第五十九話 幼女、拉致される
リデルをこの世界へと導いた神、イムネは、相変わらず面白がるような笑みを浮かべていた。
「ふぅ~、ようやくこの世界に入れたあ。疲れた疲れた」
大げさにため息をついている。
「どうやってここへ? 来るのがむりとかなんとかゆってなかったか?」
「そうなんだけど、緊急事態だから。リデルさんの加護を辿って、頑張ったの」
褒めて欲しそうな顔を向けてくるが、今までの苦労がこいつのせいだと思うと腹が立ってきたので意地悪く目を逸らしてやった。
アレビヤが小声で尋ねてくる。
「誰なの?」
「はなせば長いってやつだ」
「教えてくれないの?」
リデルは肩をすくめた。もしオルワイデの神だとアレビヤが知ったら面倒くさそうだ。
アレビヤは、イムネを観察し始める。
ナキはファルヘとイムネのツインテールを見比べ、思い付いたように手を打った。
「あ、もしかしてあなたがファルヘさんの姉……」
「髪型はたまたまだよ」
「あ、そうですか」
ナキは顔を赤くして引き下がる。
イムネはファルヘと向き合った。
海風が、一行の髪をなびかせる。
「あなたが例の問題児、だよね?」
「問題児? オルワイデから私は問題児って呼ばれてんのか?」
「うん」
「なめられてんなあ」
ファルヘは肩をすくめる。
「……あなたがファルヘに成りすまし、リデルたちをたぶらかしていることは、前々から察知できてた」
三人に驚きが走る。
「成りすまし……!?」
「そう。わからなかった? まあ無理もないよね、ファルへの現物を見てないんだし。こいつはファルヘの偽物なの」
偽物と呼ばれたファルへが薄ら笑いを浮かべる。
「そんな根拠がどこにある?」
「まず第一に、オルワイデ十二神は直接人の前に姿を現したりしないの。もの凄く特別な場合や、緊急の場合を除いてね」
ちなみに今は後者だよ、とイムネは言う。
「それなら私もそうだ。だって、リデルの危機だろ?」
「ふん。そうだとしても、加護を盗んで勝手に与えたり悪魔と勝手に戦闘したり、ルールを遵守するファルヘ兄さんらしからぬ行動だと思うけどなあ?」
「それも緊急の措置だ」
「ふーん。じゃあ、これはどう説明するの?」
イムネは勝ち誇った笑みを浮かべ、あたりをうろうろし始める。
「私たちには人間同様性別が存在するよね?」
「ああ」
「そして、私たちの姿は、その与えられた性別にふさわしい格好で顕現する……」
「……ああ、そうだ」
ファルヘが諦めたような、投げやりな返事をした。
「で、知ってると思うけど……ファルヘは、紛れもない男神よ」
「な、なんだって!?」
ナイスリアクション、とイムネが喜ぶ。
「そう、ファルヘは男なの。女の姿になんてなれっこない!」
ええー!? と一同(アレビヤだけは冷めた様子だった)。
イムネは続ける。
「その姿はどこからどう見ても女でしょう? それは、あなたが女として作られた存在だという、何よりの証拠!」
「……女装してるんだ」
「嘘ね。言ったでしょ、私たちはその性別にふさわしい姿にしかなれないって。だから私がボーイッシュな服装をしたら、いつの間にか全部ロリータに変わっちゃう」
ロリータって何語だろう、とリデルは思う。
そこでナキが会話に入った。
「でも、ファルヘ……さん。この前、誰かの体を借りてるって言ってませんでしたっけ?」
ファルヘの名を口に出すとき、少し迷いがあった。
ファルヘが答えようとしたのを、イムネが遮る。
「そんなことを吹き込まれたの? まったく、神がそんなことできるわけないじゃない」
いい? とイムネは人差し指をたてる。
「私たち神ってのはそもそも、人間と運命共同体なの。人間がいるから神がいる。神がいるから人間がいる。この法則は、私たちが生まれてからずっと変わってないの」
へえ、と頷く一同。
「だから人間が信仰を絶やせば私たちは滅びるし、逆に私たちが人間を見放せば、人間は途端に普段の暮らしはできなくなるのね。つまりそこには互いの信認の糸があるの」
二人は頷いていたが、リデルは早くも付いていけなくなった。
話はどんどん進む。
「その信頼関係はオルワイデの戦いにまで遡るんだけれど」
オルワイデの戦い。
いつかアレビヤがそんなことを言っていた気もする。
「その頃人間たちは、雨が下から上へ降ったり、地面が崩れ落ちたり、めくれ上がったりする、不思議で理不尽な世界で生きていたの。食料は自然からしか得られなかった――人間が手を加えようとすると植物は嫌がって枯れちゃうの――から、人間たちは食料の奪い合いに勤しんでいたのね。流れた血としてはまあ、その時はまだマシだったかな。でも、そこに怪物たちが現れた」
「かいぶつ?」
「うん。今でいう悪魔のこと」
「悪魔? そんなに昔から?」
「驚くだろうけど、そうなの。生まれてしまった原因ははっきりしてるんだけど……」
イムネの顔が曇った。まるで、罪悪感に苛まれたような。
「とにかく、人間たちは突如現れた144体の悪魔と全面戦争を始めたの。でも、彼らは金属の武器なんて持ってなかったし、衣服さえも身につけてなかった。さっきも言った通り、自然は人間にいじられるのが嫌だったから、木綿だとか鉱石とかも、加工しようとすると朽ちてしまうの。だから技術も無かった、というか必要無かったのね。つまり当時人間っていうのは根性だけで生きながらえているような種族だったから、当然、強大な力を持った悪魔に勝てるはずがなかったの……そこでそれを見かねた私たちのボスが、人間たちと契約を結んだの。なぜかは分からないけど、多分ボスは人間たちと自分たちの切っても切れない関係に気付いてたんだと思う。すると世界は今のような法則を持った動きを始め、人間たちはたちまち技術と知能を身につけていったの。そして、人間の持ち始めた希望によって、悪魔たちは一旦退散したの」
ファルヘが暇そうにあくびをした。
「世界はそれで平和になった。でも、技術や文明が発達するにつれて、また人間同士の争いが始まってしまうの。すると悪魔が再登場。オルワイデ十二神のほとんどは憤怒して、人間と手を切ろうと言い出した。彼らは人間と神の関係を知らなかったの」
かくいう私もまったく知らなかったんだけど、とイムネはぼそり。
「でも気付いていた神もいて、他の神のことを傲慢だと批判したの。今振り返れば事実そうだと思う。その神はボスの妻だったから誰も反論できず、契約は維持されることになったの。そしてすぐに戦争が始まった。神と人間の連合軍と、悪魔と悪霊の連合軍との戦争……」
「それがオルワイデの戦いか……」
「いつまで昔の話してんだよ?」
ファルヘがしびれを切らしたように噛み付いた。
イムネがため息をつく。
「これからが良いところなのに……ま、話をまとめると、神と人間は別個に存在してこそ互いの存在を支え合えるってことなの。でももし神が人間に入り込めたら、神同士で存在を維持できるようになっちゃうでしょ? そうしたら人間は捨てられて、また昔に逆戻りじゃない。そんなことになってないのは、神が人間に入り込めないことの、明らかな証拠だと思うけれど」
ナキとアレビヤは納得したようだった。
リデルは口をぽかんと開けて思考停止してしまっていたが。
「じゃあこの人は一体誰……なんでしょう?」
ナキが言うと、リデルを除いた全員がファルヘを名乗る人物を見つめた。
「だ、だから私は正真正銘ファルヘだと……」
ファルヘを名乗る人物は言いかけてやめた。信じてもらえないと悟ったらしい。
「はあ、まったく。オルワイデが来るのはもっと後だと思ってたんだけどなあ」
「ふふ、確かに本当はもっと時間がかかるはずだったんどけどね。幸いあなたが加護を付けてくれてたから、それを糸口にして入り込めたの」
「……加護が仇になったか」
"ファルヘ"はチラリとリデルを見た。
イムネは追い詰めたとばかりに人差し指を突きつける。
「さあ、観念するのよ。あなたをボスの所へ連行して、詳しい話を聞くから」
イムネは"ファルへ"にじりじりと近づく。
"ファルヘ"は舌を打った。
「こうなったら」
彼女が指を鳴らす。その乾いた音が響くと共に地面がめくれ上がると、そこから幾多もの火柱が吹き上がった。慌てて避けた二人と一柱は、リデルと距離を離されたことに気づく。あっという間に火柱はリデルを取り囲む。
「しまった!」
「オラッ!」
"ファルヘ"が手を勢いよく広げると熱風が放たれ、火柱が立ち消えたかと思うとアレビヤたちはその凄まじい風圧に大きく吹き飛ばされてしまう。
火柱にも熱風にも当たらず無事だったリデルがキョトンとしていると、"ファルヘ"がやってきてリデルを担ぎ上げてしまった。
しかし、リデルは意外にも慌てていなかった。
リデルはファルへの耳元で囁く。
「おいどうする気だよ。これいじょう何かしでかしたら余計まずいんじゃないのか?」
「ふん、構うもんか」
"ファルヘ"は一同へ向き、声を張った。
「リデルは貰ってくぜ! 恨むならオルワイデを恨みな!」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
「先輩!」
リデルを取り返そうとイムネが指笛を鳴らす。"ファルヘ"の熱風にも劣らない豪風が巻き起こり、砂を巻き上げながら彼女に向かう。
しかし風が到達する前に"ファルヘ"は姿を消してしまった。リデルとともに。
風は街灯をなぎ倒しながら、虚しく海の向こうへ溶けていった。
「先輩……先輩ッ!」
アレビヤは愕然とし、ナキはがくりと膝をつく。
一行に、絶望が広がった。




