第四十九話 襲撃
老齢のエルアザルが、目から光る雫を流すのを見て、アレビヤは胸の苦しさを覚えた。
「それから、どうしたの?」
涙を拭きながら、エルアザルは答える。
「国は出た。もう用は無かったからな。そこから場所を転々としながら、エクソシストを目指した。師を見つけるまでの数年では、エクソシズムは全くものにできなかったが」
エルアザルはアレビヤを見つめる。アレビヤはなんだか痛いところを突かれた気がした。
「で、その……バフォメットは、どうなったの?」
「……どうなった、というと?」
「その、つまり復讐は……」
エルアザルはひらひらと手を振った。
「そんな考えはとうの昔に捨てた。復讐なんてしても意味無いだろう?」
「そ、そうよね……」
アレビヤの声は震えていた。というのも、エルアザルの目には明らかな殺気が篭っていたのである。
「なあなあじいさん、そうゆう話もいいんだけどさ、なんかこう、もうちょっと明るいはなしは無いのか?」
リデルがそう聞いてくれて、アレビヤは内心ほっとする。ただ、これ以上話をさせようというのはどうなのか。
エルアザルは記憶を探るように宙を見た。
「そうだなあ……」
「ほら、うれしかったときとかさ」
「嬉しかったとき……」
エルアザルは腕組みする。
リデルは苦笑いした。
「じいさん、そんな悩まなくてもいいんだぞ……?」
それでもエルアザルはうーんと唸って、一つだけ答えた。
「そうだな、娘が生まれたときは……嬉しかったか」
「ケッコンしてたのかよ!?」
「ははは、失礼な小娘だ。あんなに旅してれば俺でも相手くらい見つけられる」
そこでナキが食いついてきた。
「二人の出会いはどうだったんです? どこに惚れたんですか?」
「まあ、色々だな」
ナキが不服そうに顔をゆがめたので、エルアザルは笑う。
「そういう話もしてやりたいが……どうやら時間切れのようだ」
「どういうことだ?」
「すぐ分かる」
三人は首をかしげた。
と、同時に、小屋の扉が激しい乱打の音に襲われ始める。慌てて見ると、向こうから何者かが扉を突き破ろうとしているようで、木が音のたびに何度も枠から浮き上がり、今にも外れそうになっていた。
「なんだよこれ! じいさん、せつめいしろ!」
エルアザルは杖に体重を預け立ち上がる。
「分かるだろう? 追手だ」
「おって? なんの……まさか」
リデルは目を見開く。
エルアザルの手に力が籠り、一瞬杖が震えた。
「そうだ。とうとう……ノモスが来た」
激しい突撃に扉は悲鳴をあげ、木の折れる音とともに、とうとう裂け目が開く。そこから白ローブの姿が認められた。
アレビヤが驚く。
「イシキが直々に? 珍しいわね」
「それだけじいさんが強いってことだろ」
「あの、冷静に分析してないで逃げません?」
エルアザルが杖を振り上げ床を突くと、木の響きと共に床から顔なし人間が這い出てくる。
「お前たちは逃げろ。ヤツはお前たちがここに居るとは思ってないはずだ。ここは俺が引き受ける」
「でもそれじゃあじいさんが逃げられないだろ!」
「そうよ、逃げないと! ここで終わっちゃいけないわ!」
二人は必死に説得しようとする。
しかしエルアザルは首を振った。
「さっきも言っただろう。全員は助からないものなんだ、この世の中はな。さあ、逃げろ」
「で、でも……!」
ぐずる二人。
それをナキが裏口へ引っ張っていく。
しかし、エルアザルはそれを止めた。
「だめだ、裏口からは逃げるな。正面からだ」
「なぜです!? 正面は敵がいるのに――」
「いいから黙って逃げろ!」
ひっ、とナキは身を縮ませた。
「安心しろ、念のためこの子を護衛に任せる」
エルアザルは背の低い顔なし人間を見つめると、彼はそれに語りかけた。
「俺が死んだらお前はただの土に戻ってしまうが……そうはさせない。……ん? 寂しくないかって? いや、大丈夫だ。もし死んでも、向こうでまたお前に会えるからな。さあ、最後の仕事だ。あの三人を、無事に山から下ろしてやってくれ」
顔なし人間はアレビヤ達を追い越すと、ついてこいと言わんばかりに前を歩いていく。
「じいさん、ほんとうに大丈夫なんだろうな……? もししんだりしたら……」
「まだ生きるさ。縁起でもない」
エルアザルはリデルにウインクしてみせると、アレビヤを見る。
「アレビヤ。お前に今から大切なことを告げる」
「な、何よ」
「お前には、これから世紀の大仕事が待ってる。いつになるかはわからない。一年後十年後かもしれないし、明日かもしれない。だが、とにかくお前は大きなことを成し遂げなくちゃならない」
アレビヤは目を瞬いた。
「どういうこと? 一体何があるっていうの? 私は何をするのよ?」
エルアザルは微笑んだ。
「困惑するのも当然だ。だが、直接は教えられない。会話を何が聞いてるかわからないからな」
「じゃあ何をすればいいかもわからないじゃない!」
「落ち着け。今まで教えたことの中に答えはある。信じろ。わかったな」
アレビヤは不安そうな目をエルアザルに向ける。
しかし今まで一緒に過ごしてきて、エルアザルを信じざるを得ないことは、よく理解していた。
「よくわからないけど……分かったわ」
「それでこそ我が弟子だ」
エルアザルはそれからナキの肩を叩き、裏口のほうへ行くと、扉の前で杖にもたれ、戸をにらみつけ始めた。
その立ち姿は、戦いの時を待つ騎士のよう。
(どうか無事でいてね……師匠)
アレビヤは目の前の問題に再び意識を向け、息を飲んだ。扉はあと数十秒持つか持たないか。この先には、大軍が待っているのだろう。
「正面突破なんて無謀ね。ま、私たち、今までこれしかやってない気がするけれど」
「言われてみれば確かにそうですね」
「でもさ、いままで成功してるしだいじょうぶじゃないか?」
「まあ、なんとかなりますか」
「ええ、多分ね」
三人は覚悟を決める。
同時に扉が壊れ、鎧で武装した数十人の王国兵達が、部屋の中になだれ込んできた。




