第八話 オオカミの常識と人間の常識は違うみたい
「アソコを……」
リデルがか細くそう言う。
木の陰で二人の会話を聞いていたアレビヤは、一人顔を沸騰させていた。
(アソコ……!? アソコですって!? あの男、幼女になんて台詞を! 卑猥よ、卑猥の塊よ! 幼女との乳繰り合い、おまけにそれを毎晩だなんて許されないわ!)
アレビヤは後先考えずに飛び出した。
「ちょっとあんた達、いやらしいことしようとしてるでしょ!」
アレビヤが急に現れて、2人はぎょっとする。
「なんだよいきなり! というか帰ったんじゃ?」
「暗いのが怖くて帰れなかったわけじゃないわ。ちょっと様子が心配になって帰ってきてみただけよ……本当よ。それよりあんた達、さっきから卑猥なことばかり言ってるけど! 恥を知りなさい!」
「なんですか卑猥って」
「あんたのことよ! 幼女にいやらしいこと言わせて、何楽しんでるの! この変態!」
リデルは首を傾げ、ナキは腕を組み考え込む。
「そこまで真剣にならなくてもいいんだけど……」
アレビヤも汗をかき始める。
ナキがぽんと手を打った。
「あ、もしかして。先輩が『アソコ』とかいうから何か別のものに勘違いしたんじゃないですか?」
アレビヤが「え?」って顔をする。
「何と勘違いしたのかは分かりかねますが、先輩が言おうとしてたのは耳のことですよ」
ね、とナキが目配せすると、リデルは頷く。
「先輩は耳の裏とか弱いんですから」
「それ十分卑猥なんじゃ」
「いえ卑猥じゃないです。立派な毛繕いですよ」
リデルが激しく頷く。
「人間なのに毛繕い?」
「……ええ。何か問題でも?」
アレビヤはほぞを噛んだ。
「なんだか……納得いかないわ」
キャッキャウフフの毛繕い(アレビヤは愛撫だと主張した)が終わると、アレビヤが大きく咳払いをして、二人を見下ろし言った。
「会ってからずっと気になってたんだけど。あんたたち、一体何者なの? ノモスのことといい、幼女への敬語といい、今の愛撫といい、まるで常識がないみたいに思えるんだけど」
二人は目を見合わせる。
「じょうしき、あるよな」
「ええ、十二分にあります」
ナキはリデルを枕にした状態で、はっきりそう言い切った。
「……普通の大人は、幼女を枕になんかしないわよ。はあ、まるで群れで暮らす獣ね。いいわ、私があんた達に常識ってもんを教えてあげる」
リデルは断ろうとしたが、ナキがそれに飛びついた。
「是非お願いします!」
「……普通は寝転がったままお願いしたりしないのよ」
「……よいしょ。お願いします!」
「なぜ逆立ちするの! 普通にできないの普通に!」
リデルがクスクスと笑う。
「ナキはわざとやってるんだよ。な?」
「ばれました?」
「ほんきみせてやれ」
ナキは逆立ちをやめ、普通にした。
「お願いします!」
「それが、普通?」
「ええ、そうですが」
「……四つん這いが?」
「はい。姿勢いいでしょう?」
ボケているのか本気なのか。アレビヤは頭を抱える。
「おれは別にいいんだが、ナキがおしえてもらうなら、おれもおしえてもらおうかな。おねがいします!」
「いいけど、あんたも四つん這いなのね」
蛙の子は蛙、ということわざが浮かぶ。
「まあいいわ、明日の朝ここに来るから。私の家へ案内するわ。こんなとこで野宿するなんて危険だからね」
本当は弟子が欲しいとかいう願望があるのだが、隠しつつ話を進める。
「それでいいかしら?」
「いや、ここのほうが落ちつくから家は――」
「いいから来なさい! あんた達を放っといたら野生に帰りそうで怖いわ! 私の優しさなんだから受け取りなさい!」
リデルは嫌そうな顔をしたが、ナキは乗り気なようだ。
「良いじゃないですか先輩。せっかく人間になったんですし、そういう暮らしもアリかと思います」
「そうか? まあナキがそう言うなら」
リデルが承諾する。
アレビヤは涼しい顔の内面、首を傾げていた。
(今人間になったって聞こえたんだけど……気のせいよね)
「じゃあ明日の朝くるわ。ちゃんと起きなさいよ」
「りょうかい」「了解しました」
アレビヤは颯爽と身を翻すと、闇の中へ消えていった。
と見せかけ、焚き火近くの木の幹に座り込み目を閉じる。やはり暗いのは苦手だった。
翌朝、アレビヤが爆睡しているのが見つかり、両者とも気まずくなったのは、言うまでもない。