第二十六話 抜け駆けたアレビヤ
日が沈みかけ気温が下がってきた頃、ナキがサルから受け取った火打ち石をかち合わせ、木屑に火花を移すと、薄暗い山中に、メラメラと燃え上がる明るい火が灯った。日没に怯えていたアレビヤが、ネコのように火へ飛びついた。表情が和やかになる。
「あったかいわね~」
ナキはアレビヤが寒かったのかと思い、話しかけた。
「そういえば、なんだかこの前より気温が下がってるように感じますね」
ナキは棒で火をつつく。火は吐き出すように灰を空へと舞き上げる。
アレビヤは明るさを噛み締めながら答えた。
「北国から寒気が流れ込んできてるのよ。もうすぐ冬が来るわ」
アレビヤが言いながら、枝を側にかき集め始める。
「もう冬が? まだ葉が色づき始めた頃ですよ?」
「ここの秋は短いの。日が短くなったと思ったらすぐ寒くなるわ」
「なぜです? 僕たちの住んでいた森では、もっと変化は緩やかでしたよ?」
「それはここの地理が関係してるんでしょうね。ここの西にはアーメイドっていう大海が、北にはカタスリプス運河があって、寒気が流れ込みやすくなってるの。おまけにここからずっと南にある山脈が冷気を閉じ込めるから、この国は他国と比べて冬が長いわ」
リデルは想像して身を震わせる。
「このからだじゃさむそうだな」
「今でも肌がスースーするくらいの気温ですからね。今夜は寒くなりそうですから、今日は火の番を交代でやりましょうか」
二人は頷く。
「では、明日の朝の行動について検討しましょう。何か案はありますか?」
アレビヤがすぐに手を挙げる。
「グレモワルたちは明日の朝、聖殿で裁判を受けるはずよ。その後は地下牢に入れられるはずだから、そこへの移動中を襲ったらどうかしら」
「なるほど。聖殿とは敵の本拠地ですよね」
「ええ。正確には支部だけれど、本拠地の正聖殿にも劣らない戦力を保有してるわ」
ナキが疑問を口にする。
「なぜそこまでの戦力が? あの街は人口から見てこの国の都市の中でも中規模に位置するはずです。もっと大きな都市もあるはずなのに、どうしてここに本拠地並みの戦力が集められているんです?」
「カタスリプスは近くに鉱山があって、工業の要になってるのよ。おまけに他国が運河を挟んで隣接してるお陰で戦略的にも重要な場所になっててね。国はここを重要拠点の一つに指定してるのよ。そのせいでハイマシフォスは多いし、その数に比例してストラティオも大勢配備されてる。イシキも、普通一支部一人のところに二人も居座ってるわ。しかもその一人は、かなり強力な女イシキよ」
「女イシキ、ですか」
「そうよ。女ってだけでも珍しいのに、剣の達人でもあるらしいわ。おまけに『精霊』を同時に五匹も出せるって」
リデルがまた理解不能に陥る。
「それはすごいのか?」
「すごいも何も。女性が鉄の塊を振るうなんて至難の業だし、イシキ達が精霊って呼んでる存在は一匹操るだけでもかなりの体力を消耗するらしいわ。一歩間違えば命の危険もあるって聞くわよ」
「使役するだけで危険なんですか」
「ええ。実際、召喚中に疲労で倒れたり、記憶を失ったりっていう話は耳にするわ。あと半心不全になったイシキもいるらしいわよ」
二人の口があんぐりと開く。
「きおくそうしつ……」
「半心不全……」
「それだけ精霊を呼び出すのは危険なことみたい」
リデルが唾を飲んだ。
「だとしたら、そのおんなイシキめちゃくちゃ強いじゃないか。そいつは一気に五ひきもだせるんだろ?」
「そうなるわね。剣術に長けているうえ体力も凄まじいとなれば、間違いなく歴代最強のイシキだと思う」
「れきだいさいきょうの……」
最強を自称するアレビヤが言うのだから、その強さは本物だろうと思う。
リデルは難しげな顔をした。格下のストラティオすら倒せない自分が、そんなとんでもない人物とやり合えるだろうか?
(多分……難しいだろうな)
リデルは唸った。
その横で、ナキが開いていた口に気づき口を閉じる。
「では、その人と出会わないよう作戦を立てる必要がありますね。もう一人のイシキは問題ないんですか? おそらく、さっき街で出会った方だと思うのですが」
「さあ。名前も聞いたことなかったから、下っ端なのは間違いないでしょうね。でもイシキはイシキだから、注意が必要よ」
ふふっ、とリデルが突然笑った。
「なによ」
「いや、おもいだしわらいで。セントピエルのやつ、なまえに『イシキ』がはいってるなんて天職みたいなもんだよな、と思ってさ」
「確かに、すごい偶然ですね」
ナキも感心するが、アレビヤは首を振った。
「いえ、偶然じゃないわ。イシキ達のラストネームは全員『イシキ』なのよ。イシキはイシキっていう血統だから」
「そうなのか?」
アレビヤは頷く。
「イシキっていう職は親から子へ受け継がれる物なの。それもあって大体のイシキは名前に誇りを持ってるから、派手に自己紹介してくれるわ。そんな風に言われなくたって、白ローブ着てればイシキって一目でわかるのにね」
アレビヤは嘲るように肩をすくめる。そういえば、セントピエルも白のローブを纏っていたか。
「一目で分かるとは言え、出くわすのは避けた方が賢明でしょうね。では大抵イシキはどこにいるものなんでしょう? それさえ分かればそこを避けて行くんですが」
「うーん、聖殿の中とだけしか言いようがないわね。中はノモスの聖職者ばっかりで潜入しようと思ったことも無かったから」
「そうですか……」
ナキが残念そうに呟くと、アレビヤが眉をしかめた。
「なに? 私が火に入る夏の虫になってれば良かったのにって?」
「いや、そういうわけじゃないんですが」
アレビヤがナキを睨みつけ、ナキは腕を組み仰け反るようにして考え込む。
そこにリデルが楽観的に言った。
「ま、あの迷路さえなんとかなれば、あとはうまくいくとおもうんだが」
「そうですかね?」
ナキが半分笑って言う。
「根拠は?」
「ない。ないが、その女イシキに出くわさなければ勝機はあるとおもう」
リデルは期待を込めた目でアレビヤを見た。
「アレビヤ。せいでんへの道、わかるよな?」
「わかるけど……本気? 本気で助け出す気でいるの?」
リデルは掌を返したようなアレビヤに目を瞬いた。
「そりゃあ、ほんきに決まってるだろ」
「……そうかしら。でもリデルの力じゃ、多分無理よ」
「そんなのわからないだろ。今はこんな姿でも、オオカミ時代はリーダーとしてずっと群を守ってきたんだ。力にはなれる」
アレビヤは何も答えず、黙っていた。リデルを見るその目は、どこか彼を怖れているようでもあった。
「じゃあ、また明日教えるわ」
「いまでもいいんだぞ?」
「いえ、口で教えるにしてはちょっと複雑だから。また明日にして」
アレビヤは何かを誤魔化すように微笑む。
リデルは怪訝に思いながらも承諾した。
「では明日の朝、裁判が終わる頃を見計らって突入することにしましょう」
「わかった」
リデルは首肯しながら、アレビヤをちらりと見やる。その白い顔に浮かぶ物憂げな表情は、仲間を案じているのとは少し違ったように見えた。アレビヤがこちらに気付くと、その表情は途端に消えてしまったが。
*
翌朝、二人は驚愕した。
最後に火の番をしていたアレビヤの姿が見えないのである。
いくら山の中を呼び掛けても応答がないので、途中出会った動物達にアレビヤのことを聞いてみると、本人の姿は見ていないが夜山を下っていく松明は見たという。リデルは失神しそうになった。
「まさかあいつ、ひとりで助けにいったのか?」
「無謀ですね。一体何を考えてるんでしょう。そのくらいグレモワルたちを大切に思ってたんですかね」
「それもあるだろうが……それだけじゃないきがする」
「どういうことですか?」
「わからない。でも、あいつはむりをしてるんじゃないかって思うんだよ」
ナキは思い返すように目を瞑る。
「そういえば……確かに、先輩を見る目は複雑そうでしたね」
「そうなのか?」
「ええ、不機嫌というか、なんというか。そんな感じでした」
そう言ってからナキは慌てたように付け加える。
「勘違いしないでくださいね、じっと見てたわけじゃないですから。ちょっと顔が見えただけです。別にあの女を気にしてるわけじゃないですよ」
「……ふーん」
リデルはそれから頭を悩ませた。
「たすけにいきたいが、まちにおりていっても案内がない……どうしよう」
「そうですね……街の人に聞くにも、誰がストラティオか分かりませんし」
「じりきじゃむりだろうか」
「ハイマシフォスですら覚えられなかったルートですよ? 新任だったとはいえ、自力で進めるほど簡単な順路ではないと思います」
どうしたものか、と考えていると、茂みからあの年寄りグマが現れた。
「お困りですか?」
リデルがちらりとクマを見て、またナキの方へ視線を戻す。
「うーん、どうしようか」
「無視ですか!?」
イライラしていたリデルがうるさそうにクマを見やる。
「なんかようか」
「あなたそんな失礼な人でしたか? 年上として心配ですね。それより、お困りでしたらいい案があります」
「どうぶつがなんかできるのか?」
「また失礼な。あなたも言ってみれば動物でしょう。馬鹿にしないでください。神の言いつけはしっかりと守る性分です。提案くらいします」
「それはまあ、ありがたいけど。……で、どんな案なんだ?」




