閑話 サンティアナの一日③
それからしばらくして。川を二つ越えた私は、ようやく軍事都市サヴェルを目にすることができた。石組みの壁の上から、見張りが手を振っている。上司に見つからなければ良いが、と思いながら私は手を振り返した。
軍事都市とは、正聖殿や王城のある首都を取り囲むように設定された四つの都市を指している。周囲は重量感ある黒い石の壁で囲まれており、内部には兵士の宿舎や訓練所が所狭しと立ち並んでいる。特にこの都市サヴェルにはイシキを育てる養成所があり、多くのイシキがここを出ている。私は親の反対に遭い通えなかったのだが、楽しい場所だとリーフィエは言っていた。だからきっと良い所なのだろう。
私は巨人用かと疑うほど巨大な城門を上げてもらうと、中へ入った。開け閉めには百人ほどの兵士見習いを使っているらしく、巻き取り機からの視線が眩しい。
私はそんな大それた人間では無いのだが。
いや、もしや私の背の低さを珍しがっているのか?
いやいや、そんなことはあるまい。
歓迎のムードの中、私は王国兵の案内でイシキ養成所へと入った。
そこは殺風景な場所であった。外観もそうであったが、入ってすぐの受付も、病院かと思うほど白く、何も無い。長椅子がポツンと置かれ、時計がけたたましく鐘を鳴らす。
こんなに何もないものか?
他の場所は違うのかと思ったが、案内が所員に引き継がれ奥へと進んでいっても、やはりどこも病院のように真っ白だった。
「……確認するが、ここが養成所で合ってるな?」
所員に不思議そうな顔で見られる。
「……いや、なんでもない」
目をそらす。
楽しそうと聞いていたから、もっとこう、可愛い感じかと思っていた……見当違いだ。
「なぜここはこんなに白い?」
「精神を整えるためです。イシキになるためには、優れた精神力が必要ですから。余分なものは切り捨てております」
そういうものなのだろうか。
私は母に訓練を受けたが、精神云々は説かれなかった。むしろ、色々なことを詰め込まれた覚えがある。剣術や器楽、そして幾何学。イシキになるには全く必要ないことばかりだ。だが私はイシキになり、十七、じゃなかった、二十二の今、"上二位"まで昇り詰めている。
恩恵は少なくとも実感している。
切り捨てることが近道なのかもしれないが……しかし……。
所員が足を止めた。
「ここです。みんな待っていますよ」
第二講義室と札の掛かった部屋だ。私は頷くと迷いなく扉を開けた。
部屋には奥までずらりと、およそ二百人ほどが座っていた。みんな白い服を着ている。
私は全員を見渡した。
確かに筋はありそうな子どもたちだ。
「こんにちは」
私が挨拶すると、返事が一斉に返ってくる。音の塊が部屋に反響した。
「私はサンティアナ・オ・アギオス・ヴァージヌイ・ペルフェクシオン・フィリア・イシキ。カタスリプス支部の支部長で、親衛隊第一及び第二隊の隊長も務めている」
名前を名乗り始めてから、一斉に場がざわめいていた。名前の数を数人が指を折って数えている。こういうのが快感で、他のイシキたちは名前を偉そうに叫ぶのだろうな。
「静かにしろ」
私が呟くと、シンと室内が静まった。
「さて、今日は何を話そう? 二つ考えてきた。一つはイシキになることについて。もう一つはイシキがどのような仕事をしているのか。さあ、どちらかに手を挙げてくれ」
私は手を挙げさせたが、どちらも挙がったのは一二名だけだった。
……不快だ。
「じゃあどうしたい?」
聞くと、一人の手が挙がる。
「試験に受かる方法を教えてください」
視界に入っただけでも十数人が頷いた。
私はため息をつく。
「お前たち、私にそんなことを聞きたいのか?」
ちょっと自信なさげになりながらも、数人が頷いた。
……試験。
イシキになるためには、二年に一回の試験で実力を認められなければならない。合格者は毎回四名から五名。およそ五百人から選ばれる。残りはハイマシフォスになるか、適当な職に就く。
しかし私は試験を受けていない。ノモス様の側近だった祖父の薦めで、向こうはいつでも私を拾う用意ができていたらしい。
私はもちろん、その道を選んだ。
一瞬、私に必死で反対する父の姿が思い浮かび、慌てて掻き消す。
私は生徒たちを見渡した。
「……お前たちの中で、剣術をやっている者は?」
いない。
「じゃあ、楽器は?」
いない。
「幾何学は?」
いない。
私は首を振った。
「じゃあ、試験は無理かもしれないな」
どよめきが起こった。
「なぜですか!?」
「まあ落ち着け。まず、イシキになってる人間はみんな、本職とは全く関係ない何かしらのことをやってる」
私はセントピエルのことを頭に浮かべた。
「例えば、カタスリプスの副支部長はお前たちも知ってるようにイシキだが、彼は毎朝街をランニングしている」
ええっ、と声が上がる。イシキというと、彼らにはもっと厳粛なイメージがあったのだろう。
「そして私の友人のリーフィエは……」
短剣使いだ、と誰かが声をひそめて言った。
「そう、短剣の腕がピカイチだ。短剣に関してはガナフィクスで右に出る者はいない」
すげえ、とか、そうなんだ、といった声が聞こえてくる。
「そして親衛隊第二隊副隊長のパノルは魔法の研究をしていた人間だから、魔法の腕が立つし頭が良い。集中力もある」
サンティアナさんは? と誰かが聞いた。
「私は剣術をやっているが、腕はまだまだだ」
「でも、教官を務めてらっしゃいますよね?」
また他の誰かが聞く。
「確かに。でも、本来ならもっと上の人間が受け持つべき職だと私は思う」
しかし私がそういうのも聞かず、彼らは興奮した表情で口々に話し始める。
「おい、静かにしろ」
時間が止まったように、しんと静かになる。
「さて、今例に挙げた通り、私の知る優秀なイシキは皆試験とは全く関係のない何かしらに力を注いでいる。……そういった、いわゆる趣味を持つことは人間の質を高めてくれるんじゃないかと、私はそう思うんだが。試験のための勉強だけでなく」
場を見渡すと、自省しているのか俯いている者や、隣とひそひそ喋る者、得意げな顔をしている者など、反応が様々であることが窺えた。
一人が手を挙げた。
「でも、それは結局試験に受かることとあまり関係ない気がするのですが」
私は苦笑した。
「確かにそれだけを見れば、ランニングも短剣さばきも魔法研究も剣術も、あまり役に立たないように思うかもしれない。だが……」
外がやかましくなってきた。
もしかすると、所員たちは私の話している内容が気にくわないのかもしれない。
私は腰に提げた自分の剣を見やる。
「ちょっと見てろ」
剣を軽く指で叩いた。
柄の中で淡い光が放たれ、膨張した空気が密閉空間から逃げ出したような音とともに、男女の子どもが出現した。
「ひゃあ!?」
「人がいっぱい!?」
子どもたちは二人の出現に声も上がらないようで、目を丸くしている。
「この子たちは精霊だ」
私が目配せすると、少年と少女は肩を強張らせながら名前を言った。
「わ、わたしはアシュタ!」
「ぼくはロト!」
衝撃から我に返った一部の子たちが、未だに目を丸くしながら拍手を送った。
私は子どもたちを見渡す。
「この子一人を扱うのには、かなりの集中力が必要だ。それに体力も、あとこの子たちとのコミュニケーション能力も必要になってくる」
アシュタとロトが私の後ろに回って足にしがみつく。
「まったく、しょうがない子たちだ」
ふふ、と笑いが起きる。
「こんな見た目だが、扱うには相当の覚悟が必要だ。知ってる者もいるだろうが、精霊を使用したイシキが精神障害や記憶喪失など、致命的な事故をよく起こしている。もし精霊の扱いを間違えたり、こちらが力不足だったりすると……」
子どもたちが恐怖に顔を染めた。
そこで、慌てたように扉が開く。
「申し訳ありません、そろそろ次の工程が……」
「時間はまだのはずだが?」
所員の顔に、それ以上は止めてくれと書いてある。
こいつ、イシキになることのリスクを、まったく説明していないのか……?
「…………分かった」
子どもたちがざわつくなか、私は講義をさせてくれた礼を告げ、アシュタとロトの召喚を解除すると、部屋を出た。
扉の閉め際に、講義を打ち切られた生徒たちの不満そうな声が聞こえてきた。
目の前で、所員は私にペコペコと頭を下げている。
……腹が立つ。
「あ、ありがとうございます。あれ以上は生徒たちが怖がりますので……っ!?」
私は所員の胸ぐらを掴み上げていた。
「お前たちはイシキをなんだと思ってる?」
「え? あ、その、それは……」
「答えろッ!」
「ひぃ!? そ、それはその……」
「ノモス様に仕え、法に仕え、道徳に仕え、市民に仕える者だッ! 相当な覚悟がなくて務まるはずがなかろう!」
「ひっ!?」
「にも関わらず、お前たちは彼らに、覚悟の『か』の字も教えていなかった! 私が指摘していなかったら、あの子たちは覚悟が必要とされることも知らず、ただ流されるままにイシキになってたんだぞ!? そういうイシキがどうなったか、知ってるか!?」
所員は真っ青になりながら首を横に振る。
私は怒りを通り越して、呆れた。
なんだ、ここは。
リーフィエはここのどこをどう見て楽しい場所だと思ったんだ?
馬鹿馬鹿しい。
私は投げ捨てるように所員を解放した。
「なら教えてやる。私の知る生半可なイシキはな……全員、自殺したよ」




