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天秤世界のオオカミ幼女  作者: 鵺這珊瑚
第一章 迷路の町カタスリプス
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第一話 オオカミさん、幼女になっちゃう

 湿っぽく、おまけにカビ臭さの充満した部屋。


 床に横たわっていた一匹のオオカミは、その息苦しい程の湿気に目を覚ます。少し唸り、目を細く開けると、薄暗い中に、石の床と壁が目に入った。


 ここはどこなのだろう。少なくとも、森ではないのだろうが。


 オオカミはその大きな体をゆっくりと起き上がらせると、身震いを一つして、毛に付着していた苔を落とし、この謎の部屋を見渡した。天井の高さは自分を縦に三、四匹重ねた程度で、かなり低い。本気で跳べば頭をぶつけてしまいそうだ。取り囲む壁はきっかり十二面あるが、見た所出口らしきものは無い。床もまっ平らで、これといって変わった点はなさそうに見えた。


 オオカミはここが完全に密閉され、出口の無い空間なのだと悟った。

 おまけに、周りにはオオカミの他誰も居ない。

 それを理解した瞬間、彼を恐怖の震えが襲う。この密室から逃げ出したい。そんな激しい衝動に駆られる。

 空間に独りである(・・・・・・・・)ということは、このオオカミにとって、暗闇に閉じ込められること以上に恐怖を煽った。

 

 オオカミは、いてもたってもいられなくなった。出口が開くのではないかという一抹の希望の下、壁の一面に突進する。全身の力を込め、石に頭から衝突したが、オオカミは鈍い痛みとともに弾き返された。

 オオカミは期待をこめて壁を見たが、壁は傷一つつかないまま変わらずそこにあった。

 希望に陰が差した。

 それでもオオカミは気を取り直し、また壁に突進した。だがまた傷は付かなかった。傷が付いたのは、オオカミの方だけだった。


 その後もオオカミは数十回と突進を繰り返したが、やはり出口は開かず、とうとう部屋はオオカミを逃してはくれなかった。


 オオカミはほぼ無傷の壁を前に、絶望した。疲労困憊だった。部屋の湿気と、密室ゆえの薄い空気が、オオカミの体力をそいでいた。また、全力疾走を繰り返したことにより口はだらしない呼吸を繰り返し、足もなんだかカクつき始めていた。

 しかしオオカミは尚も壁に訴えかける。歩み寄り、体をぶつける。それは、もはや体当たりというよりは、壁に寄り掛かる行為であったが、オオカミはそれでも必死だった。


 オオカミは突進の力を失うと、今度は震える足で、壁を擦り始めた。一回、二回、三回と、噛みしめるように爪が石に研がれていく。擦れる音が虚しく響く。


 オオカミをそこまで駆り立てるのは、孤独の恐怖もそうであったが、それと同じくらい、家族との再会を望んでいたことが大きかった。彼は群れのリーダーであり、家族を誰よりも愛するオオカミであった。


 ナキ、ネルヴァ、と彼は家族の顔を思い浮かべ、正気を保っていた。もう瞼が重くなってきていた。


 数十回、いや、数百回足を動かしただろうか。オオカミは舌をだらんと垂らし、目を虚ろにしながらも、まだ足を動かそうとしている。

 もう前足も後ろ足も、体を支えきれそうにない、オオカミはそこまで疲労している。 

 それでも、オオカミは足をあげた――


 その時だった。オオカミの目の前の壁が、突如として光り輝き始めたのだ。


 オオカミはぼんやりする意識の中、唖然としてその光を体に受ける。

 オオカミは鈍って意識の消えかけた頭に血液を懸命に巡らせ、この現象が何かを考えようとしたが、その前にその光は夕暮れの日のように萎んでいく。そしてまた暗闇が戻ってきた。


 首を傾げる気持ちでただ呆然としていると、彼の背後に忽然(こつぜん)と、一つの気配が現れた。震える筋肉を駆使してなんとか振り返ると、気配の正体は一人の人間で、オオカミは驚きのあまり息を止めてしまう。


「そんなにびっくりしないで?」


 包み込むような優しげな声だった。おそらく女の子だろう。暗闇に強いはずの目は効かなくなっているし、おまけに鼻はカビの臭いに封じられていたから、聴覚に頼るしかなかったが、声の主が(メス)であることは間違いなかった。


「お疲れみたいね」


 女の子がオオカミに近付いてきた。

 反射的に威嚇すると、女の子は我が子を見るような困り顔を浮かべる。


「大丈夫よ」


 女の子はそう言って、手を顔に触れた。柔らかで暖かな感触が伝わる。

 すると不思議なことに、オオカミの体が軽くなり、筋肉の緊張が解け、纏わりついていた痛みが一瞬で消え失せてしまった。


 オオカミが戸惑う様子を見て、女の子はまた、落ち着いた笑みを見せた。


 痛みが消えたお陰か、心が安定してきたお陰か、だんだんと観察の余裕が戻ってきた。目も部屋の端まで見通せるまでに回復していたので、オオカミは女の子をさりげなく見つめた。

 女の子は、幼げで、しかしどこか落ち着いた顔立ちをしていた。髪は若葉を溶かし込んだかのように鮮やかな緑色で、森林を連想させる。女の子はその髪を頭の左右で結んでいて、女の子が少し動くと、髪は川が流れるようにサラサラと揺れる。


「どうも初めまして、オオカミさん」


 女の子はそう挨拶する。

 返事をするように唸るオオカミ。


「ああ、まだ喋れなかったのね」


 そう言うと女の子はオオカミに向かって、その白く長い指を振った。緑に彩られた爪が、柔らかに弧を描く。


 するとオオカミの足元に円形(幾何学模様)が出現して、そこから発生した光の粒子が、彼の体を包み込んだ。


 オオカミは狼狽する。人間を目の前にしても不思議と姿を見せなかった不安感が、ここで一気に押し寄せてきた。人間の技術というものはオオカミには分かりかねたが、オオカミ一匹の存在を抹消することくらいは簡単なのだろうと考え身を震わせる。

 しかしもう一度女の子が指を振ると、魔法陣は消え静寂が訪れた。

 オオカミは消えたりせず、以前と変わらずそこに立っている。


「どう? 変化に気付かない?」


 女の子が楽しげにオオカミに話しかけると、オオカミは目を鋭く向けた。


「気づくかだって? 変化なんて何もないじゃないか――」


 オオカミの目が丸くなる。自分の喉が発したのは、明らかに吠え声ではなかった。


「俺は……喋ってるのか?」


 女の子は手のひらを合わせて喜んだ。


「よし、成功ね。今からあなたは人語の話せるオオカミよ。ねえ、あなたの名前は?」


 好奇心まんまんの顔に、オオカミは一歩後ずさってしまう。


「リ、リデルだ」


「そう、リデルさん。オオカミのくせに素敵な名前ね」


 オオカミの目が細くなる。


「失礼なやつだな。オオカミにだって名前はあるんだぞ。あんたが何者かは知らないが、家族が待ってるんだ。人語なんて喋れなくていいから、早く森に帰してくれ」


 ニヒヒと女の子が笑った。


「忘れたの? オオカミ……いえ、リデルさんは、煙突から落ちて危うく死ぬところだったのよ」


「……なんだって?」


「それを私が助けたの。だからリデルさんは、私に恩があるってわけ」


 リデルは目を瞑り、記憶をたどった。


(確か俺は群れで狩りをしていて……子豚を二匹追いかけていた……そうしたら奴らが、レンガの家に逃げ込んで……)


「そうだ、俺が群れのリーダーとして、煙突から侵入を試みたんだった」


「そう。でも、その先にはぐつぐつ沸騰したお鍋が用意されてたの」


「なっ!? それは本当か!?」


「本当よ。危うくオオカミスープにされるところだったわ」


「……豚のくせに生意気な知恵をつけたもんだ」


 リデルの口調から、悔しさがにじむ。


「悔しがってないで、私に何か言う事があるんじゃない?」


 リデルは考えた。


「ふむ。そうだな。ありがとう。なんと礼をすればいいのか……」


 そのとき女の子がニヤリと笑った気がして、リデルは背筋を凍らせた。


「ああ、お礼をしてくださるんですか? とても嬉しいです。お礼でしたら、実は困っている事がありまして……聞いてくださりますか?」


 わざとらしい敬語にリデルは身を強張らせる。


「あ、ああ……俺にできることなら……」


「ありがとう。実は、私は神なんだけどね」


「へっ!?」


「おまけにかなり力の強い神なんだけど」


「へぇっ!?」


「上位12柱にギリギリ入れなかった程度の力の持ち主なんだけど」


「へ……ってそれは強いのか?」


「で、今あなたがいるのは古い遺跡の中よ。昔、私たち神を祭っていた場所ね。人間が使わなくなってからは、私たちが別の世界へ移動するときのために使ってるの。ちなみに、ここを使えば神じゃなくても別世界へ移動することができるわ」


「ほう」


「ほう……じゃなくてね。つまり、リデルさんをここに連れてきたのは、別世界へ行ってもらうため……」


「断る」


「まだ言いきってないのに即答ね……」


 女の子は頬を引きつらせる。


「も、もちろん悪いようにはしないわ。リデルさんの望みはできるだけ叶えた状態で向こうへ送ってあげるから」


「嫌だ。家族の所へ帰してくれ。リーダー無しじゃあいつらが困るだろ」


「そう言わずにお願いよ~。なんなら、家族も一緒に向こうへ送るから」


 リデルはちょっと考える。


「まあ、家族がいるならどこでもいいが……」


「良かったわ! じゃあ今すぐにでも転送するわね」


 女の子が指を振ろうとする。


「いや、ちょっと待ってくれ。なんで俺みたいなオオカミを利用しようとするんだよ。こういうのは人間にやらせるものなんじゃないのか?」


「お、鋭い。答えはズバリ、転送コストが人間より小さいからよ」


 振ろうとしていた人差し指を突き出し、ポーズをとる女の子。コスパを考えた結果だと知り、リデルにはなんだか女の子が近い存在に見えてくる。


「お偉い神様も意外と貧しいんだな。同情するよ」


「え? あ、あはは、まあね」


 楽したいからなんて言えない、って顔をする。


「あともうひとつ理由があって。実は転送先の世界では、オオカミや肉食動物は迫害されてるの」


「……それが理由?」


「そう。下克上って私好きだから」


 喉笛噛み切ってやろうかと言わんばかりに、リデルは歯をむき出しにする。


「お、落ち着いて。私だって何も考えてないわけじゃないわ。そのままの姿で向こうに行ったら即死亡だから、転送の際には姿を変えるよ」


「それは家族にも適用されるのか?」


「もちろん。危ない事はないようにするわ」


 それなら、とリデルは頷いた。


「よし。じゃあ、ほかに何か要望はある?」


「そうだなあ。俺が一人にならないようにしてもらえればそれでいいか」


「それだけ? 人間なら、神でも殺せる力とか言い出すんだけど」


 それはさすがにあげないけどね、と肩をすくめる。


「でも、ちょっと不安だから、姿が変わってもオオカミのときの力はそのまま出せるようにしてあげる。時間制限付きだけど、別に戦争する訳じゃないし、十分でしょ」


 女の子が指を振ると、リデルの体が一瞬だけ微かに青く光った。


「じゃ、向こうの世界のことと、やってほしいことを説明しておくわね」


 女の子は手短に転送先のことを話す。


 聞けば聞くほど、リデルは不安顔になっていった。


「……それ、本当に大丈夫なんだろうな」


「ええ、大丈夫よ。私たちへの信仰がない世界だから私たちは手を貸せないけど、リデルさんなら大丈夫。……多分」


「多分って聞こえたが」


「気のせいよ。じゃあ、お願いね」


 あっさりそう言って指を振ると、今度は部屋全体が光を放ち始めた。眩い。太陽が間近にあるかのようだ。


「あ、そうだ言い忘れてた。あなたの姿は警戒心を持たれないよう人間の幼女にしておくから、そのつもりでね!」


「え? それだと狩りが出来ないんじゃ……?」


 そう口にした時にはリデル、女の子もろとも光に飲み込まれていて、辺りは白しか見えなくなっていた。


 すぐに体が変化していくのが分かった。視野が少し狭くなり、四肢の形が変わっていく。体が縮む。次第に得も言われぬ恐怖が襲って来た。恩返しだとはいえ、家族まで簡単に巻き込んで良かったのだろうか。


 しかし頭が割れるような痛みが襲って来てリデルの意識はプツリと切れてしまう。もう、それ以上は考えられなかった。


 リデルという名のオオカミ――いや、幼女は、別世界へと転送される。

初めましての方は初めまして、鵺這珊瑚やばいさんごと申します。

こちらは作者が「幼女が好きだ」という情熱()を込めて書いた一作です。

賛同できる方も、しづらい方も、最後までお付き合いいただければ幸いでございます。

どうぞごゆるりと、お楽しみください。

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