第十七話 ファルヘと迷惑な加護
(あれ……?)
リデルは体の異変に気付く。手が、足が、痙攣したように言う事を聞かない。先程まで鋭敏に働いていた痛覚さえも遮断されてしまい、リデルからは体の感覚が完全に取り去られてしまう。
これは――殺気だ。
この心臓が抉られるような、身を凍らせるような殺気。
この感じた事もない強烈なオーラ。
これは目の前の悪魔からではなく、全てあのヘルファから放たれているのだ。
「この気配、分かる! 分かるぞ! 間違いなくあなたは……!」
「黙れ悪魔が」
ヘルファが指を鳴らすと、アイポロスが炎に包まれる。
断末魔。金属を引っ掻いたような金切り声が、耳をつんざく。
アイポロスが叫んだ。
「早く、早く召喚を取り消せえええええええ! 死ぬ、死んでしまううううううううう!」
必死にアイポロスが請う。ハイマシフォス達が慌てて詠唱を開始した。
ヘルファがそれを嘲笑うように、指を鳴らす。
「させるか」
炎の勢いが二倍、三倍と膨れ上がった。
「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!」
その叫びを最後に、金切声は細くなり、聞こえなくなる。
最後に火が消えたときには、アイポロスの姿は跡形もなくなっていた。
(一体何が起こったんだ……?)
リデルが呆気にとられていると、アイポロスの最期を見送ったヘルファがくるりとかかとで方向を変え、ナキに近付いてきた。リデルがヘルファを睨みつけると、彼女は両手を挙げ、敵意が無い事を示してくる。
ヘルファがちょんとナキに触れると、ナキが声を発した。
「あ、動ける……!」
リデルは驚いた。ナキは確かに自由に動けている。
「先輩、一体何がどうなったんです? あの悪魔はどこへ?」
「ヘルファがたおしたよ」
「ヘルファが?」
ヘルファを見たナキは、その変化にすぐ気付いたようだった。
「ヘルファさん……大丈夫ですか?」
ヘルファが嫌悪の色を示す。
「大丈夫か? 当然だ。なぜお前に心配されなくちゃならないんだよ。お前の方こそ大丈夫か?」
ナキは呆気にとられながらも頷いた。
「あの……本当にヘルファさんですか……?」
「ああ、間違いなくな」
ヘルファは今度はリデルに近付いてきて、また指で体に触れた。
「それで怪我も治っただろ。私はここまでサービスしないんだが、イムネの頼みだからな」
リデルは試しに腕を動かしてみた。確かに、痛みは完全に消えている。体に出来ていた傷も、見たところ綺麗に消えていた。
リデルは礼を言ってから尋ねた。
「その、いむねってだれだ?」
ヘルファが信じられない、と言いたげな顔をした。
「お前、会ってるだろ? 緑色の髪で、私と同じツインテールの。ほら、あのなんか胡散臭い女だよ」
「ああ! あのじしょう神!」
リデルを人間に変え、ここに送り込んだ張本人だ。
「あいつに頼まれたってどうゆうことだ?」
「あー。これは言わない約束だったんだが……」
ヘルファが頭を掻く。
「もう派手にやっちまったし、隠しても仕方ないよな。実は私のヘルファってのは偽名だ」
リデルがええっと驚く。対してナキは動じず冷静に述べた。
「やはりですか。気付いていましたよ。あと、街に住んでるというのも、写真の入った飾りというのも嘘だったんでしょう? 泉の方から歩いてきたあなたが泉に向かうところだったなんて考えにくいですし、写真は現像技術がまだこの国には根づいてないのでありえません」
「ほー、さすが鋭い。リデルが信用するだけある」
ヘルファがパチパチと拍手した。
「そう、私はヘルファじゃないし、人間でもない。一応神ってことになってる存在だ。本当の名前は、ファルヘっていう」
「ぎめい逆にしただけだな」
「……即興で思いついたものだったからな。で、これがその証明」
ヘルファ――もといファルヘが、服の中から飾りを引き出した。ロケットと言っていた飾りは、十二角形の板だった。銀で出来ていて、そのうち11時の方角が赤く塗られている。
「これはオルワイデの証だ。私達≪オルワイデ十二神≫が会議をするときの席順を参考にして作らせたんだよ。信仰があるところなら皆ひれ伏すくらいの代物だが……お前たちは興味なさそうだな」
ファルヘはさっさと飾りをしまう。
「で、私たち神には司るものがあるが。そのうち私は業火を担当してる。地獄って呼ばれる場所でも使われる優れ物だ」
「さっきのたたかいも、その業火をつかったのか?」
「いや、あれはただの火だよ。悪魔と戦うとはいえ、ちょっと遊びたかったからな。そのお陰で逃げられたが」
「え!? たおしたんじゃなかったのか!?」
ファルヘはため息をついた。
「お前、あいつは賢者72柱でもかなり上に位置する悪魔だぞ? 昔は奴と私の同僚が死闘を繰り広げてだな……とにかく、あいつはあの程度で死ぬ奴じゃない」
「でも、あいつ大分苦しんでましたよね。固められても声は聞こえるほど大きな声だったので、恐らくそうかと」
「まあ、痛かったのは痛かっただろうが、ほとんど演技だろうな。召喚者が貧弱だったせいで反撃すらできなかったから、ああやって見せかけたんだ。こちらに姿を留めるには、召喚者から力を吸いとる必要があるからな」
ちらりと泉の向こうを見ると、ハイマシフォス達は仲良く倒れていた。ファルヘの言うとおり、力を吸いとられてしまったのだろう。
「しかし、不思議ですね。悪魔を排除するはずのノモス教が、悪魔を使役するだなんて。ストラティオにも泉の水が効いたのも疑問です」
「そういえば、なんでストラティオに泉のみずをかけようと思ったんだ?」
「悪魔について書かれた本があったでしょう? その表紙がヤギ頭の人間だったじゃないですか」
今朝ナキが持っていた本を思い出す。
ファルヘが顔をしかめた。
「バフォメットだな。いっつも裏でこそこそやってる野郎だ。私は嫌いだな」
ナキは相槌代わりに苦笑する。
「で、そのバフォメットは悪魔の代表格なんです。それに似た頭をしているストラティオは、もしかすると悪魔の仲間なのかなと思って」
「へ、へえ。ちょっと待ってくれ、さっきからあんまりあたまが付いていってないんだ……」
新出単語のオンパレードに、リデルがオーバーヒートを起こしかけたところへ、ファルヘが畳みかけるように話を変えた。
「ところで、お前たち。布教活動はちゃんとやってるのか?」
あ、と声が上がる。
「なんだその間抜けな声は。まあ、ノモス教が支配してるここじゃ無理もないが……」
「異教徒を全員滅ぼそうとしてるようですからね……」
「そこをなんとかするのが理想なんだがなあ。私たちオルワイデもノモスをなんとかしたいんだが、奴らが何か秘密兵器的な物を隠していたらいけないし、なにぶん信仰が無いお陰で手が出しづらくてありゃしない。神にとって信仰は力だからな」
「じゃあ、あなたが今ここにいるのはどうやって?」
「人間の体に入りこんでる。帰れなくなる可能性もある荒業だから誰もやりたがらなかったんだが、イムネとは色々あって、引き受けることにした。不便は不便だが、力はそこそこ使えるし満足かな」
ファルヘは指先に火を起こして見せた。
「もちろん、お前たちが任務を終えるのを見届けたら、この体はちゃんと元に戻すつもりだからな。安心しろ」
「えっと、つまりファルヘさんがイムネさんに頼まれたのは、僕達の監視ですか?」
「いや、監視というよりは保護だな。お前たちに危険が及んだら、私が助ける。可能な限り」
「可能な限り?」
「今回は相手が強力だったから止むを得なかったが、本当はここまで派手にやっちゃいけないんだ。私の存在を知ったら、色んな奴が私を狙いに来るからな。それに、お前たちだって危ないかもしれない。特にリデル」
「ん?」
「アイポロスの言ったとおり、お前は奴の言う“恐れる力”に護られてる。つまり、私達オルワイデの力だ。だから力が増すってわけじゃないんだが、この加護はちょっとした強さの証みたいなものでな。加護を受けてる奴はオルワイデのお墨付きっていうことになる。もしあのアイポロスが、リデルの加護を言いふらしたりすれば、平和な状況は変わるだろう。お前がオルワイデの神々に認められるほど強いのか、力試しに現れる悪魔とか、悪魔に唆された人間とかが出てくるだろうからな。これからは、ちょっと苦しくなるかも知れない」
「はあ」
「それに、さっきナキにも力を使ったから、自動的にナキにも加護が掛かった」
「え!?」
「これからはお前も狙われると思え」
そんなあ、とナキが世界の終わりみたいな顔をする。
「ま、危なくなったら私が存在を悟られない範囲で手助けするから。安心しろ」
そこまで言ってから、ファルヘはおもむろに太陽を見上げた。
「ん、そろそろ戻った方がいいんじゃないか? おつかいに遅れたら心配されるぞ」
「あ、そうか」
二人はバケツに駆け寄る。ストラティオ達は中身を恐れてバケツに触れなかったのだろう。水は一つも零れていない。
「蒸発で量は減ってますがね……」
「泉はかれちゃったんだから、もうつぎ足しようがないだろ? そこそこ量はあるし、これでかえろう」
リデルはバケツをナキに持たせ、肩の上によじ登る。
「あ、そうだ。ファルヘ、ともだちにお前をしょうかいしたいんだが……」
そう言って振り返る。だがそこにはもう、ファルヘの姿は無かった。
「いつのまに……」
「消えたんですか?」
「ああ。あとかたもなく」
二人は前を向く。
「ヘルファさんでもファルヘさんでも、不思議なのは変わらなかった、ってことですね」
「だな。しかしおどろいたよ。神ってゆうのは、あそこまですごいものなんだな。また話をきいてみたいよ」
「また難しい話になると思いますが?」
「……それはかんべんだな……」
二人はくたばる男たちをしり目に、帰路に着いた。




