第十一話 お引越し準備
二人が部屋でハラハラしながら待っていると、扉が開いて、ナキが帰って来た。
ナキは二人の顔を見ると、笑顔を浮かべて親指を立てる。
「無事追い返せました。ここは敬虔なノモス教の夫妻が住んでることになりましたよ」
リデルは息を吐く。
「よかったよかった」
「ええ、本を読んでいたのが功を奏しました」
そこにアレビヤがやってくる。表情が険しい。
「あなた、ずいぶん勝手言ってくれたわね……!」
アレビヤはそのままぶつかるように、ナキの胸倉を掴んだ。
ナキは慌てふためく。
「あ、あれは仕方なかったんですよ!」
「私だけでも普通に追い返せてたわ。あんた達が入ってこなくたってもね」
「でも、妙案だったでしょう?」
「全然。というか、あいつらには前々から目を付けられてたのよ。そんな嘘ついて、届けが出てない事に気づかれたらまた不利になるわ」
「じゃあ届を……」
「とんでもないわ! なんであなたと! もう、こうなったら引っ越しよ!」
アレビヤが突き放すようにナキを解放する。
「ごほっごほっ。引っ越しって、せっかくこの場所を守ったのにですか?」
「守れてないわ。私の勘だけど、近々立ち入り検査が入る。私の恐れてたね。聖堂はどうやっても隠せない。相手がハイマシフォス一人なら殴り倒して阻止できるかもしれないけど、立ち入り検査は十数人規模で行われるわ。それに、イシキなんかが現れたら私には手が出ない」
「暴力手段に出るのは確定なんですね……」
そこでリデルが疑問を投げかけた。
「そのイシキってのはさっき聞いた覚えがあるけど、一体なんのことなんだ? それにハイマなんとかも、よく分からないんだが」
アレビヤが説明しようとすると、それをナキが遮って話し始める。
「簡単に言えば、ノモス教の聖職者の階級ですね。厳密にはもっと細かく分かれているようですが、大きく分ければ三段階になります。下に行けば行くほど人数が多くなるので、図で示すとすれば三角形になりますね」
ナキが紙とペンを要求した。アレビヤが渋々、日に焼けた紙と羽根ペンを手渡す。
ナキがそれに綺麗な正三角形を描くと、上から等間隔に横線を引っ張った。三角形が、三つに分けられた形となる。
「ノモス教の頂点はノモスです」
一番上の欄に、ノモスと書き込む。
「教徒には王とも呼ばれます。道徳・法律の具現化である神の子孫という扱いです。聖地の崇敬対象なので、主に聖地からは動きません」
「アレビヤが王様ってゆってたのはそいつだな」
私は様なんて付けたくなかったのよ、とアレビヤが吐く真似をする。
「そして、その次がイシキ。実際血は繋がっていませんが、ノモスの親類という扱いです。主に雑務をこなします。動けないノモスに代わって行事に出席したりもしてるようですが、一番注目すべきはオディギアを行えることでしょうね」
「な、なんだって? ウィキペディア?」
「なんですかそれ。導きですよ。悪魔を払う儀式や、悪魔を追い出すことをノモス教ではそう言います。憑かれた教徒を元の状態へ導き戻すというので、導きと名前がついたらしいです」
アレビヤがため息をついた。
「イシキのオディギアは絶対に成功するの。悪魔がどんなに強くてもおかまいなし。正直言って、エクソシズムは負けてるわ」
エクソシズムはオディギアと似たようなものだとアレビヤが暗い声で説明してくれる。
そのあと、さらに重いため息をついた。
これ以上落ち込ませてはならないと思ったのか、ナキが慌てて続きを話す。
「そして、最下層がハイマシフォスですね。彼らはノモスとの血縁関係は持っていません。扱いは聖職者ですが、雇われの身で、クビになるときは口封じに記憶を消されてしまうとかいう記述も見かけました。主には格闘集団で、街の警備などが主な仕事ですね。司令塔でもあるようです」
アレビヤがぶるっと震えた。
「ハイマシフォス……恐ろしいわ」
「なんでだ? さっき一人ならなんとかなるとかゆってたのに」
「だから一人ならね。でも、あいつらはアレを呼べるのよ」
「アレ?」
「ストラティオよ。ほら、路地を進んでたとき、私黙り込んだでしょ?」
「あの人がそのスト……なのか?」
「さあ。ストラティオは一般人に化けてるから見分けがつかないの。だから誰かの前で内密な話はしない方がいいわ。もし怪しいと思われたら、問答無用で捕まるわよ。前も言ったけど、この街はストラティオの数が多いから余計に注意が必要ね」
前に言っていた数が多いというのはそういうことかと納得する。
「ストラティオの本当の姿はかなりグロいわ。体は人間だけど、頭はヤギなの。首が無理やり縫い付けられたみたいになってて、血がだらだら流れてるのよ。目は虚ろ、まるで空洞になってるみたいで……」
アレビヤが不思議そうに首を傾げた。
「あなた達、意外に怖がらないのね」
「そういうのは慣れてるからな」
リデルが淡々と言う。アレビヤがすぐさまナキを睨みつけた。
「いやいや! 別に危険なことをさせてるわけじゃないですよ。たまたまそういうのを見てしまう機会が多かったので」
「見せないようにしなさいよ」
アレビヤが語気を強めた。
動物を生で食べていた、なんて言うと誤解を招くと思ったのか、ナキはむっとしつつも黙っていた。視線を外して、三角形の外にストラティオと書き込む。
リデルは完成した図を眺めた。
「ややこしい名前ばかりでおぼえにくいな」
リデルはただでさえ思考初心者だ。こう並べたてられると頭が追いつかなかった。
「覚えなくても大丈夫よ。素直に商売してればそんな知識いらないわ」
「しょうばいか……」
ノモス教が商業を奨励していたのを思い出す。
「貴女も何か仕事を?」
「まあね。アルバイトだけど。さ、それより引っ越しよ。立ち入り検査されたら教会があるってバレちゃうわ。その前に教会を移動させないと。それに、さっきので恨みを持たれてたりしたら、何が何でも私を潰そうとするはずよ。その前に逃げないと」
アレビヤがさっさと箱を持ってきて、部屋の片付けを始める。
「準備は結構なんですが、お父さんの許可は取ってあるんですか?」
「父は前々から引っ越し先探してて、最近あてを見つけたの。言えばすぐに準備してくれるわ」
後にアレビヤが父親――彼もアレビヤと同じ聖職者だった――に聞くと、確かに許可が下りた。
リデルは食事にお世話になったということで、引っ越しの手伝いをすることに決める。
ナキはこの機会に家を出るべきだと進言したが、最後はリデルに従った。
掃除用具を持たされた二人。リデルはキッチンを、ナキはトイレを片付ける。
「どのくらいまでやればいいんだー?」
トイレの方からこもった声が返ってくる。
「あの女が納得するまでですね。……まあ、頑張りましょう」
二人はほぼ同時に、疲労のため息をつく。すると突然、アレビヤの叫び声が聞こえてきた。
「なんだなんだ!?」
二人は箒や雑巾を放り投げ、廊下一番奥の部屋に駆けつける。
そこにはカタカタと震えるアレビヤがいた。
「どうしたんだ?」
リデルの呼びかけに、アレビヤは体を震わせながら振り返る。
「無いの……無くなっちゃった……」
「何がです?」
アレビヤは肩を落として答えた。
「……聖水よ」




