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天秤世界のオオカミ幼女  作者: 鵺這珊瑚
第三章 首都イプリファリア
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第六十四話 狂気との再会

 ここはどこだろうか。ただ、とてつもなく暗い。夜だからか。いや、窓がないせいか。

 廊下らしきこの空間に、等間隔に灯された炎が、徐々に奥へと吸い込まれていく。


 体が動かせない。襟の後ろを掴まれ、無抵抗のままに体が引きずられている。


 エルアザルは自分の手首を見た。鎖でがっちりと拘束されている。試しにガチャガチャとやってみたが、抜け出せる様子はない。


 エルアザルは呆然として、暗闇に吸い込まれていく炎を見送る。


 気がかりはサンティアナと、アレビヤたち三人であった。


 恐らくこれから自分は処刑される。残された娘と彼らが、迫り来るノモスの――いや、悪魔の脅威から逃れられるのか、どうしても不安だった。


 とはいうが、彼らを信じていないわけではない。

 しかし、不穏な気配がするのである。


 何か、遠くから、強大な存在が近づいているような、そんな危機感が……。



 エルアザルは体の痛みを覚えた。そういえば、悪霊は荒々しいやり方で自分を気絶させたのだ。それに、長く引きずられていたのか、背中や臀部が擦れてヒリヒリする。


 これは、自分で歩く方が良さそうだ。


 そう思い、自分を引きずっている者に首を向ける。しかしそれは真後ろにいるようで、うまく見ることができない。


 体を少し捻ってみると、体の下半分は見ることができた。


 それは、華奢な少女の足。


 意外だった。


 老いたとはいえ男の体だ。重いに決まっている。だからてっきり、男が引きずっているものと思っていた。


 エルアザルはもう少し上を見る。


 穴だらけのスカート。


 エルアザルは、驚きに目を見開く。


「……まさか。そんな。ありえない」


 エルアザルは無意識に首を横に振っていた。


 夢中になって体を捻り、更に上へと目線を向ける。


 背中が見えた辺りで、やはりと思う。


 それは、あのサラの姿にそっくりだったのである。あの、バフォメットがやってきた日、彼女はまさしくこのスカートを履いていたのだ。


 さらに体を捻り、上へと目を滑らせる。


 どこからどう見ても、これはサラだ。間違いない。あれだけ側にいたのだ、断言できる。


 しかし、どうしてサラがここに?


 もとより、どうして生きている?


 彼女の首は、間違いなくこの自分の手で埋めた。それに、サラは流星によって神に迎え入れられたではないか。ここに居るはずがない。


 そう気付いた途端、恐怖が押し寄せてきた。


 では、この少女は一体?


 エルアザルは唇を震わせながら、名を呼んだ。


「……サラ?」


 返事を期待した。返事とともに、恥じらいながら、笑ってこちらを向くのではないかと。


 しかし、返答はなかった。ただ自分の体が引きずられる音のみが暗闇に反響し、重なり合う。


 エルアザルは二度目呼びかけたが、やはり返事はない。顔を見ようと首を向けようとするのだが、視界の限界と暗いのでよく見ることができない。


 エルアザルはとうとう我慢できず、襟を掴む手を振りほどき、自由だった足で立ち上がった。後ろでサラであろう者がよろめくのが分かる。


 これで、顔が分かる。


 エルアザルは少しの恐怖と、一抹の希望のもとに、振り返った。


「……!!」


 そこに居たのは、サラだった。


 いや……正確には、サラの体が(・・)いた。


 首から上には、別のものがいたのである。


 子ヤギの頭だ。


 太い黒の糸で縫い合わされた子ヤギの頭が、サラの華奢な体の上に当然のごとく居座っていたのだ。


 どういうことか、理解できなかった。


 体はサラの物だ。痩せた体型、この低身長、見違えるはずがない。


 では、なぜよりにもよってヤギの頭が?


 瞬間、サラを連れ去ったバフォメットの、あのセリフが蘇ってきた。


 ――この死体は有効活用させてもらうよ。


 まさか。有効活用とは、このことだったのか。


 死体に頭を縫い付け、ストラティオにするという、この信じがたい行為だったのか。


 エルアザルの背筋が凍る。


 同時に神を呪った。神は、サラを苦しませないと約束してくださったのではなかったのか。あの流星で、天使を遣わして……。


 サラの体がエルアザルを捕まえようと手を伸ばし迫ってくる。


 大人しく捕まるのが得策だった。しかし彼の感情はそれを許さず、エルアザルは無意識にその手を払いのけてしまう。


 ストラティオには何か防衛機能でもあったのだろう。突然警報が鳴り響いて、赤い魔法陣が至る所で浮かび上がり、四方八方からストラティオが飛び出してきた。


 あっという間に取り囲まれる。


 さすがのエルアザルも、この数には両手を挙げるしかなかった。大人しく膝をつく。


 すると、廊下に耳障りな声が響いた。


「久しぶりだね、エルアザル」


 奥からトントンと、跳ねるような音が近づいてくる。


 それが誰なのか、エルアザルには分かっていた。


 ストラティオが、おずおずと左右に分かれ始める。


 海を割ったモーゼのごとく、目の前に道ができる。


 そこには、全身を死の黒に染めた男が立っていた。


「バフォメット……!」

「やあやあ、どうも。何十年ぶりだねえ」


 バフォメットは帽子を取り、紳士的に腰を折る。禍々しい悪魔の角が見える。


「やはりお前が黒幕か!」

「さあ? なんのことだい?」


 帽子を被るバフォメット。


「それよりおめでとう、やっぱり聖職者に戻ったんだね」

「お前に祝われる筋合いはない」

「でも、戻ってよかったんじゃないかい? 昔抱えていた罪悪感は拭われ、おまけにいつも神に救ってもらえる。一石二鳥だ」


 バフォメットは薄っすら笑みを浮かべながら杖を振り回す。それが風を切っている。


「でも、生き残ったのは得策ではなかったようだね。あの時サラちゃんの後を追って自殺を選んでれば、ここまでの苦しみを味わうことはなかった」

「……」


 不覚にも、確かにと思ってしまった。


 自殺をすればよかったという意味ではない。


 ただ、この苦しみから解放されるのはいつかと、ずっとエルアザルは考えてきたのだ。


 教会からの追放、エスラスとの口論、孤独に包まれた旅、離婚、イアナとの決別、日に日に人との接し方を忘れていく自分……。


 人生が嫌になったことなど、一度や二度ではなかった。


 バフォメットは見透かしたような笑みを浮かべる。


「ふふ、君は十分生きたさ。いや、生かされたと言ったほうがいいかな。あともう少しの辛抱だよ」

「つまり、俺を処刑するんだろう?」

「そうだけど、その前にイベントを用意したんだ。こっちへ」


 バフォメットが指を鳴らすと、エルアザルの手枷が砕け、床へゴトンと落ちた。

 バフォメットが歩く背中ごしに手招いている。


 今にも逃げだしたかったが、やはりストラティオが邪魔だった。一人ぐらいなら杖がなくとも祓えるが、これだけまとめてとなると無理がある。


(やむをえないか……)


 エルアザルはストラティオに囲まれつつ、バフォメットのあとについて行った。

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