第二十八話 重なる失態
「いえ、ちょっと裁判所への行き方が思いだせなくて……」
俯きがちになって、顔を見せないようにする。声も咄嗟に変えた。だが、心の準備が出来ていなかったせいで、声量が消え入るようになってしまう。
少し間が合って、セントピエルは思い出したように言った。
「ああ、裁判所デスか? すぐそこデスよ。階段を上がって渡り廊下を渡れば。あなたはただの信者のようなので、タダで案内してあげましょうか。部下なら案内料を天引きするところデスが」
アレビヤは内心焦りを募らせていた。ノモス教徒だと信じてもらえた反面、イシキが側にいると救出が困難になる。
「み、道だけ教えてもらえればそれで構いません」
「いやいや、貴女のような美しい女性信者は役人に狙われマス。私がついていた方が安心デスよ。なんと言ったって私は……」
セントピエルが脚を軽く開く。手も広げたのか、ローブの翻る音もした。
「私はセントピエル・イシキ、カタスリプス副支部長ですからね!」
大空に宣言するかのように名前と肩書きを響かせる。
かなりの大声だったが、玄関ホールを通過する人々に気にする様子はなかった。
アレビヤは畏れているふりをするため、わざと言いにくそうに喋る。
「イシキさん、大変ありがたいんですが、本当に道を教えてもらうだけで大丈夫なんです」
「本当デスか? 遠慮しなくとも……」
「本当に大丈夫です。それにイシキさんも仕事がありますよね」
「まあ、それなりにありマスが……」
セントピエルは少し悩んで、裁判所への行き方をもう少し詳しく教えてくれた。
「しかし、なぜ裁判所へ? 傍聴デスか?」
「はい、少し気になる事件があって」
「……はは~ん。もしや、昨日捕まった異教徒の裁判デス?」
アレビヤの片眉が、ピクリと動く。
セントピエルは自慢げに話しだす。
「驕って言う訳じゃないデスが、実はあれは私の指揮で逮捕したのデス。前々から報告に上がっていた案件なのデースが、なかなか証拠が集まらなかったので、ハイマシフォスを派遣できなかったのデスよ」
「そうなんですか」
「しかしある日、連絡があったのデス。異教徒の疑いがかかっていたある男が、様子をよく見に来る空き家があると」
父だとすぐわかった。
アレビヤは唇を噛みしめる。
「そこを見張らせていたら、ぞろぞろと現れたのが異教徒達だったのデス」
「……なぜ異教徒だと分かったんですか?」
「それはもちろん、室内で十字を切るのを、私の使いが見ていたからデース」
使いとは精霊のことだろうと脳内変換する。まだ室内に魔除けが設置されていなかったせいで、侵入を許したのだろう。
「……そうですか」
アレビヤの声はいつの間にか暗くなっていた。
セントピエルが申し訳なさそうに、
「あまり面白くなかったデスか? 庶民の趣味に合わなかったようなら謝りマス」
「いえ、そういうわけでは……」
「そうデスか。では、この前出会った三人組の逃亡犯の話を……」
セントピエルがそうやって話し始めようとしたとき、ホールが騒然とした。
セントピエルがアレビヤの背後へ目を向けるので、アレビヤも振り返ると、四人のハイマシフォスが国の憲兵に囲まれ、ホールを横切るところだった。
「あれは?」
「……警備を任せていた連中デス」
セントピエルは顎を手でさする。
「『カロン』からの派遣だったので、期待していたのデスが……」
派手にやらかしたのデス、とため息混じりだ。
アレビヤは聞きなれない言葉に目を細める。
「カロン? カロンとは何のことですか?」
セントピエルははっと口を抑えた。
「私としたことが、口が滑ってしまいマシた。今のは忘れてください」
それからセントピエルは急用を思い出したと言って、逃げるようにホールへ消えていった。
カロンとは一体何なのか気になったが、今はそれよりグレモワル達だと思い直した。
顔を見られないよう俯きながら、ホール左手を進んでいく。ハイマシフォスがこちらを振り返る度にどきりとするが、大抵聞こえるのは美人だなという会話だった。どうやら容姿についての情報は行き届いていないようだった。少し頬が緩んだが、すぐに気付いて引き締めた。
道程はセントピエルの言う通り長くなかった。
階段を上がって少し進み、渡り廊下に差し掛かると、裁判所の扉が見えた。扉は赤い色で、金貨が描かれている。その両脇にはハイマシフォスがいて、装飾された槍を構えていた。
アレビヤはふと立ち止まった。裁判はどうなったのだろう。もう移動は終わってしまったのだろうか。
すると扉が開いて、中から二列に並んだハイマシフォスが出てきた。アレビヤは慌てて端に寄り、列を注意深く眺める。
その中に……いた。グレモワル達だ。
裁判がちょうど終わったところだったのだろう。長話が功を奏したかと思ってみる。
すぐに最善策を模索した。
ハイマシフォスの人数を数える。
前に二人、後ろに四人……。とてもやりあえる人数ではない。リデルがいれば、と考えたが、その考えはすぐに頭から追い出して観察を続ける。
好機を窺う内に、グレモワルと目が合った。
ピクリと彼の眉が動いたが、すぐに無表情を装う。
アレビヤは顔を逸らした。
列はアレビヤの前を流れていく。
(……助けるのよ)
アレビヤは意気ごみ、列の後をつけ始める。
しかし、そこで肩が叩かれた。
振り返ると、扉の警備をしていたハイマシフォスが目の前に立っていた。
名前を聞かれると、アレビヤはほぞを噛んだ。
列を横目に見ると、最後尾は今まさに階段を降りて見えなくなるところだった。
「……エレナよ。エレナ・ブラティアノ」
適当に名前をでっちあげた。ハイマシフォスは身分も答えさせると、顔をよく見せるように言ってくる。
完全に疑われているようだ。
スミレ色の髪は目立つ。そのうえ俯いていたら、疑われるのも無理はなかった。むしろ、さっきまで疑問を持たれていなかった方が不思議だった。
なかなか解放してくれない中、アレビヤは理由をつけて立ち去ろうとするが、ハイマシフォスもしぶとい。
焦燥感を覚えるアレビヤ。
今はこんな所で時間を潰している場合ではないのだ。グレモワル達が牢のある地下へ入ってしまえば、救出はより難しくなってしまう。
強硬手段も考え始めたとき、階段下から叫び声が響いた。ハイマシフォスが眉をひそめる。続けて悲鳴が聞こえる。鈍い音も混じっている。
アレビヤもハイマシフォスも、一変した事態に何が起こっているのか分からず、ただ階段の方を注視して固唾を呑んだ。
やがて静かになって、音が階段を上がってくる。
一歩、二歩、三歩と、ゆっくり上がってくる。
そして見えた姿は――
「ここにいましたか」
長身、黒髪、八重歯を笑みから覗かせる青年。
アレビヤは、背筋を凍らせた。
現れたのはナキ。
つまり、リデルがここに来ていることは疑いようも無かった――




