第九話 幼女は独りが怖いんです
山から街へ下り、大通りから裏路地へ入る。狭い路地は入り組んでいて、おまけに薄暗い。
「まるで迷路みたいだな」
リデルはナキの背中で、家々を興味津々に観察している。
「この街、カタスリプスは特別入り組んだ設計になってるからね。単純な直線は店のある大通り一本だけで、あとの道は全部方向音痴殺しよ」
アレビヤは迷惑だと言わんばかりの口調だ。
「しかしこんなに死角が多いと人にぶつかってしまいそうですね。何かメリットが?」
ナキが興味本位で尋ねる。
「ノモス教徒いわく、悪魔を迷わせて聖殿に近づけさせないようにしてるらしいわ」
「せいでん?」
「そうよ。ここからは見えないけど、中央に大きな建物があるのよ。そこが聖殿。ノモス教の聖職者が働いてるわ」
「そこに悪魔が攻めてくるんですか?」
アレビヤは吹き出す。
「ふふっ、何言ってるの? 悪魔が召喚もされていないのに出てくるはずないじゃない。それに迷路なんかで悪魔が迷うはず無いでしょ。ただの迷信よ、本気にしないで」
無理に笑いをこらえようとしているせいで、アレビヤの台詞に「むふっ」とか「くふふ」みたいな奇声が入る。
ナキが首を傾げる。
「ノモス教の言うことは全部……おっと」
前方の角を人が曲がってきた。
「静かに」
アレビヤが鋭く命じると、ナキは言われるがまま口を噤む。
たった一人、リデルは呑気に疑問を呈した。
「え、なんだぐむむ」
アレビヤに口を押さえられる。
鼻ごと塞がれて呼吸できない中リデルが見たその人物は、ごく普通の庶民に見えたが、アレビヤはそれがすれ違い、見えなくなるまでずっと黙り込んで静かにしていた。
人が見えなくなると、アレビヤは息をついた。
「危なかったわ……あ、ごめんなさい」
リデルがばたばた暴れているのに気付き、アレビヤは慌てて手を放す。
リデルはアレビヤを睨みつけ、ぐるると唸る。
その目は今にもかぶりつく勢いだ。
「アレビヤさん、一体どうしたんですか?」
リデルがアレビヤに噛みつくより先に、ナキが前に出て尋ねた。
「ちょっと情報漏洩が怖いから黙ってたの。ここの街はね、特に数が多いから」
「人の数ですか?」
アレビヤは首を横に振る。
「いえ、人じゃなくてもっと別なものよ。目にしたらゾッとするだろうけど、今は気にしないでいいわ。自然体でいれば出てこないから」
リデルとナキは顔を見合わせた。
今度はナキの代わりに、アレビヤがリデルを背負うことになった。リデルが詫びを求めてきたからだ。
複雑な道に目を回しながら進むと、アレビヤが足を止めた。
「ここよ」
リデルはアレビヤの背中から降りる。
止まったのは、他より一階分ほど大きな建物の前だった。
桃色の壁に掲げられた煌びやかな看板を、二人は感嘆の声で見上げる。
「ふうぞく……?」
「ヌキヌキ……?」
アレビヤがたちまち顔を真っ赤に染めた。
「わ、わさわざ読み上げなくていいしそこは違う場所よ! 私が連れてきたのはそっちじゃなくて、こっち!」
アレビヤが指さしたのはピンクい建物ではなく、その隣の、階段で少し下がったところにある木の扉だった。
「なあなあ、あのピンクの家はなにするところなんだ?」
リデルはうきうきとアレビヤを見つめる。見るとナキも返答を待っているので、アレビヤは恥ずかしさに気が動転した。
「ここここ子どもは知らなくていいのよ! 早く入りなさい!」
リデルとナキは押し込められるようにして木の扉をくぐった。
中には小部屋がある。アレビヤに続いて二つ目の扉を開けると、その光景に、二人の目が輝いた。
大きく開けた、ドームのような部屋。真っ先に目に入ってきたのは色とりどりに光を放つ窓だった。
「きれいだな……」
ステンドグラスというのだと、アレビヤが小声で教えてくれる。
「なんで小声?」
アレビヤが無言で部屋の奥を指さす。男が白黒の特徴的な服を着て、何かの本を朗読しているところだった。
「今は静かにしなきゃいけない時間なのよ」
部屋には正面に向けて、七、八人は座れそうな長い椅子が縦三列に並べられている。そこにはちらほらと人が座っていて、その人たちも男の音読を静かに聴いていた。
「なんだか空気が重いですね」
「厳かだとか言い方あるでしょうに。ほら、付いてきて」
一同は静かに後ろを通り、また木の扉をくぐる。
廊下へ出た。扉がいくつも付いている。
「ここに住んでるんですか?」
「ええ。ここは寝室用にね。使ってるのは父と私だけなんだけど」
そう答えながら、手前から二つ目、木目の綺麗な扉に鍵を差し込む。
「ここは本を保管してる場所よ。あんたはここを使いなさい」
ナキの目を見ながら、入ってみるよう中を指さす。
ナキが中に入ると、歓喜の声があがった。
「ここはすごいですね! 本がこんなに! これでこの世界の事も勉強できますよ!」
「私は神学関連の本しか読んでないから分からないけど、多分世界史の本とかもあったんじゃないかしら」
「読んでもいいんですか!?」
「まあ、父くらいしか使う人いないし、別にいいわよ。破いたら弁償してもらうけど」
気を付けます、と聞こえたときにはもう、ナキは本棚の森へと入ってしまっていた。
「さて……次はあなたの部屋ね」
「おれはナキと一緒がいい」
「あんなヤツと一緒にいたら、せっかくの可愛さが台無しよ」
「かわいいゆうな」
「それよ。口が悪い。それになんだか喋り方も男っぽいし。ちょっと矯正が必要かもしれないわね。しばらく一人になってみたら?」
「ひ、ひとり……!?」
リデルの脳裏を、かつてのあの闇がよぎった。鳥肌が立ち、思わずアレビヤのスカートを握りしめる。
「あら可愛い」
「だからかわいいゆうな……」
リデルは息を吸って吐いて、手をそろそろと離した。
「なあ、たのむよ。なんでもいいから、だれかと一緒にしてくれ。ひとりはいやなんだ」
「どうしてよ。私があなたと同じくらいのときは、もう一人で暗い所も歩けたのに」
そう言うアレビヤの目は左上を向いている。
「ほんとうに?」
「ほ、ほんとうよ。嘘なんてつかないわ」
「でも……おれはひとりなんていやだ。ひとりでいると、なにか思いだしそうになるから」
「なにかって?」
「たぶん……むかしのことだ。むかし起こった、なにか。とてもくらくて、さびしかった何かのはずなんだけど……あんまりおぼえてないんだ」
「じゃあ頑張って思いだしなさいよ」
リデルは頭を振る。
「できるかもしれないけど、いやだ。思いだしたくない。思いだしちゃいけないから、忘れてる気がするし」
リデルはアレビヤにせがむ。
「なあ、だからお願いだよ。いっしょの部屋にしてくれよ」
アレビヤは困り顔で腕を束ねた。
「じゃあ、私と同じ部屋にする? なにか知らないけど、トラウマならしょうがないわ。私も暗いのは苦手だし」
「そうなのか。……ん? さっき、くらいところも歩けるって……」
「さ、部屋入るわよー」
「うおっ!?」
体を持ち上げられ、廊下手前から三番目の部屋へ入れられた。
床に座らされ、ひとまず部屋を見回す。
そこまで広くはないが、その分落ち着けそうな空間だ。十字のマークと紫がよく目につく。どちらもリデルにとっては、アレビヤをイメージさせるものとなりつつあった。目立った家具は、鏡付きの机とベッドだけだ。木製家具のそれらにも、よく見ると十字が彫刻されていた。
「じゅうじ、すきなんだな」
「好きというか、魔除けみたいなものよ」
アレビヤはポケットから、玉が円形に連なった物体をリデルに見せる。銀色をした十字がそれにくっついている。少し輝きは鈍いように見える。
「ロザリオと言うんだけど。これに一日三回くらい、祈りを捧げるの。その効果が増すんじゃないかって思って、こうして十字架の入った物をたくさん置いてるのよ」
「いのりをするとどうなるんだ?」
「主が助けてくれるらしいわ。……主っていうのは、神様のことね」
リデルの顔に青筋が浮かぶ。想起したのは緑ツインテールの女だ。
「かみさまね……」
「そう。特に、私たちエクソシストにとって祈りは重要なのよ。悪魔と戦うためには知識や経験だけじゃなく、こうした準備も必要なの」
「へえ。意外にがんばってるんだな」
「……っ! よ、幼女に褒められたって別に嬉しくないわよ」
しかし、にやけた顔は喜んでいるようにしか見えない。
アレビヤはずいっとこちらへ寄ってきた。
「ねえ。もっとこういう話、聞きたいかしら? 昼食の準備までもう少し時間あるから聞かない? どう?」
目がすごくキラキラしているものなので、リデルは頷かざるを得なかった。
するとアレビヤはぴょんぴょんとベッドの上で跳ねながら、うきうきと話を始める。
「――でね、この前なんか、初めて悪魔と対決したんだけど。名前は聞き出せなかったものの、悲痛に叫ばせることには成功したのよ! どう?すごい?」
「すごいすごい」
「でしょでしょ!? それにね、この前会った悪霊とはすごく話が合ってね? 私意気投合しちゃってー。危うく追い出すのを忘れそうになってね――」
口調が変わり、まるで子どもに戻ったように話すアレビヤ。その様子に、リデルは何か親心に近いものを抱くのであった。
丸一日アレビヤの話に付き合ったあと、リデルはアレビヤの隣で寝かせてもらった。話疲れたのか、アレビヤはすぐに寝ついた。
明かりは点けっぱなしにしてあった。