閑話 サンティアナの一日②
リーフィエに追いつかれたときには、なんとか顔を元に戻せたので、並んで支部に向けて歩いた。
私の職場は隣町、カタスリプスにある。ここの支部には二人のイシキが配属されていると表には出ているが、実際には五、六人ほど居座っていることが多い。他と違ってカタスリプスにいれば面倒事が少ないからだ。どうやら誰か怖い人がいるおかげで、面倒が起きにくいかららしい。かなり強い女と聞くから、探し出して一度手合わせしたいと思っている。
支部に入ると、ハイマシフォスや憲兵や王国兵、役人や貴族までもが背筋を伸ばして私を迎えた。私はカーペットの敷かれた階段を上がる。
と、途中、壇上に紙ゴミが目に入った。
「おい、清掃員はどこだ!」
私が声を張ると、ひぃ、っと数箇所から悲鳴に似た声が上がった。見渡す。進み出る者はいない(むしろ全員後退した)。
どうやらここにはいないらしい。
仕方ない、秘書に言って人を変えてもらおう。完璧でないのは気分が悪い。
苦笑いしているリーフィエと踊り場で分かれると、私は自室に入った。
支部長室はいつ見ても広い。壁に掛けられた歴代支部長の肖像画はまだ二つしかないが、それはこの支部が比較的最近できたからであろう。ノモスは古くから存在していたと言い聞かされてきたから、きっと正聖殿には歴代のノモス様の肖像画がずらりと並んでいるに違いない。
ぼんやりと、ノモス様のそばで仕事をする自分を想像して、はっと現実に立ち返る。
私はまだまだ下っ端だ。ノモス様の側で働くなど、おこがましい。
私はとりあえずソファに座ると、私の後を追うように部屋に入ってきていた秘書に、清掃員の一件を伝えた。
秘書は今、レース柄の、淡青色が美しいドレスを身にまとっている。紺碧のイヤリングが、白い肌とコントラストを放った。
カタスリプスではまず見ない格好である。誰しもが結婚式かと思うに違いない。
というのも、彼女は有名貴族の娘なのだ。おそらく豪華な服しか持ち合わせていないのだろう。
そんな彼女がここにいるのは、彼女自らがこの仕事を志願したからである。彼女は私がここの支部長に就任してから、ずっと私の側で仕事の補助をしてくれている。
貴族の生活の方がよっぽど良かろうに、と思うのだが。
「……サンティアナ様……」
だから、こうして様付けで呼ばれるのは少し不思議な心持ちがする。私は平民出身だ。貴族に様付けされるなど、滅多にあることではない。
「お言葉ですが、解雇はやり過ぎではないかと….…」
「仕事ができない人間を置いておいてどうする? ゴミ一つでも何でも、放っておいては支部の士気が下がりかねん」
「それはそうかもしれませんが、今日担当の掃除人はまだ新人ですよ」
「それがどうした。できないなら田舎の支部にでも行かせればいい。そんな奴には緩みまくった土地がお似合いだ」
「……サンティアナ様……」
秘書は資料を胸に抱えたまま何かまだ言いたそうにしていたが、やがてため息をついた。
「分かりました。ご命令とあればそうさせていただきます」
私は頷いた。
「で、今日の仕事は?」
秘書は抱えていた資料をドンと机の上に置いた。
「今日中に目を通していただく、異教一斉摘発の命令書とその関連資料です。良いですか。今日中ですよ」
「へえ、もう踏み切るつもりなのか……って今日中だと!? 正気か!?」
資料の分厚さはいつもより少ない。ただ、今日はイシキの養成所へ行って軽い講義をしなければならないのだ。三つ隣の町だから、行って帰ってくる頃にはもう日は暮れている。完璧に内容を理解するには、少し時間が足りないかもしれない。
「お前、また私に徹夜させる気か?」
「サンティアナ様の仕打ちに比べれば、大したことありませんよ」
なっ。こいつめ皮肉を言ったな?
「……分かった、何とかする」
秘書は口に手を当て、上品に笑った。
企み事がうまくいったときの笑いだ。
ふと私は思った。
……もしかして、今日中に目を通す必要は無いんじゃないか?
資料を捲ると……案の定、会議は一週間後だ!
してやられた。しかし約束は徹底せねばなるまい……。
間に合うだろうか。
私は秘書を恨みながら、必死に資料に目を走らせ始めた。




