閑話 サンティアナの一日①
サンティアナ・オ・アギオス・ヴァージヌイ・ペルフェクシオン・フィリア・イシキ。
私の名だ。
これほど長い名前だと、煩わしくないかとよく言われるが、この長い名はイシキにとっては名誉の証であり、ノモス様から与えられた栄光の証明てある。だから煩わしいとは思わない。むしろ大切にすべきだと思っている。
……ところで、さっきからなんだか騒がしいな。メイドか?
バタバタと足音が向かってきて、バタンと扉を開けた。
「サンティアナ様、リーフィエ様がお見えですよ!」
「分かった。分かったが新入り、ノックぐらいできないか?」
今私は着替えの真っ最中だ。モコモコのパジャマを脱ぎ、下着姿で大窓から朝の光を浴びているところである。
新入りメイドはえへへ、と頭を掻く。
「以後気をつけます……」
私は苦笑した。
彼女らはこの館のオーナーである、リーフィエの父親に雇われているメイドだ。
リーフィエというのは私の部下で、イシキになったときからの親友でもある。仕事の時、特に遠征の際は、必ず彼女と一緒だ。私が毎回そう要望を出しているし、リーフィエもそれを承諾している。
あ、それは一緒にいると落ち着くからであって、べ、別に好きだとか……そういうわけじゃないからな。
……ゴホン、そして彼女の父は言わずと知れた大商人で、世界きっての大金持ちである。これほど豪華な館を個人で建てられるのは、北国の人間を除けばリーフィエの父親くらいだろう。彼の財力には、いつも助けられてばかりだ。私が宿代を払わなくていいのも、彼の好意あってこそだ。また今度、感謝の印に酒でも持っていこうと思っている。
私は、目の前のメイドが心配そうにこちらを見ているのに気づく。
どうやら私は長いこと黙りこくっていたらしい。
「あ、すまん。ともかく、先輩メイドに見つからないようにだけするんだな。さもないと、たっぷり絞られるぞ」
「ええっ!? 私、絞られちゃうんですか!?」
メイドは体を震わせた。たぶん、雑巾絞りでも想像したのだろう。
「……何か伝わっていないような気もするが。もう下がっていいぞ」
私は侍女を下げさせると、イシキに与えられる誇りの白ローブを纏い、部屋を出た。
*
リーフィエが居るというノモス聖職者用の食堂に赴くと、むさ苦しいハイマシフォスたちに紛れてリーフィエがこちらに手を振っていた。相変わらず眠そうな目をしている。が、別に寝不足なわけではない。こいつは早寝早起きの超朝型人間だ。それでも目が細いのは、本人曰く、わざとそうしているのだとか。自分をおっとりした風に見せたいらしい。
だが、中身はおっとりとはかけ離れていて……。
「ああ、くそ。また仕事が増えやがった」
念話――精霊の能力による遠距離会話のこと――を切ったところらしく、リーフィエが毒づいた。
「口が悪いぞ」
「おっと……仕事が増えちゃった、だな」
私は顔をしかめる。
「それはそれで気持ち悪いな。猫かぶってるみたいだ」
「じゃあどうしろってんだよ」
「普通でいい」
じゃあそのままで良いじゃねえかと愚痴を言って、リーフィエは水を一気に飲み干した。
私は苦笑して、ちらっと配膳カウンターの方を見る。
……結構混んでるな。今から並んで仕事に間に合うか……?
「あ、朝ごはんとっといたぞ」
そこでリーフィエがトレーを差し出してきた。
「……あ、ありがとう」
私は素直に受け取る。
……こういうさりげない優しさが、リーフィエのいいところだ。
私は料理に目を向ける。皿に乗っていたのは……
「おお、焼き魚か!」
私は目を輝かせた。焼き魚は私の大好物だ。
私は早速ナイフを入れ、魚を小分けにし始める。
「いつも思うけど、お前渋い味覚してるよなあ」
リーフィエが先に食べ終わっていたらしい皿を重ねながら聞く。
「渋い? この素朴な味が良いんじゃないか」
「味って言ったってただの塩だろ? 海水食ってるようなもんじゃないか」
「前も言ったが、その塩が素材の味を引き立てるんだ。全く、リーフィエは分かってない」
「でも、結局は唯のもさもさした塊に塩かけただけだろ? しょっぱいもさもさになっただけだ」
リーフィエはあくまでも焼き魚反対派につくらしい。私は反論しながら、魚を食べ進めていく。
食べ終わると、私はコップの水を飲み干し、パンを一、二個口に放った。
私の急ぎの様子を不思議に思ったのか、リーフィエが時計を見やった。
「あ、出勤か。いってらっしゃい」
「いってらっしゃい? お前も出勤だろうが」
仕方なくツッコんでやる。私はリーフィエが動くのを待つ。
しかしリーフィエは手をひらひらと振った。
「先行ってくれ、私はもうちょっと何か食ってから行くし」
「え?」
私は口をあんぐりと開けてしまった。
高揚していた気分が一気に萎える。
「で、でも、ほら、その、そうだ、遅刻したらまずい。リーフィエがもしかしたら腹痛になったりするかもしれないし、そしたら上司の私に怒られることに――」
「一緒に行こうって素直に言えば良いじゃん?」
「……!」
み、見透かされた。
あ、だめだ、これは顔が赤くなってる。
「べ、別に私はお前と行かなくたって……」
「寂しいんじゃないの~?」
リーフィエのいたずらっぽい笑み。
顔がさらに赤くなる。耳まで熱い。
「そ、そんなわけないだろ。というか寂しかったことなんて一度もない」
「ふふふ、そんなこと言って。じゃあ仕事中でも隙あらば私の部屋に来るのはなんでかなぁ?」
うぐっ。
「そ、それは、リーフィエが仕事をサボってるんじゃないかって心配なだけであって……」
「私が仕事を投げ出したことあった? むしろ忙しいお前を手伝ってやってるくらいなのに」
ぬぬ……。
上二位(聖職者の階級で、上から三番目にあたる)にもなると、身が一つでは足らないほど仕事が重なり、一睡もできなくなることがある。そういう時には、たまに仕事を代わってもらうのだ。
リーフィエが、伏せた私の顔を覗き込んでくる。
「あれあれ? どういう理由なのかな? 詳しく教えてほしいなあ~」
みるみる顔が熱くなってきた。
このままではいけない……このままでは、泣いてしまう!
「それじゃあもういい、私は仕事に行ってくるからな!」
「おい、置いてくなよ! ちょっとからかっただけだって!」
私は半べそで食堂から抜け出した。
とりあえず泣き顔は隠さなければ……まったく、人前で恥ずかしい限りである……。
お読みいただきありがとうございます。今話から第三章になります。4話から6話分は閑話と称してサンティアナの過去(リデルとナキが世界にやってくる一か月ほど前)編をお届けし、その後本編を展開していくという形になる予定です。今後とも、天秤世界のオオカミ幼女をよろしくお願いします。




