第十五話 迫りくるヤギ頭の兵士
「ナキ、下がってろ!」
リデルはそう命令するが、ナキは緊張で震えていて、声も聞こえていないようだった。
ナキは何度呼びかけても動かない。ヘルファに、ナキを泉の端へ誘導するよう頼み、リデルは駆けだした。
ストラティオは大股でこちらへとゆっくり向かってくる。黒くぽっかりと空いた目が、左右に揺れ動いている。
(とにかくふたりを守らないと)
リデルは決意の中、地面を思いっきり蹴り、高く飛び上がった。狙いは先頭のストラティオだ。リデルは手で勢いを付け、宙で縦回転をかける。
(この勢いと回転で……!!)
景色が高速で回る中、タイミングを合わせる。
空、道、敵、道、空、道――
そして、確かに敵を捉えた。
(いける!)
渾身の力を込め、足を振り下ろす。
ストラティオの頭頂に、強烈な踵落としが炸裂した。
あまりの衝撃に風圧が発生し、辺りの木が枝葉を震わせる。
「どうだ!」
ストラティオはぐらりとよろめいた。
あともう一発顔の側面から蹴りをかませば、ダウンさせられる。リデルはそんなシナリオを思い描く。
だが、バランスを崩したと思われたストラティオの体は停止し、バランスを取り戻し始める。
(ほとんどきいてなかったのか!?)
歓喜が一瞬で絶望に変わる。
ストラティオの頭が上を向いた。動揺のせいで反応できず、リデルの重心が後ろへ移り、バランスが崩れる。
虚ろな目に見つめられ、心臓が止まるような恐怖。
動くストラティオの腕。
防御する間もなく、腕に払いのけられるリデル。それはまるで、虫を払うかのように。
(強い……!!)
リデルは矢のような速さで地面へ打ち付けられ、バウンドしながら吹っ飛んだ。|四肢≪しし≫がちぎれてしまうのではないかと思ってしまうほどの回転と衝撃。意識が一瞬飛び、気付いた時には、リデルは離れていたはずのナキの隣に横たわっていた。
「先輩!? ああ、傷だらけで……!」
ナキが傷ついた小鳥を見るように慌てる。リデルの体は血だらけ傷だらけ、肩は上下していた。ナキが上体を起こそうとすると、リデルは呻いて歯を軋ませる。ナキが泣きそうな顔で謝る。
「もしかしたら、骨が折れているのかもしれません……早く手当てを……」
「俺のことはいいから、ヘルファをにがしてやってくれ」
「な、何言ってるんですか! 先輩は!?」
「かいふくすれば、あんなやつらイチコロだ」
「何を馬鹿な! 先輩も、自分の傷の治りが遅いのは知ってるでしょう! それに回復したとしても戦力差がありすぎます!」
リデルは力に長けていた分、傷は重くなりやすかった。傷口が化膿して死に掛けた事も何度かあり、ナキはその姿を思い出すのである。
「いいから、おれのことは置いて――」
「嫌ですッ!」
ナキが張り上げた声に、リデルは黙り込む。
ナキはリデルをひょいと担ぎ上げた。
「ナキ!」
「何言っても無駄ですよ。だって初めに約束したじゃないですか。置いていったりしないって」
「……!」
ナキは少女の手をとり、泉の方へ引き返す。
「……おれがいたら逃げきれないだろ」
「大丈夫です。そのときは……僕が戦います」
「なんだと?」
リデルは驚きに打たれた。
ナキは昔から戦闘が苦手なオオカミだった。草食動物を狩る分には問題ないのだが、縄張り争いとかになると、てんで駄目になる。
ナキは敵意を向けられると、筋肉が強張って動けなくなってしまうのだ。
あるトラウマが原因なのだが、ナキはそれを覚えていない。ナキはとにかく無意識的に、戦うことを恐れていたはずだった。
「おまえの口からたたかうだなんて……」
「先輩が頑張ってくれたのに、僕だけ見てるなんて嫌ですから」
ナキが心から言っているのがわかる。
「しかし、どう戦うんだ? あいつら、バケモンだぞ?」
「文字どおりの、ですね。僕は真っ向から勝負はできません。見ての通り」
ナキがそう言って見せた手は、壊れてしまいそうなほど震えていた。
「でも、まだ策はあります」
「?」
「任せてください。なんとかなるはずです」
ナキは強張った頬で、精一杯の笑みを浮かべた。
ナキは逆走し泉に着いた。ナキはリデルを優しく地面に寝かせる。
「先輩は休んでいてください」
「どうするつもりなんだ?」
「まあ、見ていてくださいよ」
ヘルファさん、とナキが呼びかける。
「何か入れ物を持ってませんか? 水を汲みたいんです」
「入れ物……? えっと、バケツは逃げる時おいてきてしまったし……」
少女が手を叩いた。
「そうだ、この帽子はどうかしら~? お気に入りだったのだけど、ヤギにむしゃむしゃされたくないもの」
少女が帽子を脱いで、ナキに差し出す。
「ありがとうございます! お借りしますね」
ストラティオはゆっくり歩いてきていたが、もう距離は限界だった。もう少しで手が届いてしまう。
ナキは帽子を泉に入れ、水を汲んだ。なみなみと透き通った液体が溜まる。
「なにするきだよ?」
ナキは唾を飲む。
「確証は無いですが……」
ナキは力を腕に込めた。
「多分これで……いけます!」
ナキは帽子を振ると、水がストラティオの方へ撒かれる。水が飛び散る。
が、緊張に上手く力が入らなかったせいで飛距離が伸びず、水はナキのすぐ側に落ちてしまった。
「駄目だ……手が……」
ナキは震える自らの手に、がくりと膝をついた。
「……この泉は聖水の素です。もしかしたら、こいつらにも効くかと思ったのですが……僕には駄目なようです」
ナキが力無く微笑む。そこへ、
「駄目じゃないですよ~!」
ヘルファがナキから帽子を引ったくり、水を汲む。
ストラティオが、ナキに触れようとしているところだった。
ヘルファが勢いをつけ、帽子を振りまわす。
「え~い!」
キラキラとした泉の水が、帽子から撒かれた。ナキに掴みかかろうとしていたストラティオに、直撃する。
「%&#@|*¥!!!?」
理解できない言葉を上げながら、ストラティオが後ずさった。見ると、水の掛かった腕から水蒸気が上がっている。
「溶けている……のでしょうか?」
「よく分かりませんが、撒きまくりますよ~!」
それそれそれそれ、とヘルファが水を撒き散らす。
「$@?>|??」
ストラティオ達はたじたじになって後退していく。
ヘルファに限界が近付いてきた頃、ストラティオ達はこれ以上はもう無駄だと悟ったのか、魔法陣に戻っていった。
ナキとヘルファはほっと胸をなでおろす。
「助かった~!」
「本当に、死ぬかと思いました……ありがとうございます、ヘルファさん。あなたも怖かったでしょう?」
「いえいえ~そんな~。これでお詫びができたと思えば安いもんですよ~」
「安くは無いと思いますが……」
二人は笑い合う。
勝利の安堵が、二人の間には満ちていた。
そこに飛ぶのは、リデルの怒声。
「おい、うしろだ!」




