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天秤世界のオオカミ幼女  作者: 鵺這珊瑚
第二章 港町アバンドレ
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第四十六話 お兄ちゃん

 翌日、昼まで時間があったので、エルアザルはサラを家に残し、町の小さな図書館に出掛けた。ここの本は様々な所からの寄せ集めのようで、一部の本には北国の国章や、あまり目に入れたくない南西諸国の魔法陣型の紋章が背表紙に入れられている。貿易ができないとはいえ、サービスを充実させるための努力はしているようだ。

 エルアザルは趣味の棚から料理本を数冊手に取ると、魚のページを開いた。漁港のある故郷にいつ帰るかは分からないが、魚を捌けて悪いことはあるまい。またいつか実践練習しよう。


 分かりにくい絵や文を見て、三枚おろしのイメージトレーニングをしていると、正午の鐘が鳴り響いた。王城はこうして、みんなに時間を伝えている。


 そろそろ行かなくては、と思いながらも本に張り付く。エルアザルは町民では無いので本を借りられない。内容は少しでも目に焼き付けておけたかった。

 粘ること数十分。さすがにこれ以上サラを待たせるのは悪いかと思い、名残惜しくも書架に本を戻そうとページを閉じる。するとその姿がよほど悲しそうだったのか、図書館員が声を掛けてくれ、なんと貸出を許可してくれた。悪い人では無さそうだという町の人の噂を聞いていたようである。

 エルアザルは何度も頭を下げ、数冊の本を手にウキウキ気分で図書館を出ようとしたところで、思いつきをし、踵を返す。昨日流れ星が見られなかったから、その埋め合わせで星の図鑑でも借りて帰ろうと思ったのだ。

 関連した本は結構あった。やはりそれだけ「星」というものは人を惹きつけるのだろう。数十分吟味して、写実的な絵が一番多く載っていた本を一冊追加し、家へ戻った。



 家の前に着くと、サラの話し声が聞こえる。かなり楽しげだ。伯父夫婦と話しているなんて珍しいな、と思いながら扉を開けた。


「あ、エルアザルさん」


 えくぼを作って迎えてくれるサラ。やはりいつ見ても可愛らしい。

 机を見ると、来客用のお菓子が洒落た皿の上に乗せられていた。

 誰かきているのか。サラの向かいは、ドアの陰になってちょうど見えない。

 怪訝に思いながら中へ入ると……

 絶句した。

 腕から力が抜け、本がバラバラと落ちた。

 拒絶反応を起こすが如く体が震え、怒りと恐怖が湧き上がり、聖域を乱されたような激しい不快感が胸を焼く。


「ど、どうしてお前が、サラと一緒に……?」


 問われた黒ずくめの男、バフォメットは、餅をさも美味(うま)そうに頬張っている。


「いやあ、ちょっと、もぐ、サラちゃんにお話があってね。私も持ちかけるか持ちかけまいか迷ったんだが、もぐ、サラちゃんのためを思えば聞いておくのが一番かなと思ってさ。今日は無理を言って、家にお邪魔させてもらったんだよ」


 そう言ってバフォメットは呑気に二つ目の餅に手を出そうとする。


「貴様、よくもノコノコと……!」


 エルアザルは息を荒くし、憤怒のままにバフォメットに掴みかかった。と、同時に、悪魔には触れられないことを思い出す。

 僅かに残っていた理性が罵った。また相手のペースに持って行かれてしまうではないか、エルアザル。学ばない奴だな。

 が、そうやって伸ばしたエルアザルの手には、服の感触があった。その手はしっかりと、バフォメットの襟首を掴みあげたのである。


 どういうことだ? 悪魔には触れられぬはずでは無かったのか?


 知識がひっくり返り一瞬怯んだが、手はかろうじて緩めなかった。

 目の前に、あの腹立たしい親の仇がいる。捨てたと思っていた復讐心が、頭を支配し始めた。悪魔を直接殴れるなんて、こんなチャンスは滅多にない。さて、どう痛めつけてやるか。


 しかし拳を固めるより先に、エルアザルは仇から引き剥がされた。サラが間に割って入ったのだ。


「やめて、エルアザルさん」

「でもサラ、そいつは……」

「分かってる、お兄ちゃんを…した人でしょう?」


 か細い声が震えている。


「でも、まずは話を聞いてほしいの。大事な話。だから、乱暴はやめて?」


 サラの目が、こちらを見つめる。優しげな声に反した非難の色が、エルアザルを突き刺した。


「サラ、聞いてくれ。俺はお前を守ろうとしたんだ、そいつは……」

「早く座って?」


 サラは素行の悪い少年を宥めるように言って、椅子に座り、向かいにバフォメットを改めて座らせた。バフォメットは紳士的に笑って腰掛ける。

 エルアザルは、どうしてこうなるのか理解できなかった。確かに武力に訴えたのは軽率だった。だが、まさかサラが自分ではなく親の仇の方を庇うなんて。考えられない。サラはバフォメットに何を吹き込まれた? それに、さっきから言っている大事な話とは何なんだ?


 その答えは、会話の中にすぐ現れた。


「で、どうしたらお兄ちゃんは帰ってくるの?」


 お兄ちゃんが、帰ってくる?

 まさか、死者蘇生の話を?

 それが大事な話?

 そんな馬鹿な!


 バフォメットはさながら催眠術師のごとく語り始め、サラはそれを熱心に聞いている。

 エルアザルは怒りを爆発させた。テーブルが両の手の平に叩かれ、菓子が弾け飛ぶ。


「バフォメット、さっさとここから出て行け! こんなくだらない話、今すぐ止めにしろ!」

「くだらない話?」


 噛みついたのはバフォメットではなく、サラだった。


「お兄ちゃんの話がくだらないって言いたいの!?」

「違う、違うんだサラ。こいつはサラを唆して何かを企んでる。こいつは悪魔なんだ、忘れないでくれ」

「……だとしても、お兄ちゃんを取り戻せるなら、構わない」


 サラは決意に満ちた顔を向ける。

 エルアザルはサラを守りたい一心で懇願した。


「サラ、頼む、考え直せ。悪魔との取引で幸せになれた奴なんてこの世にいないんだよ。大小様々な望みを持ち悪魔と契約した人々は、全員が大きすぎる代償を払って破滅したんだ。例外なく、全員がだ。それに今回の話は次元が違う。死者蘇生なんて先祖から子孫まで全部の魂を捧げたって叶わないんだ。死んだ人とは、神が死者と生者を召喚なさり、天国と地獄に振り分けられる審判の日が来るまで、会うことは叶わないんだよ。分かってくれ……!」


 しかしサラは頑なに首を振って拒絶した。


「嫌。こんなチャンス二度とない。例えこの契約で世界が滅びたって……お兄ちゃんが帰ってくるなら、それで良いの」


 何を馬鹿な、そうエルアザルは悲嘆した。

 そして、のんびりと足を組み澄ました顔で茶を飲む、下衆の悪魔への憎悪が湧き起こる。

 バフォメットはその狡猾さ、残忍さで世に名を知らしめたが……まさかここまで卑怯だとは! サラの兄への執着を利用し、自分から命を差し出すよう仕向けるなんて、惨すぎる。叶わぬ希望を抱かせ、無残に散る様を楽しむ、それが目的か……! へし折れてしまいそうなほどに噛み締められた歯が、ぎ、ぎ、ぎ、と音を鳴らす。


 バフォメットはサラに念を押すように尋ねた。


「では、契約成立ということで構わないかい?」


 サラが頷こうとするのを慌てて止める。


「サラ。お兄ちゃんを取り戻すにしても、バフォメットがどうやって死者を生き返らせるのか、その方法を聞いてないんじゃないか?」

「聞いたよ」

「……!」

「お兄ちゃんは今天国にいる」

「天国……天の国に? 正気か?」


 サラが殺意さえこもった目でエルアザルを睨む。


「私は正気だよ。天国が、子どものための作り話だとは思わない。だって、お兄ちゃんは戻ってくるんだから……お兄ちゃんは、絶対に戻ってくるんだから!」

「サラ……」


 サラの論理はぐちゃぐちゃで、理性がまるで働いていなかった。目もいつの間にか血走っている。このままでは狂ってしまうのでは……いや、もう狂っているのか?

 サラはバフォメットに縋るような目を向ける。


「お願い、早くお兄ちゃんを連れ帰ってきて! 悪魔ならあそこに入れるんでしょう!? 連れ帰ってこれるんでしょう!?」

「もちろんだ」

「早く、早くお兄ちゃんを! お兄ちゃんがいないと私死んじゃうよお! 壊れちゃうよお!」

「はは、もう君は壊れてるように見えるが?」

「壊れてなんかない! お兄ちゃんは戻ってくるもん! 戻ってくる! 戻ってくるんだからあああああ!」


 サラは充血した目を見開き、叫びをあげる。唾液が垂れ流される口元、力みに震える体。強く握りこんだ拳から血がたらっと流れ、それをバフォメットが物欲しげな顔で見る。


 エルアザルはそんな姿を見ていられず、無我夢中にサラをこちらへ向かせ、肩を掴んだ。


「サラ、一体どうしたんだよ!? お前らしくもない! しっかりしろ!」


 精一杯の力を込め言ったがが、サラに声は届いていないようで、ただグルルと喉を鳴らしているのみだ。

 エルアザルが怒りに燃ゆる目でバフォメットを睨みつける。


「サラに何をした」


 悪魔は肩をすくめた。


「なあに。彼女にもとうとうボロが出た、というだけだよ。彼女は今、僕の手下に取り憑かれてる」


 エルアザルははっと目を見開く。そうか。止まらない唾液、血走った眼球、獣のような態度思考。どれも悪霊に取り憑かれた時の諸症状だ。


(こんなこと、神父なら誰でも知ってることじゃないか……!)


 エルアザルは自分の浅はかさを恨む。

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