第十九話 幼女、いっぱい食べる
ナキは無地の服に、リデルは薄紫のワンピースに着替えた。
「先輩、似合ってますよ!」
「うそつけ」
「本当ですって。ちょっと待っててください」
そう言ってナキが持ってきたのは、一個の姿見だった。それを覗いたリデルは、一瞬で顔を赤く染める。
なんと、不覚にも、可愛い、のだ。
恐る恐る背面を見てみる。側面を見て、また正面を向く。ちっぽけな自分が、こちらを見ている。小さな手でスカートの裾を引っ張ると、その自分も同じ様に裾を引っ張った。薄い層になったレース部が、羽根のような手触りで気持ちいい。思わず笑みがこぼれそうになり、むすっと横に口を結んだ。
次にぴょんと自分の背丈ほど跳ねてみる。無愛想な顔の自分も跳ぶ。上昇は良好。しかし下降の際スカートがばっと舞い上がってしまう。まずい。リデルは反射的に布を体に抑え込む。しかし小さな手では抑えが十分でなく、アレビヤから借りていた白いパンツは露わになってしまった。
鏡の自分が紅潮している。慌てて振り返る。ナキが唖然としている。なんだか泣きそうなほど恥ずかしくなって、思わず一つ殴ってしまった。ナキは腰を押さえてうずくまる。
リデルはナキをダウンさせた後も、鏡の前で睨めっこを続けた。真顔を保とうと努めながら、ちょっと可愛すぎないかとか、なんだよこのフリフリとか、そんな文句を言う。けれどもリデルは、この服装にどこか満足げな自分がいることも、なんとなく気付いていた。
(……ちょっと笑ってみようか)
頬を上げてみると、鏡に可愛げのある幼女が現れる。これが本当に自分なのか、よく分からなくなるほど眩しい笑顔。胸が高鳴りを始め、その笑顔は作為的なものから自然なものへと変わっていく。
「次はポーズでも――」
「そういえば先輩」
「わっ!?」
リデルは尻尾を握られたみたいな声を上げた。
「? どうしたんです?」
「ななななななんでもない」
「そうですか。あの、先輩。思ったんですけど、僕たちって今まで服着てたんですよね。すごく今更ですけど、全然違和感無かったです」
ナキは自身の絹の服を摘まんでみせる。
「そ、そうだな……ゆわれてみれば確かに」
「これも僕たちが人間になったということなんでしょうか?」
「そうゆう……ことなのかなあ」
二人は沈黙する。ナキの言うとおり、体が変化したことが関係しているのは明らかだった。
少し気不味くなり、二人は無言のまま引っ越し作業を始める。
部屋の中にあった箱をナキからリデルへと流れ作業で渡していき、全部廊下へ運び出してしまうと、あっという間に箱は消え、そこは殺風景な空間が広がるのみとなった。
二人はそれを見て、感慨を覚える。
「一日くらいしか過ごしてないのに、なんだか寂しいですね」
「そうだな……人間の家とはいえ、落ち着けたもんな」
「ですね。本もいっぱいあって、夢の一つが叶った気分でした」
「そうか……。なあ、ナキ?」
「なんです?」
「おまえさ……もり、かえれなくてさびしくないか……?」
上目づかいに尋ねるリデル。後ろめたいことがあるとき、よくリデルはこうするのだが、今は謝罪の意を可愛さが覆ってしまっている。ナキは思わず微笑んだ。
「先輩、そんな可愛い顔して聞かれても困りますよ」
リデルの顔が朱に刷かれる。
「ふ、ふざけるなっ、あと、かわいいってゆうなっ!」
「ふふっ。じゃあ真面目に答えますよ? 僕の記憶では、その話は終わったはずです」
「……!」
「言ったじゃないですか。僕は先輩についていきますから。家族みんなも、きっと同じ思いですよ」
「……」
「それに、森なんてどこにでも作れます。森っていうのは、家族がいる場所のことなんですから」
リデルはうつむいた。
「……なるほど……そう、だな。じゃあ、かぞくを早くさがさないと」
ナキが頷いた。
丁度そのとき、厨房の方から皿の音がしてくる。
「あ、そろそろ昼食出来たんじゃないですか?」
「おお、もうそんな時間か!」
リデルのテンションががらりと変わる。
「今日はなにかな? にくかな? それともにくかな?」
「どっちも肉じゃないですか。まあ、あれだけ戦ったら食欲も湧きますよね」
一旦聖堂へ出て、右手にある扉を開ける。中は食卓になっていて、その隣にある厨房からアレビヤが料理を運んできていた。リデルに殴られた頬は、まだ赤みを帯びている。
「使いっ走りのお詫びに、ちょっと高い食材を使ったわ」
並べられたのはサラダとパン、そしてオニオンスープだった。
「どこにたかいしょくざいが?」
「ちょっと待ちなさい、もう少しで出来るから」
アレビヤはそう言って厨房に消える。
しばらくして、大きな皿を手に戻って来た。
「おお!」
盛りつけられていたのは、紛れもなくリデル待望の肉だった。厚切りで赤みのある肉が、大皿を埋め尽くすようにたっぷりと乗せられている。もうもうと湯気が立ち、肉汁が照明に煌めいている。
その肉の香りに、リデルの顔がとろけた。
「もう幸せだ……」
「先輩、よだれよだれ!」
テーブルに垂れそうになった涎を間一髪、ナキが台拭きで受け止めた。
また厨房へ行っていたアレビヤが戻って来て、全員が席に着いた。リデルとナキはらんらんとした目をアレビヤに向ける。食べていいわよ、と許可が出ると、待て状態だった二人は一気に料理へ食らいついた。アレビヤは苦笑せざるを得ない。
「これはまた凄い勢いね……ほらリデル、ちゃんとナイフを使いなさい」
「手づかみのほうがたべやすいんだよ!」
「そ、そうなの? いつも思うけどリデルってやっぱり獣みたいよね」
アレビヤの冗談に、二人は少しぎょっとする。
「え? 何、私おかしなこと言ったかしら?」
二人はぶんぶんと首を左右に振った。
「そう。ならいいんだけど」
アレビヤはナイフを持つ前に、自らの手を体の部位に置き始めた。額、胸、左肩、右肩。そして言葉を紡ぐ。
リデルがナキに囁く。
「もぐもぐ、なにゆってるんだろ?」
「はぐ、祈りじゃないですかね、もぎゅ、食前の祈り」
アレビヤは二人と対照的にに、ナイフとフォークをおしとやかに持って、小皿に料理を少しずつとっていく。
その間にも料理は減って、特に肉は残り少なくなっていた。
「あなた達、もうちょっとゆっくり食べたらどう?」
「そういうのは性にあわないんだよ!」
「そんなにおいしいのね。嬉しいわ」
「シカ肉はだいこうぶつだからな!」
「あら、良くシカって分かったわね。まあ、ここで肉って言ったらシカだから当然かな」
「シカのほかは食べないんですか?」
「食べないわね。出回ってるのがシカくらいだし。たまにウサギなんかは見るけど、あんまりおいしくないし、私は嫌いだから」
「牛や豚は? 人間はそのために家畜を飼っているのだと思っていましたが」
「ノモスは牛も豚も食用にするのを禁じてるの。ノモスでは神聖なものとして扱われてるから」
「なぜです?」
「表向きは、神が乗り物として使っていたからだ、っていう風になってるけど。実際は肉食獣を殺す口実でしょうね。家畜を殺す獣を悪魔の遣いとしてしまえば、信徒のストレスを分散させられるし。その証拠に、この近辺のオオカミは信徒の手でほとんど絶滅させられたわ。もう数匹しか残ってない」
「そんな……」
「私たちキリスト教も同じようなことをしてるから、ノモスだけを責めることは出来ないんだけど。でも、徹底的に狩るのはやり過ぎだと思ったわ」
「そうだ、オオカミはいきるためにくってるんだぞ!」
アレビヤはちょっとびっくりしたようにリデルを見た。
「……ちっちゃいくせに的を得たこと言うわね」
「ちっちゃくてわるかったな!」
アレビヤは笑う。
「ま、その通りよ。『生は死の上に成り立つ』。オオカミが草食獣を殺すのも、生きるためには仕方のないことだと思うわ」
「僕もそう思います。……ところで、それ誰の言葉です?」
尋ねられ、アレビヤが少し恥じらいを見せた。
「……私よ。悪い?」
「いえ、悪いだなんて思ってませんよ。ただ、素敵だなと」
「そ、そう」
アレビヤは恥ずかしそうに食事を再開した。
ちょっとしてから、アレビヤが顔を赤らめて言う。
「……あんたたちって、簡単に人を褒めるわよね」
「そうか?」
「そうよ。凄いとか、強いとか、素敵だとか……。あ、あんまりお世辞は言うもんじゃないわ」
「おせじじゃないって。アレビヤはりょうりも上手いし、お祈りもねっしんだし……」
「それよ。会う度にいっつもそんなこと言われてたら、恥ずかしいじゃない」
リデルとナキは顔を見合わせる。
「そんなに言ってましたっけ?」
「さあ、わからん」
アレビヤの眉間に少ししわがよる。
「と、とにかく。あんまり私を調子に乗らせないでほしいわ」
「?」
二人は首を傾げる。アレビヤは目を回した。
「あー、もういいわ」
アレビヤは空になった小皿を早足で厨房に持っていった。程なくして、乱暴に皿を洗う音が聞こえてくる。
「……おれたち、おこらせるようなことゆったか?」
「いいえ。全く」
「じゃあ、なぐったのが悪かったか……?」
思案しつつも、二人は七十数枚あった肉を平らげ、スープを飲みほし、嫌々サラダボウルを空にした。食器を重ねると、厨房へ持っていく。
厨房内は広く、片側の壁が収納になっていて、部屋の真ん中が調理スペース、もう片側の壁が洗い場となっていた。
その洗い場で、アレビヤが無言で洗い物をしている。
今洗っているのは、クッキングナイフだ。
照明に反射して、刃が鋭く光る。
(捌かれる……!?)
二人は身の危険を感じ、さっさと皿を置いて退散した。
そさくさと厨房を出て、二人は息を吐く。
「おれ、いつのまにか息とめてた」
「僕もです」
二人がぜーぜーしていると、聖堂の方から音が聞こえてきた。扉の開く音だ。
「なんだ?」
「この時間に人が来るのは珍しいですよね……もしかしたら……ノモスかもしれません」
「……! 今アレビヤはおこってるし……よし、ナキ、ふたりで行くぞ!」
「はい!」
二人は部屋を飛び出した。




