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天秤世界のオオカミ幼女  作者: 鵺這珊瑚
第二章 港町アバンドレ
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第三十二話 幼女、隣町に着く

 一行が隣町であるノーゼンドールに着いたと同時に、バケツをひっくり返したような雨が降り始めた。あまりの土砂降りに、舗装のされていない道路は抉られるように泥をはねさせ、家屋の屋根からは降ってきた水が滝のように流れ落ちている。その様子を屋内から眺めるアレビヤは、荷物を馬から下ろしながら露骨に嫌悪感を表した。


「嫌な天気ね」


「でも道中で降られなかっただけ幸運でしたよ」


 厩舎の中、ウマに餌を与えながらナキが言う。


「こんな土砂降りの中では、身動きがとれませんから。また山に入って雨宿りをしなければならなかったかもしれません」

「まあ、そう考えればそうね。野宿って体洗えないし、疲れ取れないし」


 そこに、リデルの不満そうな声。


「なあなあ、てんきは良いから、はやくここ出ようぜ……」


 馬小屋の中は藁の香りと馬糞の臭いが混じり合っていて、リデルの鼻をひん曲げていた。二人は困り顔を浮かべる。


「駄目ですよ、ウマの世話はきちんとしないと。彼らだって疲れてるはずです」

「そうか? どう見てもげんきだろ」

「疲労は見た目だけで分かるとは限らないでしょう? 納得できないなら、直接聞いてみたらいいじゃないですか」

「えー」


 リデルがウマに目を向けて聞いてみる。


「どうだ? 疲れてるか?」


 ウマが答えるようにいななく。それにリデルは驚いた顔をしたかと思うと、光の速さで近くにいたアレビヤの後ろに隠れてしまった。


「……どうしたのよ?」


 アレビヤが尋ねるが、リデルは呼吸を荒くしているのみで何も答えない。


「……ウマはなんと言ったんです?」


 ナキが優しく尋ねると、リデルはぶるっと震えた。


「そいつ……おれのことが好きみたいだ……」

「へえ。気に入られたんですね」

「いやだよ! おれはごめんだ!」

「なぜです? 好かれるのは良い事じゃないですか」

「こいつは恋愛的な意味で好きだって言ってるんだぞ? しかもこいつは……オスだ」


 二人は首を傾げた。


「何か問題が?」


 リデルが二人を睨みつける。二人は少し考えて、納得した。


「そうか、先輩もオスでしたね」

「危うく忘れるところだったわ。可愛い外見に反して中身はおっさんだったかしら」

「わすれるなよ! というかおっさんは失礼だぞ! あとかわいいゆうな!」


 可愛いと言ってもらうのも悪くないけど、とリデルは思った。

 そして思ってしまった自分に赤面し、複雑な気持ちに唇を尖らせる。


「と、ともかく、早くここをでよう! 下手したらそいつにおそわれる!」

「大丈夫だと思いますがね……」


 ナキがウマのたてがみを撫でる。ウマが気持ち良さげにいななくと、それにまたリデルが身を震わせた。



 ✳︎



 宿のお金は財布担当のアレビヤが支払った。到着した宿泊室に、リデルとナキは目を輝かせる。対してアレビヤは、ごくごく普通の広さね、と澄ましている。アレビヤが部屋に十字の飾り付けを勝手に施したり、ナキが本が準備されていないことに不満を言ったりと一通り騒いだ後、三人は眠り、夜が明けた。


 朝、目覚めたナキが絶叫した。


 それに反応するようにリデルが意味不明な寝言を発し、既に起きていたアレビヤは寝間着の格好で髪を梳かしながら、ナキの身を案じる。


「どうしたの?」

「す、すみません……」


 ナキが慌ててリデルを確認すると、リデルはすやすやと眠っていた。ナキはほっと息をつく。


「起こさなくて良かったです。ああ見えて、先輩はだいぶ疲れてるので」

「ふん、まるで私が疲れてないみたいな言い方ね」

「いえ、そういうつもりじゃ」


 アレビヤは、まあいいわと首を振る。


「で、何? 嫌な夢でも見たの?」


 鏡越しにアレビヤが尋ねる。ナキが唾を呑む。


「ええ……。リデル先輩が……」

「リデルが?」

「……女の人と戯れてる夢を――」

「この変態」


 ぴしゃりと言われてナキは涙目になる。


「僕だって望んでこんな夢を見たわけじゃないんですよ! それに実際にこの夢みたいなことが起こったら大問題です!」

「……まあ、実際に起こったとしたら、大問題よね。女同士なんて……」


 そこで二人は首を傾げる。


「いえ……よく考えたら、先輩は男でしたね」


 ナキが言うとアレビヤも頷く。


「そうね……何も問題なかったわ」


 しばしの沈黙。


「……ややこしいですね」

「本当にね。リデルは男なのか女なのか……。基本は荒っぽい口調なのに、時々女の子っぽくなったりするし」

「不思議ですよね……。あ。もしかしたら、体と一緒に心まで女に変わっていっているのかも……」

「だとしたらリデルは女っていうことになるわよ?」

「そうですね……でも本人は男だって言ってるし、僕の知ってる先輩は明らかに男なので……」

「……」

「……」

「厄介な夢見ないでくれる?」

「だから望んで見たんじゃないんですってば!」


 その後、しばらくリデルの性別に関する論議が行われた。リデルが目を覚ますと、三人は出発の準備を始める。

 アレビヤが部屋の十字架を外し終わり、リデルが荷物(ほとんどアレビヤのお下がりの服)を片付け終えたところで、ナキが疑問を一つ口にした。


「アレビヤ、いつも不思議だったんですが」

「何が?」


 ナキが部屋を見渡す。


「アレビヤの荷物はどこへ行ったんです? 昨日は持っていたはずですが」

「今は無いわよ」


 ナキが首をかしげた。


「理解できません。気付くと物を持ってて、気付くと持ってないなんて、常識的におかしいですよ」

「ナキから常識を指摘されるとは思ってもみなかったわ……」


 ナキが不服そうに腕を組む。


「僕だって常識について勉強はしてるんですよ。それより教えてください。なぜアレビヤは物を消したり、無から物を取り出したりできるのか」

「あ、それは俺もおしえてほしい」


 リデルも便乗してせがんだ。カタスリプスで逃げ惑っていた時、アレビヤがどこからともなく聖書を取り出したことがずっと疑問だったのだ。


 アレビヤは熱意に負け、やれやれと肩をすくめる。


「仕方ないわね。ちょっと見てなさい」


 アレビヤはベルトに手を伸ばすと、道具の一つを取り外した。みたところ、ただの銀色の鍵だ。


「これは言ってみれば魔法の鍵よ」

「魔法の鍵?」


 アレビヤが頷いて一つ呪文を唱えると、鍵が煙に包まれて見えなくなる。二人は鍵のあった場所を注視したが、煙が晴れたとき見えたのは鍵ではなく、アレビヤの背丈を越すほどの巨大な杖であった。二人は「おお」と声を上げる。杖は鍵と同じく銀でできていて、イバラの意匠が柄を取り巻いていた。そして先端には十字架がつけられ、その両脇には羽のついた人の姿があしらわれている。彼らが踏みつけている物体は、悪魔を表しているのだろうか。


 アレビヤはそんな杖で地面を一つ小突く。すると一斉に色んなものが落ちる音がして、床一面にアレビヤの荷物が現れた。鞄や枕や服、裁縫道具に布の細かな切れ端など。


「これは……?」


 びっくりするナキに、アレビヤは説明する。


「これは祖父から貰った道具の一つで、魔杖(まじょう)ローゼンというの」

「まじょ?」

まじょう(・・・)よ。どうやら過去に聖人(せいじん)が製作した杖らしくて、不思議な力がいくつか備わってるの。例えば今見せた無限拡張能力」

「む、むげ……なんだって?」

「……」


 アレビヤはリデルに話すのを諦め、ナキに向かって説明を再開する。


「無限拡張能力は、念じた物体を異空間へ転送できるっていう代物よ。簡単に言えば見えないカバンにいくらでも物を入れられるってことね。転送した物は、私がこの鍵を身につけている限りいつでも自由に出し入れが可能なの」

「なるほど、じゃあアレビヤが荷物を持っていなかったことも説明がつきますね」

「私にとっては当たり前の能力だったから、疑問に思われてるなんて思いもしなかったわ」

「便利な能力ですね……さすが魔法、と言ったところでしょうか。他には?」


 ナキが杖を興味深げに見つめる。


「他もあるのはあるんだけど対悪魔用の能力だし、私にはまだ扱えない力ばかりだから。今見せるのは無理ね」


「えー」とリデルが落胆する。


「お望みならまた今度教えてあげるわ」


 アレビヤがまた短く呪文を唱えると、杖が小さな鍵に戻り、地面に散らばっていたアレビヤの荷物も消え失せる。二人は拍手した。


 そこでリデルが気付いたように言う。


「なあ、それっていくらでも物しまえるんだよな?」

「ええ、そうよ」

「だったらおれたちの荷物ももってくれよ」


 アレビヤがあっと手を打つ。


「確かにそうね」


 アレビヤが言葉を紡ぐと荷物はパッと消え、支度をする必要がなくなってしまった。


「最初からこうすれば良かったんですよ……」

「そっちのことまで気が回らなくて。ごめんなさいね」


 窓から外を見ると、幸運にも雨は上がっていた。だが黒雲はまだのっぺりと空を埋め尽くしていて、いつまた降り出すかも分からない状況である。


「早く出発しないと、今度こそ雨に降られそうです」

「そうね、晴れる気配も無いし」


 リデルがナキの足をつつく。


「な、なあ」

「なんです?」

「ウマはここにおいてさ、ここからは歩かないか? にもつも無くなったし、かまわないと思うんだが……」

「駄目ですよ。オオカミと違って人間は雨に濡れると弱いんですから」

「そうなのか」

「そうなのかって……この話は湯浴びの時にも聞かせた気がするんですけど」

「え? あはは……」

「ともかく、雨が降ると厄介です。さっさとウマに乗ってアバンドレに行きましょう」


 ナキは淡々と言ったが、リデルは納得いかないようだった。


「……やだ」


 短くリデルが言う。

 ナキが目をぱちくりさせた。


「え? 今なんと?」

「だから……やだってゆったの」


 ナキがしばし固まる。


「……珍しい、ですね。こういう話題で先輩がそこまで強く反対するなんて。そんなにウマが嫌なんですか?」


 リデルはコクリと頷く。


「でも仕方ないんですよ。ウマ以上に速い交通手段なんて無いんですから」


 二人は嫌がるリデルを無理矢理引っ張っていき、ウマに乗せる。リデルが喚く中、一行は早々とノーゼンドールから旅立った。

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