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天秤世界のオオカミ幼女  作者: 鵺這珊瑚
第二章 港町アバンドレ
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第三十九話 不服と好感と疑いと

 アレビヤの得たい情報。それは、「エクソシストとして自分に足りないこと」が何であるかだった。それさえ分かれば今まで以上の力を発揮できるようになるとアレビヤは考えていたのだ。そして、それを教えてくれるのはエルアザルしかいないと思ったのだ。今生き残っているエクソシストはノモス教に尻尾を掴まれないよう各々身を隠しているから、居場所を知れたのは本当に幸運だった。


 しかしアレビヤの期待に反して、エルアザルはなかなか口を開いてくれなかった。どうやら彼は、アレビヤのことを子どもとしか見ていないようで、一向に取り合ってくれないのである。


 それでもアレビヤは粘りに粘り、ようやく一つだけ、エルアザルの言葉を得た。


「数学をやれ」


 アレビヤは正直馬鹿にされているのかと思ったが、そう告げるエルアザルの眼差しは真剣なものであった。


 そしてやはりその目に嘘はなく、ある日エルアザルはアレビヤに、紙とペン、そしてガナフィクスでは禁書となっている異国の本の山を手渡した。

アレビヤは訝しげな目で、自分の腕に積み上げられた本を、呆然と眺める。


 次にエルアザルは、アレビヤを机へ向かわせた。


「で、どうすれば良いの?」

「そこに書いてあることを全部頭に入れろ」

「……正気?」

「そこまで難しくはない、足りない部分を補い合えるよう選書した」


 そして、エルアザルはアレビヤを、部屋に閉じ込めたのである。


「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」


 鍵が閉まる音がして、慌てて部屋を出ようとしたが、するとまたあの顔なし人間が現れて、行く手を阻む。その底知れぬ力をアレビヤは自分の体で学んでいたので、成す術なしと悟り渋々と机に戻った。

 が、アレビヤは納得がいかなかった。


「どうして私はこんなことを……」


 そう言いながらも、仕方なしに分厚い本を捲り、難解な言い回しの解読に掛かる。



 そんなアレビヤの姿を窓越しに見ていたリデルは、我が子を見るように微笑んだ。今リデルの手には大きなカゴが抱えられていて、中には魚が山のように入れられている。エルアザルのおつかいに街へ降りると、市場の人が魚を大量にサービスしてくれたのだ。幼い見た目が有利に働いたらしい。


 リデルはそのまま小屋を一回りし、玄関から中に入ると、エルアザルの所まで行ってカゴを手渡した。エルアザルは黙ってカゴを受け取り、しっしと顎でリデルを追い払う。礼は無し。


 だが、リデルはエルアザルが悪い人ではないと思っていた。リデルを見るエルアザルはちょっと楽しそうに見えるし、何よりご飯を丹精込めて作ってくれる彼が、悪い人のはずがなかった。



 一方、外で薪を割るナキは、未だエルアザルを信用できていなかった。善人がこんな郊外の不便な場所に住むはずがないと思っていたし、彼はあまりに人嫌いが過ぎる。彼はナキが何をしても無愛想で、会話をしようにも短く返事をするか無視するかのどちらか。まさに取りつく島もない。まるで意図的に関わることを避けているかのようだ。


 ナキは薪を前にして、思いっきり斧を振り下ろした。バキッという音がして、まばらな大きさの薪が地面に散らばる。薪の歪な形に、ナキは首を捻る。新たに木を置き、斧を振りかぶる。斧を振り下ろす。


 そんな単調な作業の中でナキは、エルアザルには過去に何かあったに違いないと考えた。山奥に住んでいるのはノモスから身を隠すためであろうが、子どもが悪戯にやってくるということは街でも彼のことは噂になっているということだ。それが悪評だとすれば、そんな奴にリデルやアレビヤを近づけて良いものだろうか。


 作業を続け、指示された薪は割り終わった。しかし薪は大小まばらだったので、またそのサイズを揃えるために薪を振るわなければならなかった。


 エルアザルに指導された時、彼が割った薪と比べると、自分のはやはり劣っていた。彼の割った薪は均等に分割され、まるで職人芸だったのに対し、自分のはまるで子どもの真似事だ。


 ナキは薪を睨みつけ、慎重に斧を下ろしたが、やはりエルアザルのように上手くはいかなかった。

薪を担ぎ、小屋横の屋根付きの空間にそれを軽く入れ込むと、エルアザルに薪割りが終わったことを報告するため、小屋に入る。またあの男と話せねばならないと思うと、足取りが重くなった。


 エルアザルを探すと、彼は部屋の一角にまな板を置き魚を調理しているところだった。短いナイフで流れるように鱗を取り、皮を剥ぎ、骨から身を切り分けている。腰は老いに曲がったままだが、手先は全く震えていない。


 ナキはこの一週間ほどで見てきたエルアザルの様子を思い返す。そういえば、エルアザルの手つきは部屋の掃除でも、服の洗濯でも、火に薪を焚べる時ですらも洗練されていて、全く無駄がなかった。全てが一つの流れになり、連動して行われているかのように、エルアザルの動きは巧みだったのだ。


 ナキは遠巻きにエルアザルを観察し続ける。


 するとエルアザルが突然手を止め、窓の外を見やった。空には雲一つない、透き通った青空が広がっている。エルアザルはその空をじっと見つめた後、踵を返して外へ出て行った。ナキには気付いていないようだった。少しして、エルアザルが中に戻ってくる。ナキの姿を目に留めると、彼はナキを睨みつけた。ナキは、エルアザルが自分を探しに外へ出たのだと知り縮こまる。エルアザルは素っ気ない声で言った。


「薪割りは終わったのか」

「は、はい」

「なら報告はしろ。あと薪はもう少し奥へ押し込め」

「すみません」


 エルアザルは鼻を鳴らす。


「次の仕事だ。外へ出て行った小娘を連れ戻して来い。急ぎでだ」


 ナキにはその真意が掴めかねたが、言う通り外でウサギと世間話をしていたリデルを連れ戻してくる。リデルと小屋に入り、しばらく外を見ていると、意味を理解した。


 湿った空気、空から落ちる水滴、やってくる水音。


 雨が降ってきた。


 あの晴れた天気から一変、雨が降ってきたのである。しかもその雨は段々と激しさを増し、雨粒が屋根へ衝突を繰り返すようになる。辺りは水のカーテンで前が見えなくなる。


 ナキは唖然とした。エルアザルは、あの晴天からこの悪天候を見抜いたというのか。だから彼はナキを探しに外へ出たり、薪を押し込めと言ったり、リデルを連れ戻せと命じたのだろうか。


「だとすれば……」


 ナキは息を飲んだ。

 エルアザルという人物に興味が湧いてくる。

 ナキは降雨を見抜いた理由を尋ねるため、彼の所へ向かった。

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