……キス?
美海辺出版の前田さんとの打ち合わせを無事終えた俺たちは、出版社の周辺で見かけたハンバーガーのチェーン店で昼食を摂り、ちょっと休憩してそのまま帰ることにした。
訪問スケジュールに多少余裕を持っていたので、早めに進行しているが、余計な観光していて迷子になったら帰りの飛行機に遅れてしまう。
そのことが残念だ、というような話を瞳にしたのだが、
「……十分、いい思い出になったよ。今までの人生でも一番ぐらいかも……」
と頬を桜色に染めながら、繋いだ手に力を込めて話した。
出版に関する打ち合わせがうまく言ったこと、そして二人で結婚宣言までしてしまったこと……。
俺の人生でも一番かもしれない。
っていうか、あの殺虫剤の事故以来、上位ベスト5が総入れ替えになってしまっている。
そして無事飛行機に乗り込んだところで、瞳は手を繋いだまま、俺の肩に頭を乗せて眠ってしまった。
空港まで戻れば、後は泪さんが車で迎えに来てくれる段取りとなっており、もう迷子の心配はない。
今まで相当緊張して疲れていたんだろな……と思いながら、自分が頼られていることを実感した。
幸せを感じながらその可愛らしい寝顔を見ているうちに、いつの間にか、俺も眠ってしまった。
その後、二人とも、着陸態勢に入ったときは起きていて、無事空港に到着。
迎えに来ていた泪さんの車に乗り込み、瞳が
「特に問題無く打ち合わせは終わったけど、宿題を山ほどもらった」
と報告した。
そしてここで、彼女が
「お姉ちゃん、蜂須賀レナさんって、友達なの?」
と質問したところ、
「ええ、そうよ。あなたたち、彼女にイラスト描いてもらうことに決めたんですってね」
と返された。
「どうしてもう知ってるの?」
「レナから連絡があったのよ。担当の人から採用の知らせが有ったって。とても喜んでたわよ」
前田さんが既に連絡済みだったようだ。さすがの手際だ。
「へえ、そうなんだ……その人、どんな人なの?」
「私の同級生なんだけど、なんていうか、すっごいグイグイ来るっていうか、積極的って言うか……まあ、おもしろい子よ。明日早速会いたいって言っていたけど、どうする?」
「明日!? ……和也君、どうする?」
助手席に座っていた瞳は、振り返って後部座席の俺に聞いてきた。
「僕は特に予定がないのでいいですよ。書籍化のスケジュールがある程度決まっているから、早く進める方がいいと思いますし」
「……そうね。和也君がそう言うなら、私も明日にも会いたいです」
今日の旅で疲れているであろう瞳も、結構積極的だ。
それを聞いた泪さんは、クスッと笑った。
「瞳、変わったね。前は大人しくて、人見知りするタイプだったのに……和也君と一緒だからかな?」
「……そうかな……うん、確かに一人だと東京にも行けなかったかも」
今回の担当者との顔合わせも、書籍化にあたって絶対に必要、というわけではなかったので、彼女一人ならば行かなかった可能性はあった。
「でも、それだけじゃなくて、やっぱり出版っていう夢がすぐ目の前にあるから、っていうのもあると思いますよ」
俺はそうフォローした。
自分自身もそれほど物事に対して積極的ではない方だったが、瞳と一緒に小説を書き始めて以来、行動的になっていることを実感している。
「そっか……二人とも成長しているのね。うらやましい……私も彼氏、欲しいなあ……」
と、泪さんはつぶやくように言った。
「……そうなんですか? 泪さん、綺麗だから、すぐにできると思いますけど……」
「本当? ありがと……もし、瞳と別れちゃったら、その時は私のことも候補に入れてね」
色っぽいそのセリフに、少しだけドキッとする。
「……お姉ちゃん、取っちゃダメだからね! 本当、悪いクセなんだから……」
瞳がちょっと拗ねたようにそう言った。
それはそれで嬉しかったのだが……悪いクセ?
ひょっとして泪さん、小悪魔系とか?
今年短大を卒業して社会人になり、大きな会社の受付をしているということだったが……ミステリアスな部分を持つ美人で、俺はちょっと興味を持ってしまった……本当にちょっとだけど。
そして翌日の午後、俺と瞳は、おしゃれなカフェの一番奥の席で、蜂須賀さんを紹介してもらった。
「初めまして、蜂須賀レナです……へえ、君たちが『Poison』の作者なんだ……本当、編集の前田さんが言った通り、爽やかなカップルね……和也君、かわいい! 置物にして玄関に飾りたいぐらい!」
……それって、褒め言葉なんだろうか。
妙にハイテンションな彼女にちょっと戸惑う。
蜂須賀さんの第一印象としては、クールなイメージの泪さんに対して、化粧やアクセサリーもちょっと派手で、髪の毛も茶色で、たしかにグイグイ来るイメージだった。
とはいっても下品な感じでは無く、綺麗な顔によく似合っていて、アーティスト、っていう表現がしっくりくる印象だ。
「泪から、君たちの小説が美海辺出版から出されるって聞いて、急いで『小説家をめざそう』をチェックしたの。そしたら、本当に幻想的で、面白くって、即イラスト担当したいって前田さんにお願いしたのよ」
「ありがとうございます。僕たちも、蜂須賀さんの絵を見て一目で感動して、すぐにお願いしたんです」
と答えると、
「あー、やっぱ名字で呼ばれたらダメね。堅苦しい。レナって名前で呼んで」
と、手をヒラヒラさせながら話してきた。
「……あ、はい。レナさん、どうかよろしくお願いします」
「うん、よろしく……すごく真面目なのね。ちょっと物足りないかな?」
「レナ、ダメよ。彼はまだ高校生なんだから。それに妹と付き合ってるのよ」
泪さんが呆れたように注意する。
……なんか、俺、捕食対象になっている?
瞳は、ハラハラした目で成り行きを見守っている。
「分かってるって……編集の前田さんに、結婚宣言までしたんでしょう?」
「えっ……あなたたち、もうそんなことになってるの?」
今度は泪さんが驚く番だった。
「いや、その……あれはちょっと、勢いで……」
しどろもどろになってしまう。
自分の爆弾発言がきっかけだったと分かっている瞳は、赤くなって、下を向いてしまった。
「ま-、共同執筆者が仲がいいのは結構なんですけどね……その割に、作品中の恋愛シーンがあんまりなくて、私としてはそこが気になるのよね。二人の距離感を描き分けるのに、イメージが掴みづらくって」
いつの間にか、小説の話になっていた。
そもそも、それを打ち合わせしたかったので問題無いのだが。
「作中で、お互い恋愛感情を持っているっていうのは分かるんだけど、それがどの程度なのかいまいちよく分からないの。タクヤの方は、最初っからかなり意識しているみたいだけど、ユウがいつの時点でどの程度好きなのかがさっぱり。せめてキスシーンでもあれば分かりやすいんだけど……」
「……あ、それいいかもしれないですっ!」
じっと話を聞き入っていた瞳が、急に大きな声を上げた。
「……それって?」
レナさんも泪さんも、きょとんとしている。
「……ヒロインのユウは、全身に猛毒を帯びています。だから、転生してから一度も、誰ともキスなんてできなかった。相手を殺してしまうことになるから……でも、主人公のタクだけは別。彼は毒に対する完全耐性を持っているから平気……でも、普通にキスするのだとちょっと面白味にかけるから、たとえば……溺れてしまったタクヤのために、転生前の知識を使って必死に人工呼吸するとか……それで息を吹き返した彼が、泣き顔になって心配していたツンデレのヒロインに、お礼のキスをする……ねえ、和也君、この話を書き下ろしのサブストーリーにすればいいんじゃないかしら?」
目を輝かせて、今思いついたストーリーの説明をする瞳。
「……なるほど、前田さんが言っていた通り、メインシナリオ担当の瞳ちゃんの発想は凄いわね。よくそんなに即興で思いつけるものだわ……うん、それだと、キスシーンのイラストも書きやすいわね。和也君はどう思う?」
「……いいと思います。ウェブ版に存在しないサブストーリーで、ファーストキスの話が盛り込まれてて、そこにイラストが付くのであれば、気になって買ってくれる人がいるかもしれない!」
これが上手くいけば、宿題の一つであった『書き下ろしのサブストーリー』をクリアすることになりそうだ。
レナさんも満足げに頷いている。
「……私もいいと思うわ。でも、念のため一つだけ確認だけど……二人はもう、キスは済ませているのよね?」
――泪さんの一言に、俺も瞳も、固まってしまった。
俺たちはまだ、手を繋いだことしかなかったのだ――。




