第三十四話 儀式はちょっとしたことから生まれるのです。
リデルが駆けつけると、アレビヤが目を閉じた状態で、静かに祈りの言葉を唱えていた。それは暗く、歌うようで、また慰めるようでもあった。ナキはそのアレビヤのそばで、何やら川の方を見ていた。表情には悲哀が浮かんでいた。
「どうしたんだ?」
リデルは不安の中尋ねた。
ナキは黙ったまま、ただ指を伸ばした。
その先の光景に、リデルは自分の目を疑った。
「これは……」
地面に吸い取られるように、体から力が抜けた。落下する感じがして、リデルは膝から崩れ落ちる。
死臭、腐敗、黒血--
そこにあったのは、オオカミの死骸だった。それも一匹や二匹ではない。互いの体が折り重なるほどに、死骸は川岸を埋め尽くしている。川原の石は血に赤黒く染められ、目が抉られたものや、脚をもがれたものまでいる。それは凄惨な光景であり、リデルにはあまりに衝撃的な光景だった。
「……むれいくつ分だ」
静かにリデルが問う。
「少なくとも八つ分は……もしかすると十以上かもしれません」
リデルは頭に血が上っていくのを感じた。アレビヤの弔いの詩が、徐々に遠くなっていく。
「だれがやった?」
「分かりません……商人でしょうか。でもこんなに殺す必要がないですよね」
「じゃあだれだ?」
「ノモスよ」
リデルが振り向いた。アレビヤが十字架を無から取り出しながら告げていた。
「見なさい。オオカミの口。牙が無くなってるでしょう」
リデルがオオカミの口に目を向ける。乾ききった舌や血痕に胸が痛む。それでもよく目を凝らすと、確かにオオカミの口からは、犬歯だけが抜き取られていた。
「ノモスが飾りに使うのよ。大地の象徴として、肉食動物の歯をね」
リデルはさっと血の気が引くのを感じた。
今まで見てきた「何かの牙」は、もしかしたら自分と同じオオカミの牙だったのかもしれないのだ。
リデルの目に炎が灯る。
「……こいつらはいつやられたんだ? 」
「多分一日二日って所でしょうね。血が抜き取られてるから死後数時間のようにも見えるけれど」
怒りとともに後悔がつのる。
「もし--」
その先はアレビヤが代わりに言った。
「もし早く出発してたら、って?」
リデルは頷く。
アレビヤは慰めるように微笑んだ。
「助けることなんて出来なかったわよ。気に病むことなんて無いわ」
リデルは俯いた。
「……そうか」
リデルはオオカミたちを改めて見た。
人間が人間を見るのと同じように、リデルには彼らの区別がついた。
母親だろうか。まだ幼い子に覆いかぶさるように、息絶えている。
兄弟だろうか。大小のオオカミが、互いに鼻を突き合わせて眠っている。二匹の腹は切り裂かれ、腸が飛び出している。
リーダーだろうか。体格の良いオオカミは、足を川に浸して横たわる。周りと比べると、ひと際大きな傷を複数受けていた。太もも部分からは、白骨が見えてしまっている。群れを守ろうとして、激しく戦ったに違いなかった。
なぜ彼らはこんな仕打ちを受けなければならないのか? 牙が必要だからといって、なぜこれほど残虐な殺し方を?
リデルはやるせない気持ちで一杯だった。彼らは彼らの暮らしをしていただけなのに……。
リデルは突然川原に座りこんで、水に潜るように息を吸い込むと、額を石に擦り付け始めた。オオカミたちに向けて、リデルは一心不乱に頭を振った。
「先輩、そんなことしたって……」
アレビヤが手でナキの口を塞ぐ。
リデルのすすり泣く声が聞こえて、ナキはハッとした。リデルは彼らに、敬意と哀悼の意を表しているのだった。ナキは大人しく口を噤み、徐々に大きくなるリデルの泣き声を聴いた。アレビヤは悲しげな目を向け、また祈りを再開した。まるで包み込むような調べが、リデルと彼らを覆うのであった。




