ワクワクが止まらねえ!
帝国の首都ウィア・ビルフレンス。通称は帝都。
この大都市は城塞都市と同じく、大きな城を中心として街が広がっている。というよりも、あっちが帝都を模倣しているのかも知れないな。
唯一の違いは、帝都には城壁となる建造物が存在せず、代わりに帝都全体を覆うように膜が張っていることか。
遠くからだとタマゴの殻のようなそれの正体は『魔導天蓋』なるアーティファクトだそうで、帝都を守護するべく遥か昔から稼働し続けているらしい。
動力は耀気機関車と同じく、魔石から精錬した人工魔力『耀気』によって賄われており、帝国内における耀気消費量は魔導天蓋が大半を占める……。
という蘊蓄をミリアちゃんから延々と聞かされつつ機関車を降りる。
魔導天蓋による膜は完全に覆っているのかと思いきや、いくつか入口となる穴が開いている箇所があって、機関車はそこから内側の駅へ停車していた。
他にも似たような部分があったので、車などでも出入りできる設計のようだ。
もっとも、すべての出入り口は関所のように厳重かつ堅牢な造りで、警備兵が常駐しているから不法侵入は難しそうだけどね。
ただ機関車から降りた際にも荷物検査するような検問所があったのに、エルドハート家の者だとわかった途端にすべてスルーできた。
これは相応の信用があってこそだろうけど、ちょっと不安になる警備体制だ。
神殿っぽい無駄に厳かな駅から出ると、今度は送迎車がお出迎えである。
このままエルドハート家所有の屋敷まで送ってくれるのだろう。
以前の屋敷も大きかったのに、帝都にも似たようなのがあるなんて、さすがは大貴族のお嬢様だね。もう驚かなくなってきたよ。
いつものように俺はみんなと同席すると、両隣りにちょこんと座るミリアちゃんとソフィーちゃん。対面席でそれを微笑ましく見守るカノンとアミスちゃん。そして気怠げなミルフレンスちゃん。
きっとここは、天国に一番近い席だ。
「ところでクロシュさん、なにか気付きませんでしたか?」
「なにか……そういえば空気が暖かいですね」
晴れているとはいえ帝都の外は雪が積もっているほどの寒気だ。
そもそも極寒の大地であるはずなのに、これほど温暖な気候はおかしい。
考えられる原因は、やはりあれだろう。
「先ほど話していたアーティファクト、魔導天蓋の効果でしょうか」
「その通りです。あれは城壁の代わりになるだけではなく、気温を調節できるので帝都は常春と呼ばれるぐらい暖かいんですよ」
どうりで窓から覗く景色に、さっきから薄着の人を見かけると思った。
改めて眺めると街並みも華やかで、行き交う人々はお洒落な服装ばかりだと気付く。まるで文化の発信地のようだ。
寒さを気にしなくていいという、精神的な余裕がそうさせるのだろうか。
城塞都市も所々は近代的だったけど、帝都はこの世界の最先端だと言われたら信じてしまうぞ。
敢えて言葉にするなら、古めかしいファンタジーにスチームパンクが混ざった上で現代的にアレンジされていると言うべきか……。
なんにせよ、寒さに震えなくていいのは素直に嬉しい。
「過ごしやすそうでいいですね」
などと言いつつ視線を戻せば、なんとミリアちゃんたちまでも分厚いコートを脱ぎ始めているではないか!
「外から入ると厚着しているせいで逆に暑くなるんですよね……」
「まったくですわ」
「温水を溜めて泳げる施設までありますからね。行ったことはありませんが」
「でしたらお嬢様、せっかくですからクロシュ様とご一緒に行かれては?」
「あつい……」
それぞれ上着を収納スペースに押し込むと、ブラウスの裾をぱたぱたと捲って少し火照った体を晒す。
ちょっと行儀は悪いけど、ここは車内だ。この場にいるのは気心の知れた者たちだけで、特殊加工の窓は外から覗かれる心配もない。
なるほど、これが常春の帝都……気に入ったよ。
帝都の春を大いに満喫していると、あっという間に屋敷へ到着してしまった。
土地が限られているせいか以前のような広い庭園はなく、しかし建物そのものは負けないくらい大きく立派な造りをしている。
周囲に視線を移せば、ここらは高級住宅街といった感じで、同じく貴族たちの屋敷が並ぶ通りのようだ。
早速、入ろうとしたらアミスちゃんたちにも持ち家があるそうなので、残念ながらここで一旦お別れとなってしまう。
また後で、というミリアちゃんの言葉が気になったけど、きっとすぐに会えるのだろう。
荷運びは使用人に任せて、俺とミリアちゃんが案内された部屋に入ると、働き者のカノンがお茶を淹れてくれたので一休みする。
場所と屋敷こそ変わったものの、不自由がないよう用意された設備に大差はないらしいし、向こうで働いていたメイドさんや料理人もそのまま移っているそうなので、これまでと同様の生活が送れるように整えられている。
護衛騎士のナミツネはもちろん、料理を担当していたフォル爺もいるし、ノブナーガ不在の間ずっと代行していた政務官クーデルも同様だ。
当主不在だったせいで仕事が溜まり、忙しそうに働いていたのでそっとしておいたが、そのうち陣中見舞いに行ってやろうと思う。
当のノブナーガも色々と立て込んでいるようだ。
というのは武王国軍を追い返した功績が、仕方ないとはいえ一カ月も不在となっていた失態で帳消しとなり、パレードへは参加できなくなったのだという。
夜会もミリアちゃんの保護者としてネイリィだけの出席である。
俺としては羨ましいけど、アミスちゃん、ソフィーちゃん、ミルフレンスちゃんの三人や、彼女たちの両親も参加する夜会で、唯一不参加のノブナーガは貴族として恥になるのだという。
絶対に本人は気にもしないだろうけどね。
……待てよ。それだけ人数が多いなら俺は目立たないんじゃないか?
木を隠すには森、人を隠すには人の中ってワケだ。
妙案を思い付いた気がするけど、まだ人数が足りない。
できればもっと存在感のある、俺を覆い隠すほど目立つ者がいないかな。
存在感から連想して最初に思い浮かんだのは毛玉ことワタガシだ。
あれは論外なのでそっと記憶に蓋をする。
コワタも……やめておこう。
次はインテリジェンス・アイテムだが、ルーゲインは罪人だから除外だろう。
片眼鏡は眼鏡だし、クレハは俺が頼んでも無理っぽい。
そもそも皇帝国にいるのかさえ不明なのだから論外だった。
やはり、残る希望はヴァイスか。
彼女なら容姿も実績も申し分ないはずだ。
そうと決まれば、すぐにでも連絡を取ってみよう。
俺はミリアちゃんに断ってから席を立つと、なるべく人気のない部屋へ滑りこんでヴァイスへ【宣託】を使用してみる。
これはルーゲインとの戦いに際して闇雲に取得したスキルのひとつであり、遠くにいる知り合いと意志疎通ができる便利なものだ。
何度かこれで実際にやり取りをしたが、使い勝手としては通話機能のみに限定された携帯電話のようで、特に不便は感じなかったね。
「ヴァイス、今いいですか?」
『これは師匠。何用でしょうか』
すぐに凛とした力強い声が返ってくる。
現在ヴァイスには、勝手な動きをし始めたインテリジェンス・アイテムを討伐して貰っていたんだったか。
何度か報告を受けた感じでは大きな被害を出している者もいたようで、酷い場合は捕縛ではなく即時処分も許可しておいた。
彼女の持つEXスキル【独立不撓】なら、装備者なしでも全力で戦えるので安心して頼めるからね。
……ちょっと欲しいけど、仲間から【簒奪】するほど落ちぶれちゃいない。
ともあれ、さっさと本題に入ろう。
「前にも話したパレードの件ですが、ヴァイスも参加しませんか?」
『せっかくのお誘いですが、我は辞退させて頂きます』
「えーっと、理由を聞いても?」
『師匠や、主であるミリア様と肩を並べるなど身に余る光栄です。我にはその資格が未だないと断じております故、どうかお許しください』
今度の飲み会に参加しない? 的な軽い感じで誘ったのに、思った以上に固い言い回しで断られてしまった。
どうにか参加して欲しかったけど、自分だって嫌なのに無理を言って参加させるのはダメな上司ではないか。いわゆるパワハラだ。
残念だけど本人の意思を尊重しよう。
「……わかりました。ヴァイスが自分で納得するまで待ちましょう」
『お気遣い感謝します。その時は主と師匠を引き立てる剣として参加しましょう』
「では、話はそれだけなので」
『はい師匠。我の力が必要であれば、いつでもお呼びください』
それで【宣託】は途絶えてしまった。
今の言い方だと、事情を説明して俺がヴァイス参加して欲しいと頼めば、ひょっとしたら断られなかったのかも。
しかし引き立て役の剣として参加か……俺も防具として出てみるとか?
割といい案かも知れないし、ちょっと本気で検討してみよう。
一休みも束の間、すぐに俺は外出することになった。
今回はミリアちゃんの付き添いで、カノンと三人での車で移動中だ。
帝都内とはいえ万が一を警戒しているのか、俺たちが乗っている車の前後を二台が挟むように護衛している。
いざという時は、俺が護るから心配無用だけどね。
「ところで学士院へ行くとは聞きましたが、なにかあるのですか?」
目的地については先に教えて貰っていたけど、授業が始まるのは夜会やパレードよりも先だったと記憶している。
始業式前の学校に……それも帝都に到着した直後だというのに、いったいどんな用事があるのだろう。
「はい。実は新しい制服を受け取れることになっているんです」
なるほど。制服がないと学校に行けないからね。
でも、それくらいなら送って貰うか、使用人が受け取りに行けばいいのに。
そう考えかけたが、わざわざミリアちゃんが出向くのだから相応の理由があるはずだ。となると……。
「もしやサイズの確認をするのでしょうか」
「は、はい。そうですけど……」
「クロシュ様はご存知だったのですか?」
「いえ、状況的にそうではないかと」
可能性としては、もうひとつあったけど自意識過剰だったら恥ずかしいので言わないでおこう。
「ですがクロシュ様、それだけではありませんよ。さ、お嬢様」
「あの、それと、一番最初にクロシュさんに制服姿を見て貰いたかったので……」
カノンに促され、照れながらもハッキリと口にするミリアちゃん。マジか。
一番に見て欲しい……実質これはもう愛の告白では?
まったく、自意識過剰なんて誰が言ったのやら。
「や、やっぱりこんなことでお呼びして、ご迷惑でしたか……?」
「まさか! 誘って貰えて、とても嬉しいですよミリア」
雰囲気的に今がチャンスとばかりに、そっと頭を撫でてみたら――。
「あぅ……はい、それなら……良かったです」
抵抗はなく、されるがままに撫でられながら赤く染まった顔を僅かに俯かせた。
このまま抱きしめてしまおうか。さすがにダメかな。
そうだ、ぎゅっと、しよー。
くっ、悪魔の誘いが俺を揺さぶる……!
いまなら、それくらい、ゆるされる、はずだしー。
た、たしかに言う通りだけども……。
さあ、よくぼうに、したがうのだー。
うわあああああーーー……って、なにしてんですか幼女神様。
ばれたかー。
なんとか心に巣食う悪魔を追い祓った俺は、無事に学士院へと到着した。
制服の受け取りだけだからと、車は正門ではなく裏口から入って屋内の駐車スペースに停まる。
さらにこの先は学士院側の用意した守衛が安全を保証するとかで、護衛騎士が同伴できるのはここまでらしい。
生徒がそれぞれ護衛を引き連れてたら大変だからね。仕方ない。
今回は保護者が一緒でもいいそうだから、俺は大手を振って学士院内を堂々と歩けるけどね。
ちなみに保護者はカノンで、俺はただの付き添いなんだけど細かい差である。
気にせず入口を進むと、まるで城のエントランスホールのような場所に出た。
高そうな額縁に収まった絵画や、人間より大きな白い彫像、天井にはシャンデリアらしき照明といった数々の豪華絢爛な装飾に彩られ、つい見回してしまう。
ミリアちゃんの屋敷も凄いけど、ここは格が違うようだ。
「この学士院は城の一画を利用していますから、初めて訪れると驚きますよね。私とお嬢様も最初は戸惑いました」
と、カノンが教えてくれた。
なるほど、言われてみれば城内のような派手さがあった。
もし騒ぎを起こせば、衛兵がすっ飛んで来そうだ。
「あ、三人共こちらです」
「お待ちしてましたわ」
「こんにちは」
休憩用なのか、設えられた柔らかそうなソファに座っていたのは、どうやら先に来ていたらしいアミスちゃんとソフィーちゃんだった。
あと、もうひとりは……ミルフレンスちゃん?
いつものダルそうな少女ではなく、麗しい深窓の令嬢がそこにいた。
「ミルフィは猫を被っているだけですわ、お姉さま」
「学士院や、公の場に出ている時はこうなるんですよ」
「そうなのですか?」
「こんにちは」
同じ言葉を繰り返し、ふと違和感に襲われた。
絶えず頬笑みを浮かべるミルフレンスちゃんだが、微動だにしないのだ。
体どころか、表情まで固定されている。
まさか応対するのが面倒だからって、ぱっと見れば気付かないよう怠けてる?
「あの、ミルフレンス?」
「こんにちは」
ダメだこりゃ。
なんか、そういうロボットのようになってしまっている。
「もうミルフィったら失礼ですわよ」
「いえ、構いませんよ」
何気に彼女の微笑む顔はレアなので、この際だから目に焼き付けておこう。
「では、揃ったのでそろそろ行きましょうか」
アミスちゃんに促され、立ち上がってしまうミルフレンスちゃん。ああん。
もうタイムアップか、残念。
でもこれからお楽しみが待っているんだから、のんびりもしていられない。
確認するまでもなく、アミスちゃんたちも制服を受け取りに来ている。
つまり、一気にみんなの制服姿を拝めるのだ!
……ワクワクが止まらねえ!
しずまり、たまえー。
ハッ!?
危ない、もう少しで暗黒面に堕ちるところだったよ。サンキュー幼女神様。
すごく、いい、えがお、だったけどねー。
それは暗黒微笑ではないかと。
そっかー。
などと言っているうちに、みんなは移動し始めていた。
遅れないように後を追いかけよう。
ホールの中央からは、赤絨毯が敷かれたいかにもな大階段が二階へ伸びていたけど、横切って奥の扉へ向かうようだ。
途中、なにかが気になった俺はちらりと階段の上へ視線を向ける。
そこに、見慣れない幼女が立っていた。
プラチナブロンドの美しい長髪に、薔薇のような赤いドレス。
遠目で年齢までは判断できないけれど、向こうも俺を見ているとわかった。
なぜなら瞳が、左右で色の異なる翠と金の瞳が輝きを放っているのだ。
「あれ……?」
異世界で初めて目にするオッドアイだと感心したのだが、気付けば両方とも翠色の瞳になっていた。というより俺の見間違いだったか。
「すみませんクロシュさん、置いて行ってしまい……どうかしましたか?」
「ああ、ミリア。それがですね」
遅い俺を心配してミリアちゃんが戻って来てくれたらしい。
再び階段の上へ視線を戻すと、初めから誰もいなかったように姿を消していた。
「……いえ、なんでもありません。行きましょう」
ここにいるのだから恐らく学士院の生徒だったのだろう。
どことなく気品が漂う、人形のような美しさを持つ幼女だった。
だからか、名前くらい知っていないか聞いてみたい衝動に駆られるけど、すんでのところで抑える。
あまり他の子を気にしていては、ミリアちゃんに嫉妬されちゃいそうだからね。
これは自意識過剰なんかじゃないと思いたい。
「ここにおりましたか、フォルティナ様……何か問題でも?」
「なにもなかった」
護衛騎士と思しき格好をした女性の問いかけに、フォルティナと呼ばれた少女が無機質に答えた。その瞳はどちらも翠色をしている。
「そうですか……」
守衛によって警備されている学士院内で危険などあるはずがない。
だとしても、フォルティナには護衛を付ける大きな理由があり、勝手に出歩く少女に僅かながら忠言を口にしたくなるのを堪えた。
抜け出したくなる気持ちもまた、理解できるからだ。
「では制服を受け取りましたので、そろそろお戻りください」
「わかった」
二人の背後から、さらに大勢の護衛騎士が現れると少女を囲み、すれ違うこともできない行列を成して通路を歩き出す。
ここまで多くの護衛を連れ立って歩けば注意されそうなものだが、この学士院において少女に物言える存在などごく少数である。
護衛の者たちですら、固い表情で周囲の警戒に努めていた。
もしも怪しい人物を見つければ、即座に抜剣して応じるだろう。
そして、そのすべてが少女の身を護るために許される。
皇帝国ビルフレスト、第一皇女。
フォルティナ・ルア・ビルフレスト。
それが少女の名であり、護衛騎士たちが畏敬するものの正体だった。




