第十三話 あの、なぜ名前を知ってるんです?
集めた果物をカゴに渡すと、少女はぺかーと顔を輝かせた。
「ありがとうございます~。助かりました~。男の方、ぶつかったりしてすみません。わたし、よくぼんやりしちゃうんですよ~」
おっとりした声に、そうなんですか、とナキが相槌を打つ。その間に、リデルは少女の容姿を観察した。
一番目立つのは、赤いリボンが巻かれた白い帽子だ。広いつばが、少女の顔を日光から守っている。その下から垂れさがるツインテールは艶々とした黒。それは肩下くらいまで伸びていて、アレビヤほどではないものの、かなり長い。頭をペコペコ下げるたびに、二房のそれは絹のような滑らかさをアピールした。触ったら気持ち良さそうだな、とリデルは思う。
また、穏やかさをたたえる彼女の目はたれ気味で、どこか日向ぼっこをする動物を想起させる。薄っすらと赤みがかった虹彩から、なんだか少女がウサギに見えてきた。背はナキより頭一つ分小さいくらい。胸についた膨らみは、他の女性よりかなり――もっと言えばアレビヤの二倍くらい大きく、なぜかリデルはその胸を羨ましいと感じてしまう。
「本当にごめんなさい。こんなことにお時間をとらせてしまって」
「いえ良いんです」
「本当ですか?」
「はい、痛くもなかったですし」
少女は申し訳なさそうにまた頭を下げる。
「本当にすみません。でも、ご迷惑をおかけしておいて謝罪だけでは私が帰れませんので……良かったら、何かお手伝いさせてほしいんですが……」
ナキが即答した。
「それならバケツ持ってもらえますか?」
即刻リデルがナキの足を殴った。
「そこは『べつにそんなのいいんですよ。とうぜんのことをしたまでですから』だろ!」
ひそひそ声で叱りつける。
「でもこのバケツ、結構重たいんですよ」
「それはお前のしんたいのうりょくが低いからだろ。まったく、くだものをひろう気づかいもなかったし。お前はもうちょっと、じぶん以外のことも気にしたほうがいいな」
「……」
不穏な空気が流れる。
少女は二人を交互に見て、空気を変えるべく手を叩いた。
「いきなりですけど、自己紹介しますね。わたし、この街に住んでるヘルファって言います。よろしくお願いしますね~」
元気よくそう言ったが、沈黙は続く。
少女はまた手を叩いた。
「そうか、バケツを持っているということは、お二人は泉に行かれるんですよね? ちょうどわたしも行くところだったんですよ。お手伝いしますね」
少女がバケツを持とうとするのを、リデルが慌てて止めた。
「こいつは男だから、もたなくても大丈夫だ」
沈黙が破れたことに少女は喜ぶ。
「いえいえ〜。わたしも力持ちなんですよ〜。気づかってくれてありがとう、おチビちゃん」
「!?」
リデルを衝撃の雷が襲った。プルプルと体を震わせる。
その間に、少女はナキからバケツを受け取ってしまった。
「ちちちちチビ……だって……?」
ナキがぷっと笑ったので、リデルは乱暴に肩へ乗っかった。ナキが一瞬よろめき、リデルをほんの僅かに睨みつける。
「そ、それじゃあ行きましょうか~」
少女が言う。そこでリデルは気づいた。歩いていく彼女の首から、紐が提げられているのだ。その先は服の中にしまわれていて、それが何なのかは確認できないが、リデルは真っ先に、ノモス教の首飾りを思い出していた。
(これは……あやしいな)
緊張しながらも、思いきって尋ねてみる。
「あ、あの、それはなんですか」
思わず丁寧語になってしまう。
少女は背中を進行方向へ向け後ろ歩きをしながら、
「この飾り? わたしのお父さんから貰ったロケットよ。写真が入ってるの」
写真ってなんだろう、とリデルは思う。ナキが引っかかることがあったのか、「ん?」と声を上げていた。
その間にも少女は歩いていたのだが、それをリデルが呼び止める。
「おーい」
「なんですか~?」
「泉、そっちじゃないぞ」
「……え?」
少女の歩いていた方向は、泉とは全く正反対の方向であった。
少女はあたふたして、二人の元へ帰ってくる。
「は、はは、そそっかしくてごめんなさいね~。こっちだったわ~。わたしったらドジっ子ね~」
リデルが笑う。
「ここに住んでるのに、ほうこうおんちだなあ。裏路地まよわないか?」
「あ、ああ、そうね、そうなのよ~。大変なの~」
ナキだけでなく、リデルも首を捻り始めた。
少女は二人の視線に気づき、微笑に顔を引き攣らせる。
「じゃ、じゃあ、今度こそ。行きましょう~!」
少女はいきなり、ナキと手を繋いできた。
「また変な方向に歩きだしたら嫌だから~。ちょっとだけ、ね?」
「え……ええ、良いですが」
「ナキくん、って呼んでいい?」
「……はい」
リデルが座るナキの肩が、いきなり熱くなってきた。
(……分かりやすい奴め)
呆れていると、少女はリデルの方にも目を向けてくる。
「リデルちゃんも、ちゃんとお利口さんしてるんだよ?」
「……!」
リデルは瞬間竦み上がった。幼児扱いされたからではない。少女の目が、オオカミを狙うタカのように見えたのだ。
警戒すべきなのか否か、判断しかねていると、少女はリデルに含みのある笑みを向け、今度はナキと親しげに話し始める。
「ナキくん、背高いよね~」
「ええ、よく言われます……」
いつゆわれたんだよ、と内心突っ込む。
「ナキくん、つきあってる子いるの~?」
「え? ああ、昔は……。今はいませんよ」
「そうなんだ~。でもナキくんだったらきっとすぐ新しい彼女見つかるよ~」
ナキはすっかり打ち解けたように話している。アレビヤは信用しないくせに、自分をほめられるとすぐこれだ。
「ナキくんって、趣味とかあるの~?」
「ナキくんの好きな食べ物は~?」
「ナキくんって面白いんだね~」
ナキくんナキくんと、繰り返される呼び名に、リデルはなつかしみを覚える。リデルの兄妹であるネルヴァは、ナキより一足先に生まれたからと言ってナキを君付けで呼んでいたのだ。
(ナキはちょっとひよわな所あるからなあ。くん付けされてもしかたないか…………ん?)
そこでふと気付いた。少女はナキの名前を口にしているが――どうして彼女は名前を知っているのだろうか。リデルもナキも、まだ自己紹介をしていないし、お互いの名前を呼んだりもしていない。少女に、二人の名前を知れるはずがないのだ。
(……?)
一体どういう事だろう。この少女とこれまでに出会ったことは無いはずだ。
リデルが考えれば考えるほど、少女の笑みが、なんだか怪しげなものに見えてくる。
(……いったいなにものだ?)
リデルは何かヒントを探ろうとした。注意深く少女を見ていると、ふと、彼女の面影に、見覚えがあるような気がしてくる。あのツインテール、そしてこの後ろ姿。
(どこかで……見たことがある気がする……誰だ? おれのしってるヤツか? いや、おれに人間のしりあいがいるはずがない……)
何か思い出せそうになる。
(あの緑髪の女神もツインテールだったけど、もっと背は高かった気がするし、違うだろうな……だとしたら誰だ? あああ、何か引っ掛かる……)
もやもやした感じに苛立ちが募った。
(誰だ……誰だ誰だ誰だ? おもいだせー、おもいだせおれ! みたことある気がするんだ、おもいだせ……)
そう強く念じたところで、珍しく回っていた頭が爆発した。無理な思考は、幼女体にこたえたようである。
(はーあ……かんがえるの止めよ)
リデルは気の抜けた表情で一人、拳を鳴らす練習を始めた。
手をもみもみするリデルの下で、ナキと少女は相変わらず親しげに会話を続けている――
謎の人物を迎えたリデルとナキは、泉へと進んでいった。




