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通夜

 病室に帰った後、瞳は、


「なんか、疲れちゃった……」


 と言ってベッドに入り、カーテンを閉めて、そのまま眠ってしまった。


 夕食も


「ごめん、ちょっと食べられそうにない……」


 とのことで……なんだか、本当に心配になってきた。

 そのまま彼女は、自分のベッドから出てこようとしなかった。


 翌朝。


 朝食を取る前に俺の母親が迎えに来て、そそくさと退院することになった。

 瞳はこの時だけはカーテンを開けて、わずかに微笑み、手を振って送り出してくれた。


 だが、少しやつれ、昨日よりさらに元気がなくなっていることが気がかりだった。


 この日は家に帰って食事をし、ゆっくりと休んだ。学校は明日、登校する。

 できればこのまま春休みに突入したかったが、終業式ぐらいきちんと出よう、という事になったのだ。


 この日の夕食は寿司や天ぷらと言った豪勢な料理が出て、それはそれで嬉しかったのだが、やはり元気のない瞳の事が、ずっと気になっていた。


 翌日、登校した俺は、みんなから「おめでとう」とか、「本当に大丈夫?」とか、一応祝福と心配の声をかけられた。


 また、病院で同室だった瞳のこともうわさが広まっており、さんざん冷やかされ、


「そんなんじゃないよ」


 と否定しておいたものの、まんざらでもない気分だった。


 俺の入院理由は、急性の食物アレルギー。


「間違って鼻の中に殺虫剤を噴射」


 なんて間抜けな理由、言えるわけがなかった。


 そして終業式は十時半には終わり、そのまま昨日まで入院していた病院に直行。

 検査のためではなく、瞳の見舞いのため、だ。

 冷やかされるのが嫌だったし、二人きりで話がしたかったから、誰も連れていない。


 天気は晴れ。

 春の暖かい日差しの中、気持ちよい風を受けながら自転車を漕ぐ。


 十五分ほどで、病院に着いた。


 勝手知ったる院内、迷うことなく病室に向かったのだが……ドアが開けっ放しになっている。


 変だな、と思って入ってみると……そこには瞳はおらず、見知らぬ看護師さんが部屋の掃除をしていた。

 あれ、病室を間違えたか、と思って部屋番号を確認するが、そんなことはなかった。


 瞳、病室移ったのかな、と考えて、看護師さんに


「あの、伊達さん……この部屋に昨日まで居た女の子は……」


 と訪ねると……ちらっと俺の顔を見た三十歳ぐらいのその女性はうつむきながら、


「……伊達さんは、昨日の夜遅く……亡くなりました……」


 とつぶやいた。


 ……最初、意味が分からなかった。


「……えっと……えっ……それって、どういう事ですか……」


 自分でも、声が上ずっているのが分かった。


「昨日の夜、容態が急変して……家族に見守られながら、眠るように息を引き取ったということです……」


「……そっ……そんな……そんな事があるはずがないっ! あんなに元気だったのにっ!」


「……突然身近な人が亡くなると、皆さん、そうおっしゃいます……」


 ……そう、確かに良く聞くフレーズだ、『あんなに元気だったのに』は。

 特に病院ではそうなのかもしれない。

 けれど……瞳に限って、そんなことはあり得ない。


「……今晩、ご自宅でお通夜が営まれるということです……」


 ……絶対にウソだ。絶対に信じないっ!

 気がつくと、俺は病院内を全力疾走していた。


 病院を走ってはいけないことは、子供でも知っている。

 でも、そうしないと、俺はおかしくなってしまいそうだった。


 とりあえず、瞳の家の場所は分かる、退院前に住所を書いたメモを交換したから。

 隣駅を裏手に回って、百メートルほど歩いて右に曲がればすぐ玄関が見えるという。


 自転車に飛び乗り、全力でペダルを漕ぐ。


 頼む、間違いであってくれ……。


 彼女の笑顔が、脳裏に浮かぶ。

 ラノベの話をするときの輝く目が、忘れられない。

 噴水を見ながら、一緒に作品を書こうと指切りしたことも。


 そうだ、瞳、約束したじゃないか。

 それを裏切るなんて……瞳は絶対、そんな子じゃないっ!


 わけの分からない理屈を、恐らく口に出しながら、なおも全力でペダルを踏む。

 涙で視界がぼやけるが、速度を落とすわけにはいかなかった。


 そして俺は、メモに書かれていた、大きなT字路の角を曲がった。


 ――その光景に、ぞっとした。


 ……なんで、あの家の玄関に、あんなに白い菊の花が飾られているんだよ……。


 ……なんで、みんな黒い服を着ているんだよ……。


 ……なんで、みんな悲しそうに、泣きながらその大きな家に入っていくんだよ……。


 そして俺は、喪服を着て、玄関で来客に挨拶をしている見覚えのある女性を見つけた。

 瞳の姉、(るい)さんだ。

 その表情は、やつれ、悲しみに満ちていた。


 俺は、自転車をすぐ脇の壁に立てかけ、ゆっくりと彼女に歩いて近づいていった。


 最初、泪さんは俺の事をじっと見つめていたが……俺が誰か気づいたのか、右手を口に当て、目を大きく見開いて驚いていた。


 俺は構わず、泪さんに近づき……そしてほんのすぐ目の前にまでたどり着いた。

 彼女は、俺に対してどういう反応をしていいのかわからない、といった表情だ。


 そして、実は俺もそうだった。

 どうしていいか分からない。


 本音を言えば、ただ一言、この状況について説明を求めれば良かった。

 しかし、その答えが悲劇的なものであることは想像できた。


 そう……全てが終わってしまうような……。

 ……。

 …………。


 数秒間の、しかし、永遠に続くような、思い沈黙。

 そんな状況に耐えかねたのか、泪さんが口を開こうとした、その時……。


「……お姉ちゃん、お料理だけど……」


 玄関の扉が開き、その少女は現れた。


 学校の制服を着た、瞳にそっくりの可憐な美少女。

 相当泣いたのか、(まぶた)が赤く腫れている。

 彼女も相当やつれているのが見て取れた。


 最初、幻覚かと思った。あまりに瞳に似ていたから……。


 妹……いや、双子……?


 彼女も俺の姿を見て、固まっていた。

 大混乱で、一言も発することの出来ない俺。

 先に話しかけてきたのは、彼女だった。


「……和也君……どうしてここにいるの?」


 ……へっ? 和也君? ということは……?


「……瞳? そんな……えっと、瞳、生きてる……?」


「……何言ってるの?」


「いや、だって、昨日の夜遅くに息を引き取ったって聞いたから……」


「……亡くなったの、私のおばあちゃんだよ」


 ……えっ?

 ……あれれっ?


 ……恐る恐る、泪さんの方を見てみると……涙を浮かべて、両手を口に当て……必死に笑いを堪えていた。


「……やだ、和也君……ひょっとして、私が死んじゃったって思ったの?」


 ……その言葉に、一気に全身の力が抜けて……その場に、尻餅をつくように座り込んでしまった。


 その様子に、瞳は、目に涙をいっぱいに貯め、そして溢れさせ、


「……殺虫剤の件も、今回の事も……本当に慌てん坊なんだから……」


 と苦笑しながら、右手を差し出してくれた。


 俺はその手を取り、引っ張り上げられるようにして、なんとか立ち上がった。

 その時の右手のぬくもりは、一生忘れられないだろうと思った。


 ――彼女たちのおばあさんは、俺や瞳と同じ病院に入院していた。


 二日前の昼、瞳と泪さんは、病院の先生から、おばあさんはもう長くないことを告げられていた。だから、その日の午後から元気をなくしていたのだ。


 瞳はおばあちゃんっ娘だったらしく……なかなか寝付けないほど、食事もろくに取れないほど、心配していたという。


 そして昨日の夜、容態が急変し、おばあさんは亡くなった。


 瞳は、本来はもう二日ほど入院する予定だったが、通夜に参加したい、という彼女の強い要望により、前倒しで急遽退院したのだという。


 俺は、


「看護師さんから、伊達って言う名前の女の子が亡くなったと聞いた」


 と、言い訳をしたのだが……


「だとしたら、その看護師さんも勘違いしていたのだと思うわ。たぶん、伝言ゲームみたいになっていたんでしょうね」


 と、泪さんが冷静に分析した。


 そしてその伝言ゲームのラストで俺が壮絶に勘違いし……そして今に至ったのだ。


 瞳が制服を着ていたのは、学生に取って、それが通夜の正装だから。

 見たことのなかった制服姿のために、俺は一瞬、瞳を別人と見間違えてしまった。


 ――その後、俺は瞳の家族から、


「これも何かの縁だから」


 と、焼香を勧められたので、素直にそれに応じた。


 優しく、誰からも慕われていたという瞳のおばあさん。

 あるいは、瞳の身代わりになったのかもしれないと、彼女の両親は語った。


 瞳は農薬を誤って飲んでしまうという、大事故を起こしてしまった。

 一時は、本当に重篤な状態に陥ったのだという。


 それを知ったおばあさんは、自身も重い病気であったにも関わらず、移動ベッド(ストレッチャー)で点滴を打たれながら運んでもらい、必死に瞳を励まし続けた。


 結果、瞳は一命を取り留め、驚異的な速度で回復していき――それと反比例するように、おばあさんの容態は悪くなっていったという。


 そして昨日、最後の時を迎えた。


 大好きな娘や孫に見守られながら、眠るように息を引き取ったというおばあさんの顔は、わずかに微笑んでいるように見えるほど安らかだった。

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