第六十七話 あの方への道
サンティアナとリーフィエは一瞬で辺りを見回す。リーフィエが短剣を取り出そうとしたが、手錠をガチャガチャ鳴らす結果に終わった。
「たぶん、魔法陣の誤作動ですわ。誰かが術式を誤ったのだと思います」
パノルは特に慌てる様子なくそう言う。
そういえば、パノルは魔法に詳しかった。
まだ目的地とやらまで遠そうなので、この機会に身の上話を聞いてみる。
「パノルはなぜ魔法を? 魔法は元々異教の技術だったと思うが」
するとパノルはこちらに首を向けて、妙なものを見るような、そんな目をした。
「知ってますわよね? 私がイシキになる前、水商売をしていたこと」
サンティアナは頷いた。
もちろん知っている。パノルから直接聞いたことがあるし、そもそもパノルの格好が水商売のそれだ(ちょっと失礼だが)。
「私が働いていたのは、かなり厳しい場所でしたわ。ガナフィクスの風俗店なんですけれど……ってそれはどうでもいいですわね。ともかくあそこで生き残るには、他の娘にはない特技を身に付ける必要がありましたの。私はたまたま親がそういうマニアだったので、本を拝借して勉強したのですわ」
風俗店でどういう風に魔法を利用するのだろう。
酔っぱらいに電気を浴びせている姿を想像してしまう。
「でも、魔法を使うには生まれつきの才が必要なんじゃないのか?」
「それが、どうやら魔法には二種類あるらしいのですわ。一つは先天的な才能と何かしらの契約が必要な『魔術』。もう一つは私が使うような、魔法陣を用いる『魔法』。サンティアナが思う魔法は、魔術のことでしょう?」
「ああ、たぶん。魔術なんて聞いたことがないが」
「使い手がいませんから。おまけに文献もほぼ残ってませんわ」
「なるほど。だからか」
「よほど高等な技術だったんだと思いますわ。逆に、魔法は知識が武器。いかに知識を蓄え、術式を編みあげるかが鍵ですの。努力次第で誰でも習得できるのが魅力ですわね」
サンティアナは一人納得した。
だからノモス教は魔法関連の書を全て販売停止にしているのだ。庶民は無知だが、万が一力をつけるとかなりの脅威になる。おそらく、危険分子を生むのは避けたいという、上の意向だ。
「とすると……パノルの親はどうやってそんな本を?」
「北国経由らしいですわ。抜け穴があるのだとか。詳しいことは知りませんけれど」
「北国か」
北国とガナフィクスは恐ろしいほど仲が悪い。だが、目立たない私貿易は両国とも黙認しているのだ。
お陰で貴族たちは北国の進んだ技術を存分に取り入れられるし、比較的裕福な一般人たちも、普段の照明にガス灯を使うことができる。
「リーフィエも北国には世話になってるだろう?」
リーフィエがため息をつく。
「私はそのつもりはないんだがな。親が新しい物好きだから」
そういえば、リーフィエは昔から物を買わない人だった。初めに買ったものを、使えなくなるまで使う。それが常だ。
だが少し度が過ぎていて、修練の時たまに持ち手がボロボロの剣を使おうとするから驚かされる。本人に倹約のつもりはないのだろうが……。
そんな彼女に、リーフィエの両親は金をもっと使えと訴えていた。
(私の父親とは真逆だな)
キリスト教は贅沢をしないのが美徳であるため、サンティアナは"神の子"の誕生日——クリスマスでないと、大したものはもらえなかった。十歳前後ではあったが、他の子が新しいおもちゃを自慢する度、よく母親にワガママを言って困らせたのはよく覚えている。
まあ、そのストレスが、プレゼントの喜びを倍にするのだが。
炎が後ろで、急に激しく燃え上がった。かと思うと、また静かに火の粉を上げ始める。
静かな闇が、オレンジとのせめぎ合いを繰り返している。会話を止めてしまうと、恐ろしいほど静かである。
「もう少しですわ……」
パノルが言って、それから、少し言葉に詰まった。
「二人とも……くれぐれも気をつけてください、ですわ……私も、二人をあの方の所へお連れするのは……とても……心苦しいんですの……」
「あの方?」
「……さっきは殴って申し訳ありませんわ。あれは自己保身で行ったことで……」
「それはもういい。あの方とは誰だ?」
「それは……会えばわかりますわ。とにかく私から言えるのは……無事でいてほしいということだけです」
パノルは歩みを止めた。
「……三つ向こうの扉ですわよ。サンティアナの剣は、あの方が保管していますわ。なんとかして手に入れれば、二人で逃げられます」
「……どうしてそんなことを?」
サンティアナが尋ねたが、バノルは聞いていないようで体をカタカタ震わせている。
「私はこんなつもりじゃなかったのですわ……私はただ……」
パノルは泣きそうな顔になる。自分に嫌気がさした時の、悔しさに塗れた表情。
「二人があの方に会って……耐えられるかどうか……」
サンティアナは固唾を飲んだ。
何かがあるのだ。この先に。どんな敵の前でも動じないパノルが、ここまで怯えるほどの何かが。
「どうかご無事で……ですわ……」
パノルは静かに指を振った。手錠で金属の擦れる音がする。
「ネジを緩めたのか?」
パノルは頷き、向こうを指差した。その先には、一つの扉。隙間から弱く光が漏れている。
二人は力を軽く入れ、手錠をすり抜けられるようにすると、扉へ向かった。
(一体、あの方とは誰なんだ? 名前を口にするのもはばかられるほど恐ろしい人物なのか?)
自問自答していると、あっという間に扉の前に着いた。
考えていても仕方ない。
やることは単純なのだ。隙を見て手錠を外し、その誰かから剣を奪って瞬間移動で脱出する。
それだけだ。
リーフィエに目で合図する。
頷きが返ってくる。
……行くぞ。
サンティアナは、扉に手をかけた。




