第五十一話 親子の再会
エルアザルは、人生の中で一二を争うほどの緊張に襲われていた。
分かる。
裏口を抜けた先に、ヤツが……娘がいる。
アレビヤたちを表から出して正解だ。
娘は異教徒に対しては容赦しない。
あのリデルという小娘なら太刀打ちできるかもしれないが、精霊を使うことを考えれば分が悪いのはやはり変わらない。
アレビヤたちを、わざと敵の群れへ突っ込ませたのは申し訳ないと思うが、娘と比べればどうということはないだろう。そこは信じるしかない。
エルアザルは息を吸い込み、老体に鞭打って前に進むと、戸を開いた。
目が合う。
シルクのような金髪の、純粋な目をした、少し背の低い女が、そこにいた。
纏うローブは軍服のような仕様になっている。右肩のみに金属製の肩当が付いており、そこから金糸の束が垂れている。両腕の部分には植物をモチーフにした金の刺繍が入っており、両脇から真っ直ぐ一番下にかけては、これまた金のラインが走っていた。腰に据えた剣は、小さい背丈に不似合いなほど大きい。だが娘ならば振り回すのは容易だろう。
しかし頼もしくなったものだ。小動物のように怯えた目をしていた子が、今はこんなにも凛々しくなって。相変わらず背は低いが。
「イアナ……」
懐かしさにそう口に出すと、
「その名で呼ぶな。私はサンティアナだ」
忌々しい。そう吐くような口調。
エルアザルは寂しいような、悲しい気持ちに胸を刺された。
(イアナ……)
イアナはエルアザルの一人娘だ。「サンティアナ」というのは「イアナ」に「聖なる」という意味の接頭語を組み合わせた名だ。イシキになるときは、皆こうして名前を変えられるのである。
エルアザルはその改名のような通過儀礼が嫌いだった。
サンティアナは殺意を剥き出しにした目でこちらを見ている。
エルアザルは目を逸らすまいと見つめ返す。
彼女は、ノモス教徒である妻との間に生まれた。初めて見た赤子の姿は、命というものの素晴らしさを改めて刻みこむのに十分な愛らしさを持っていた。エルアザルはもう既に五十近いにもかかわらず子どもを授かることのできた奇跡に喜び、一生面倒を見ると決める。だが娘が一歳のとき、夫婦のすれ違いで家を出ざるを得なくなり、そこからまたしばらく旅を続けた。結果、家に戻ったのはイアナが十のとき。内心娘に会うのを楽しみにしていたエルアザルだったが、顔も覚えていない老齢の父に、少女が心を開いてくれるはずもなかった。イアナが十四になったとき、娘はイシキになりたいと言い出した。イアナには修道女、あわよくばエクソシストになって欲しいと思っていたエルアザルは娘と衝突し、口論になった。エルアザルに似て意固地だった娘は結局言うことを聞かず、エルアザルは怒りのままに家を出た。
そして現在に至る。
こういう不器用は歳を取っても変わらなかったようだ。
エルアザルは咳払いして尋ねた。
「元気か?」
「元気か、だと?」
サンティアナはフッ、と鼻で笑う。
「大罪人が」
突き放す口調。
……大罪人。その言葉にびくつく自分がいる。
「言葉遣い、変えたんだな」
「……お前には関係のないことだ。それより私が現れた意味、分かっているな? お前には逮捕状が出ている」
サンティアナは懐から一枚の紙を取り出すと、エルアザルにつきつけた。確かにエルアザルの名が入った令状だ。下部にはサインと、大きな丸い朱印が二つ押されている。一つは国王の、もう一つはノモス王のものだろう。
「逮捕状とはいうが、これはノモスおよび国家がお前の命を掌握、管理することも指し示すものだ。それは理解しているか?」
「理解はしているが。納得はしていない。頼むイアナ、ノモスからは足を洗ってくれ」
「何を馬鹿な。足を洗うだと? まるでノモスが悪かのような言い草だな。そうして信徒を洗脳してるのか? むしろ足を洗うのはお前の方だろう。悪魔を遣う悪の権化め」
「何を言ってる? 悪魔を遣ってるのはそっちだろう?」
「ハッ、笑わせる。文献を照らし合わせても、お前たちキリスト教徒が悪の根源だったことは明らかな事実だ」
「それはノモスが資料を改ざんして事実を捻じ曲げてるからだ」
「口だけならなんとでも言える。だが言い逃れはできないぞ? ガナフィクス聖堂襲撃事件も、レビヤタン襲撃事件も、お前たちの仕業だという証言は山ほどあるんだ。赤い光の目撃証言から、悪魔がお前たちに召喚されたことは紛れもない事実」
「なぜ赤い光だけでそう断言できる? ノモスが悪魔を召喚して、俺たちキリスト教徒に罪を着せた可能性は?」
「ない。それは悪魔を滅ぼすというノモスの方針に反する」
「なら由々しき事態だな。ノモスが遣う精霊、あれは悪霊だぞ?」
「な…………そんなもの虚言だ」
サンティアナが初めて動揺を見せた。
「薄々勘付いてはいるんだろう? ノモスがどこかおかしいと」
「……なんのことだ?」
「俺は昔言ったはずだぞ。ノモス教は悪魔信仰の系譜を引いてる。ダセイア王国の南で栄えていた信仰だ。悪魔との繋がりが無いのはおかしい。お前たちは目が眩んでいるのか知らないが、イシキの遣う精霊はどこからどう見ても悪霊だろう?」
「……なるほど、そう言って時間稼ぎをするつもりか? ならば強制執行する他あるまい」
サンティアナはあくまで冷静を装っている風だが、その手は剣に伸びた。
彼女は、気付いてはいる。だが、きっと理解したくないのだ。
自分の信じてきたものが、崩壊するから。
サンティアナは抜剣する。重厚そうな鋼が鞘から伸びるように抜かれ、1メートル、いや2メートルはありそうな両手剣が、その姿を現した。同時に、刀身に刻まれてあった魔法陣が赤の光を放ち、サンティアナの両脇に二つの姿を出現させる。
「呼ばれて飛び出て~」
「なんとやら~」
水色と桃色の寝間着に身を包んだ、十歳くらいの少年少女が手を広げ、屈託のない笑顔を見せた。




