閑話 サンティアナの一日④
支部に帰ったのは、予想通り日暮れだった。
リーフィエが支部長室に来たので、出張先の出来事を話す。
至って真面目に話したはずだったのだが、リーフィエは時折顔を笑いに歪め、話の最後には腹を抱えて笑い始めた。
「……なにがおかしい?」
「いやあ、さすがお前は手厳しいなと思ってさ。まさか、胸倉掴んでとは……」
「思わず手が出たんだ」
「その癖直せば? お前は腹が立ったらすぐ手が出るんだからさ」
「……うるさい」
あの養成所には必要な物が欠けていた。じっとしてはいられなかった。
こういうところは、きっと、親に似たのだろう。たぶん、母親ではない方に。
「しかし完璧主義はどうしたよ? 仕事は講義をすることであって、生徒や所員の叩き直しじゃなかっただろ?」
余計なことをしたと言いたいのか?
「私は正しいことをした」
頑固だなあ、とリーフィエは肩をすくめる。
「それよりいつ私が完璧主義者に?」
「ず~~っと前から」
「……失礼な」
私は完璧主義者になった覚えはない。
しかし……と、リーフィエを盗み見る。
他人から、私がどう見られているかは、私には分からない。もしかしたら、リーフィエの言う通り、私は完璧を追い求める酔狂な聖職者に見られているのかもしれない。
自分を客観的に見るのは困難だ。自分が自分であり、この狭い体に閉じこもっている限り、自分を客観的に見るのは難しい。
私は改めて養成所での講義を思い出す。
養成所の彼らには、私がどんな風に映ったのだろうか。理想だけを語る聖職者だと、そう見えたのだろうか。
だとすると、彼らに、私の話は響いたのだろうか。
「……不安そうだな?」
ぎくりとして思わず腰を浮かす。
私の突然の動きに、リーフィエがちょっとのけ反った。
私はごまかしにそのまま立ち上がり、窓の方へ歩いていった。
窓に手をつき、外を眺めた。
見下ろされる家々には、明かりがポツポツと灯されている。街の人たちは今頃、家族で夕食を囲んでいるのだろう。
「リーフィエ」
「あん?」
「……私は、完璧主義者かもしれない」
「認めるのか?」
「いや……そうじゃないんだが……今、思ったんだ。この平和を守りたいと。ここの人々全員の幸せを守るという、その立場に私はいるんだと。だから私はこうしてここに立って、この街を見下ろしているんだ」
私が振り向くと、リーフィエはどこかため息にも似た息を吐き、微笑んでいた。
「そのために私たちイシキがいるんだろ? 当たり前じゃないか、そんなこと」
胸を打たれた。
確かに、当たり前だ。
「……そうだったな」
私は胸に燃え上がる物を感じた。再び燃え上がる、決意を。
そうだ。私たちは、覚悟の下にイシキになったのだ。
老父の声が突然蘇り、頭に響く。
『聞けイアナ。イシキが、ノモスが何をしてるのかお前は知らないんだ』
……私は知っている。正義を執行する、誇り高き聖職だ。民衆を導く、正統の宗教だ。
『……それに比べてキリスト教は立派だ。正統だ。あんな邪教より、イアナ、お前は修道女になるべきだ』
……何を馬鹿な。邪教はそっちだ。キリスト教こそ邪教で、悪の根源だ。悪魔を呼び寄せる異端者どもめ。
「……絶対に、捕まえてやる」
「誰を?」
私は答えず、資料の束を掴んだ。
リーフィエは私の顔を見てか、「じゃあな」と言い残して部屋を出ていった。少し難しい顔をしてしまっていただろうか。でも仕方ない。あの父親を思い出すと、無意識のうちにイライラしてしまうのだ。
私は乱暴に椅子に座り、秘書に約束した資料を読み進めていった。
どうやらノモスは、ガナフィクス全域で大規模な異教徒探しを行うつもりらしい。リストに上げられた人物を捕まえるのが、召集されるイシキの仕事のようだ。そのリストには、あの男――血縁上父親であるあの男――も入っているに違いない。あの男は、長らく行方をくらませている。捜索から逃れるためだろう。
私はさらに読み進めた。
途中、思わず武者震いした。
*
秘書が入ってきたときには、私はなんとかすべての資料を読み終え、咀嚼し終わっていた。
私はだらぁっとソファにもたれている。
「お疲れ様です、サンティアナ様。お仕事終わりに、ハーブティーはいかがですか?」
「ハーブティー……」
そういえば、昔父親がよく入れてくれたか。
すっきりとしていて、爽やかで、くどくなく、そして温かさが浸透するあの感じ。
あの男と初めて会った時、私は、あのハーブティーで心を開いたのだ。
あの時はまだ、それほど仲も悪くなかったのにな……。
「サンティアナ様?」
我に返った。
「あ、ああ。貰おう」
私はカップを受け取った。
さりげなくフーフー冷ましてから、傾ける。
「……ちょっと甘いな」
「糖分補給ですよ」
どこかムッとして秘書が言う。
「でもおいしいな」
「一言目に欲しかったですね」
「ああ……すまん」
私はカップを机に置く。
「また次も作ってほしいな」
「そうですか? じゃあ、どのくらいの甘さで入れましょう?」
「そうだな……次はもうちょっと、すっきりしたのが良いかな」
*
翌朝。慌ただしい足音がして、扉が開け放たれた。メイドが駆け込んでくる。
「サンティアナ様、リーフィエ様が……っ! 」
昨日の注意を思い出したらしい。
「私ったら、すみません! またやっちゃいました!」
私はやはり着替えの途中だった。前日通り、下着を替えようとしていたところ。
私は苦笑する。
「どうしてこんなにタイミングが良いんだ?」
えへへ……とメイドは上目遣いになる。
「すみません……」
「ま、失敗は誰にでもあることだ」
「はい……以降は気をつけます……」
半ばしょんぼりして部屋を出て行こうとするメイド。私は慌てて呼び止めた。
「でもやっぱり、私はそのほうがいい」
「へ?」
メイドはハッと口を押さえる。
「じゃなくて、えっと、どういうことでしょう?」
「あー、つまり……私はその方が好きだってことだ。好きな風にやってる方が」
メイドは珍しそうに目を丸くした。
「なんか意外です」
「どうしてだ?」
「サンティアナ様は、もう少し怖い人だと思っていたので」
今度は私が目を丸くした。
「確かに、職場では厳しい人だと思われているかもな。恥ずかしながら、部下に厳しく当たりすぎだと秘書によく注意される」
メイドは首をひねる。
「じゃあなぜ私の失敗が良いと?」
「失敗が良いわけじゃない……私はただ、時にはイアナでいたいと思っただけだ」
「イアナ……? お友達ですか?」
私は答えなかった。
「……忘れてくれ」
私は微笑む。
すると、メイドがまるで暗い穴を覗き込むような顔をした。
「サンティアナ様……なんだか、悲しそうですね」
「え?」
どうやら、顔に意図せぬ悲哀が滲みでていたようだった。
私は、あの男を憎んでいるはずなのに。
私がイシキになることに反対し、母の峠に立ち会わなかった、あの父親を憎んでいるはずなのに。
さっき私は、イアナでいたいと口にしたのだ。
あれほど大切にしたいと言っていた、サンティアナという名を差し置き。
両親と過ごした、もう捨てると誓ったあの名前でいたいと、そう口にしたのだ……。
信じられないことだった。
私は、自分が分からない。
何が正しいのか。
何が間違っているのか。
答えは……今考えても出てこない。
メイドが必死に今までの反省点を話している。
私が今"サンティアナ"なら、彼女を叱責しているところだろう。
これからのことを話せだとか、もっともらしいことを言って。
しかし、今の私にその気は全く起きないのである。
イシキのこと、父親のこと、完璧を追い求めること。
私の内には、矛盾した混沌が渦巻いている。
一体私は……これからどうしたいのだろう。




