第二話 幼女になったら攫われそうになった
第84世界。「ノモス教」が多くの国を支配するここで、人々は経済活動を奨励され、日々商いに勤しむ。街々は活気に溢れ、毎日が充実しているのは「ノモス教」のお陰だと、信じて疑う者はほとんどいない。「ノモス教」の闇の側面は黒く塗りつぶされ、知る由が無いからである。
国民の信じる「ノモス教」は表向きごく普通の宗教であるが、数年前に国教指定されて以来、他の宗教を異端として合法的な迫害を開始していた。かつて宗教は多く共存していたと言われるが、激しい迫害の結果、未だ「ノモス教」の勢力圏に残る対抗宗教は、同じく唯一神を信仰する「キリスト教」一つになってしまった。
その「キリスト教」も信徒狩りによって壊滅寸前にまで追い込まれており、人々の思想を「ノモス教」が完全に塗りつぶしてしまうのも時間の問題であった。
極稀に「ノモス教」の悪に気付き立ち上がる者もいたが、国権を掌握する「ノモス教」の前には歯が立たない。今、この国では完全な独裁体制が作られようとしている。
「――と、ゆわれても、こまったなあ。このあたまじゃ考えがはたらかないぞ」
にぎやかな街の路地裏で、幼女と言うべき4、5歳ほどの女の子が愚痴をこぼしていた。
「“完全な独裁体制がつくられようとしている”って、だからなんだってんだよ」
「まあまあ落ち着いてくださいよ、リデル先輩」
その隣に座る見た目二十歳辺りの青年が、その幼女を優しく宥めた。顔はかなりの二枚目だ。黒髪碧眼、苦笑いに八重歯が覗く。
「そうはいってもだぞ、ナキ。おれはこんなちっちゃい姿になっちまったし、あえると思ってたかぞくは、おまえしかいない」
幼女となってしまったオオカミ、リデルは、自分のぷにぷにした健康色の腕を、他人の体を見るように眺めた。
神を名乗ったあの女は、家族と一緒だと言っておきながら自分の側には年下のナキ一人しか置かなかったのだ。なんだか腹が立ってくる。
「これからどうしろっていうんだよ。あのツインテールめ、ほんとうは神じゃないんじゃないか?」
「その人が本当に神様だから、こんなことができてるんだと思いますよ。これからどうすればいいかはともかく、その姿は良いと思いますけどね。可愛いですし」
「かわいいゆうな! けっこう恥ずかしいんだぞ、この舌足らずとか、その他もろもろ! それに息子どうぜんのお前に見られてるなんておれは……おれは……あああああああああああ!」
「お、落ち着いて! 大声出したら注目浴びちゃいますよ!」
リデルはハッとして右と左を確認する。
「よ、よかった。人はいないみたいだ。そうだな、一旦おちつこう」
すーはー、と小さな手足を使って深呼吸をする。滲み出る可愛らしさに、ナキの顔が柔らかくなっていく。
「おい、にやけるな」
「すみません、以後気を付けます……それにしても可愛い……」
「だからかわいいゆうな!」
「あ、すみません」
リデルは、いつかナキの顔面を思いっきり殴ってやろうと決意した。
「それで先輩、その女神が言ってたこと、一回整理してみましょうよ」
「ん? そんなのいるか?」
「念の為、と言いますか。一度整理した方が、これからのことが見えやすくなるものなんです」
「へえ、そうなのか。まあ、ナキはおれたちのぶれいんだからな。じゃあそうしよう」
リデルは茶髪をいじりながら、言われたことを思い出せる限り並びたてた。
・ノモス教が多くの国々を支配している。
・対して一神教であるキリスト教が、ノモス教の迫害を受けている。
・キリスト教徒の中には、攻撃を除く多彩な魔法が使える者もいる。
・エクソシストという職が存在する。
・肉食動物は追いやられ、殺戮が行われている。
「……こんなかんじか」
「宗教のことばかりですね。それだけ重要な要素ということでしょうか。他には?」
「おれたちが、やるべきことについてなら」
・緑髪の女神を含む神々の信仰を高めること
「いじょう」
「それだけですか? うーん。なぜ信仰を高める必要があるんでしょう?」
「たしか、しんこうがないから手が貸せないとかゆってたぞ」
「なるほど……もしかしたら、神の力は信仰によるのかもしれませんね」
「……つまり?」
「簡単に言うと、神様は人に信じてもらうことで力を発揮できるってことです」
「ほー。そういうことだったのか」
なんとなくわかったきがする、とリデルは短い腕を組む。分かってないですね、とナキが苦笑する。
「でもナキがいてくれて助かったよ。あたまの良いやつがいなかったら、これから先もこまるだろうからな。……おれより背がたかくなったのは、ゆるせないが」
「あはは。ちゃんとその分サポートしますから、任せてください」
「たのむぞ。歩幅だってかなり小さいんだから、もし置いていったりしたら……」
「しませんよ! なぜ先輩にそんな仕打ちをしなきゃいけないんです? ただでさえ先輩は一人が駄目なのに」
「う……めんぼくない。だからおいてくなよ?」
「大丈夫ですって」
「ほんとうか?」
「はい、もちろん」
「ぜったいだぞ?」
「はいはい」
リデルは終始上目遣いであった。
ナキはあふれ出す笑みを止められず、とうとう思いっきりニヤけてしまう。
ナキの肩にリデルの小さい拳が入る。ダメージの無さそうなパンチだったが、ナキの顔は思いっきり引き攣った。
「痛っ!? 何するんですか!」
「にやけるなってゆっただろ。それに、今『置いてくな』って言ったのはおれのいしじゃない。なんだかわからないが、ことばがこの体に引きずられてるみたいなんだ」
「その体のせいで少し甘えたくなる、と? 体に考えが影響されてるんですか?」
「そう……いや、そうじゃない! ナキに甘えるだなんてそんなことあるか! おれはみとめないぞ! ぜったいにみとめないからな!」
「何を認めないんですか。別にいいんですよ、無理もないです。その体はまだまだ幼いんですから。先輩も小さい頃、親に甘えてたんでしょう? たぶん人間も一緒で、本能的に甘えたくなるんだと思います」
「そういうもんかねえ」
「ん、今ちょっと渋く言ってみましたね? ま、どういう言い方をしようと、かわいいのはかわい――」
「かわいいゆうなっ!」
「ごふっ!? お腹が……」
うずくまるナキを、リデルは白けた目で見る。
「……演技はいいぞ」
「いえ、本当に痛いんですよ! 先輩、その体のどこにそんな力があるんです?」
「さあ?」
と、そのとき、二人に声をかけた者がいた。
「なあ、そこの兄ちゃん。お隣に座ってる子、譲ってくれないかい?」
皺だらけ染みだらけの汚れた服を着て、薄ら笑いを浮かべる男が三名、こちらに歩いてくる。リデルは野生の勘で危険を感じ取ると、咄嗟に逃げ道を模索した。左右は木組みの家が伸びていて逃げ場がない。男たちの反対側では、家屋を取り囲む石の壁が立ちはだかっている。リデルは舌を打った。会話を聞かれたくないと人通りのない路地裏を選んだのが裏目に出た。
頼りのナキは男たちを前にピタリと硬直してしまっている。
「すすす、すごくガラの悪そうな人達ですね……」
リデルはガチガチに固まったナキを見て、よいしょと、座っていた木箱から飛び降りた。
「あああ危ないですよ、先輩!」
「ナキはさがってろ。今おもいだしたんだ、たしかあの女神は俺に、力を引き継がせたんだ」
「ごちゃごちゃ喋ってんじゃねえぞ! さあ嬢ちゃん、早くこっちにおいで」
男たちが手招きしてくる。高く売れるぞ、とか、妹にしようぜ、とか色々聞こえてきた。
(妹になってたまるか)
リデルは骨を鳴らすつもりで拳をもみもみする。男たちの方を向きながら、こう言った。
「ナキ。このなさけないすがたでも戦えるんだってところ、見せてやるよ」