第五十二話 精霊、ロトとアシュタ
「ぼくはロト!」
「わたしはアシュタ!」
いきなり自己紹介がはじまる。
「ぼくの好きな食べ物はキノコだよ!」
「わたしの好きな花はトリカブトなの!」
「ぼくの好きな虫はハエだよ!」
「わたしの好きな天気は雨なの!」
「ぼくの――」
「分かったから黙れ」
サンティアナに叱りつけられ、二人はしゅんとする。
エルアザルには彼らが例の悪霊だとわかっていたが、そんな姿は少し気の毒に思えた。
(俺も……リデルたちにキツい当たり方をしてしまったか……)
エルアザルは罪滅ぼしのつもりで、二人に尋ねてみた。
「君たちは姿がそっくりだが、もしかして双子かい?」
すると二人はキラキラとした目を復活させ、
「うん! ぼくたち、仲良し双子の」
「兄妹なの~!」
と答える。さっきの暗さはどこへやら、今は喜びの表現か手をパタパタと動かしている。ちょっとかわいい。
しかし、いくら容姿がかわいくとも悪は悪だ。気を緩めてはいけないと自分を叱る。
「君たちはアシュタロトの手下だな?」
男の子の方、ロトがぴくりと反応した。
アシュタロトとはキリスト教に語られる忌まわしき高位の悪魔であり、その存在は聖書の黙示録にも触れられている。
「ええっ!? おじいさんなんでわかっムグムグ」
女の子の方、アシュタが、慌てたようにロトの口を塞いだ。
「ちがうよ、わたしたちはサンティアナお姉ちゃんの、かわいい精霊さんだよ。ね、お姉ちゃん」
アシュタがくりくりした目を向けると、サンティアナは唾を飲み込んで、一度だけ頷いた。
何やら表情がかたい。まるで笑うのを我慢しているかのようである。
事実そうだったようで、アシュタに見つめられ続けたサンティアナは、抵抗しがたい何かに押しきられたかのように、かたい表情をくずし、愛娘を見るような顔になった。
どうやら、我が娘はは子ども好きのようだ。
「だが、名前から考えても、気配から考えても、君たちがアシュタロトの部下であることは間違いないと思うんだが……」
双子が首を振って否定しようとしたところに、憤慨したサンティアナが割って入った。
「何を言う! この子たちは私がイシキになった時から面倒を見てるんだ、あんな下劣な悪魔と一緒にしないでもらおうか!」
サンティアナは長い剣を突きの形に構え、不動の姿勢をとる。
イアナは、武闘派一家の育ちだった母親に剣術を教わっていたが、今のこの構えは当時と全く変わらず、それどころかさらに研ぎ澄まされているようにも見える。
鋭く目が向けられる。
空気が張り詰める。
「俺を殺すか? イアナ」
「……今お前の命の所有権は国王とノモス様にある。殺す権利は私にない。ただ、私はお前を、無理やりにでも捕らえるだけだ!」
幼い頃とは見違えた、覇気を伴った声。
来る。
そう思った時には、もうサンティアナは目前にまで迫っていた。
(この刹那の間に……!)
サンティアナは自らを奮い立たせるがごとく雄たけびを上げる。
繰り出される突撃。エルアザルは適切に対応できず、かろうじて杖を斜めに出し、攻撃を受け流しことしかできなかった。強固な樫が剣を弾き、金属音を響かせる。しかし勢い勝った剣戟に、老体は大きくよろめいた。
「もらったッ!」
裏刃が水平に返ってきた。
(この巨大な剣を、これだけ素早く振るえるとは……!)
しかもその刃は正確にエルアザルの腹部を捉えている。
「くっ……!」
エルアザルは苦渋の決断に、杖を地面に突き立てた。
エルアザルの杖にはあらかじめ魔法陣が刻み込まれている。それが彼の意思と、地面への衝突などの衝撃に呼応し、魔法を発動させるのである。
杖をぶつけた地面から光の洪水が発生し、サンティアナは何かに思い留まると間合いを取った、すると地面が光に押し退けられるようにめくれ上がり、すさまじい爆風が!
遅れて轟音がやってきて、エルアザルは自分の体が地面を転がる感じを覚え、サンティアナはというとその小柄な体が仇となり、十メートル近くを森の方向へ吹き飛ばされていた。
風が収まると、エルアザルは亀裂の入ってしまった杖で体を支えつつ、なんとか起き上がった。
「イアナ……?」
エルアザルは擦り傷や汚れた自分の服など意に介さず、真っ先にサンティアナの姿を探した。しかし見当たらない。
まさか、今の魔法で……いや、そんなことあるはずがない。爆発に見えたさっきの魔法は、光と音のこけ脅しだ。
一般人が見れば大規模な爆発にも見えるかもしれないが、魔法学から見ればかなり殺傷性の低い風魔法だとわかる。
すなわち、人が即刻死ぬことはありえない。サンティアナはどこかへ吹き飛ばされたのであろう。
(とはいえ、打ち所が悪ければ命に関わる……)
エルアザルは目を凝らし辺りを見渡すと、森の奥に、なにやら白いものを見つけた。イシキの白ローブだ。腕を投げ出し、地面に倒れている。
顔がさっと青ざめた。
慌てて駆け寄る。
近づいて行けば行くほど、彼女に動きがないことを思い知らされた。
ああ、また俺のせいで!
サラたちと、横たわる娘の姿が重なる。
膝をつき、娘を揺すった。
「おい、イアナ、イアナ! 大丈夫か!?」
一心不乱に声をかける。
すると。
「いつまで親子ごっこを続けるつもりだ?」
背後から、サンティアナの声がした。
ゆっくり首を向けると、そこには切っ先を突きつける娘の姿が。
一先ず安堵する。
(では今倒れていたのは……)
首を僅かに動かし見ると、そこにはあの双子が寝転んでいて、仲良くじゃれあっていた。
見間違え?
いや、確かにイアナはここで……
「そうか、暗示を!」
悪魔や悪霊は、暗示によって人間に干渉してくる。その暗示によって目が眩まされ、双子をイアナと見間違えたのだ。これまで多くの経験を積んできた自分が全く気付けなかったとは、かなり強力な暗示である。
しかしそこで疑問が浮かんだ。
たかが悪霊が、そこまで強力な暗示を掛け得るのか? 彼らがあのアシュタロトの手下だとはいえ、所詮悪霊は悪霊だ。そこまでの力を持つことなんて――
……まさか。
「イアナ、お前代償を……?」
サンティアナは一瞬だけ、目を見開いた。それはサンティアナとしてではなく、娘としての、イアナとしての表情だった。
しかしすぐその表情は隠れ、
「お前には関係のないことだ」
冷酷な剣が向けられる。
「さあ、ご同行願おうか」




