。
この壁一枚の隔たりの向こうは、何が……?
林を尻目に教室を扉の窓から覗くと、俺が座っているのが見えた。
荷物をまとめてはあるが机に突っ伏している。
目を凝らすと、机から伝って血がポタポタと滴り落ちていた。
今朝の花瓶の水の様に。
突っ伏しているので皆気付かないらしい。
俺は口元を押さえて扉の前にずるずると崩れた。
まさか、俺は死んだのか!?
目の前にいる林が証明みたいなもんじゃないか!!
ここで死ぬなんて……。
俺の人生、価値が無いじゃないか。
真価が問われるのはまだ先だと油断していた。
例えここで駄目でも先が残っていると。
……現時点では、いや、考えたくない。
授業を再開する声が聞こえてくる。
しかし俺が死んでいるのが露見するのは時間の問題だ。
あの口から流れる血が、砂時計の様に刻一刻と溜まっていく。
そしたらあの教師は、クラスメイトは何を思う?
この目の前の林みたいに、俺は忘れられていき、何も、
残 ら な い?
林の顔が、見れない。
この壁一枚隔たりの向こうで、みんなどんな顔をしているのか見れなかった。