誰にでもミスはあるものさ
遅くなりました。
「お、始まったみてぇだな」
断続的に放たれる黄金色の閃光を目にして、そう口にするのは人間ではない。
虚ろな瞳をした男が手にする真っ赤な鞭……名をジェイルという。
鞭のインテリジェンス・アイテムである彼が得意とするのは、戦闘不能に追い込んだ魔獣を【従属化】し、自身の配下として使役するスキルだ。
対象は本人より弱くなければならない、という制約はあるものの、数だけならば無制限と使いようによっては強力なスキルとなる。
それ故に魔獣こそジェイルの武器であり、力そのものだった。
「ルーゲインの野郎に従うのは気に入らねぇが、どうせ今のうちだけだ」
好機と見ればすぐにでも反旗を翻す腹積もりなのだが、現在までに実行されなかったのは彼自身が魔獣の質と数が劣っていると感じていたからだ。
しかし、現状でも十年という月日をかけて用意した魔獣の数は一万を超えている上に、その中には当初こそ低レベルだったものの、使い続けるうちに自身のレベルをも上回った魔獣も数多く有していた。
先に【従属化】してあれば高レベルになっても使役可能だったのは、彼にとって嬉しい誤算だ。
だというのに、これでも足りないとジェイルは憤る。
実際ルーゲインの実力ならば物ともしない戦力であり、とても賢明な判断だと言えたが、その粗野な性格に似合わない慎重さの裏にはルーゲインに自分は勝てないという無自覚の劣等感が隠されていた。
ただし本人はそれを知ることも、認めることもないだろう。
そんなジェイルには重要な役目が任されていた。
魔獣を小出しにして城塞都市を疲弊させ、迎撃の手が弱まった頃に全魔獣を動員して一息に落とし、そのまま皇帝国内を荒らすという『第二次魔獣事変』の根幹を成す大役である。
これは魔獣を指揮するジェイルにしかできないためであり、それだけならば彼にも異論はなかった。
ただひとつ、集めた魔獣を消耗する作戦には不満を口にする。
というのは別に、道具である魔獣を囮とする行為に罪悪感から抵抗を感じているわけではなく、それが自身の弱体化に直結するからだ。
気に入らないルーゲインを倒すためにも魔獣はできる限り温存したい。
そう考えたジェイルは、城塞都市から発射される大魔弩ミーティアの頻度が僅かながら減っていたのを目ざとく看破すると鼻で笑う。
予定では、もっと疲弊させてから総攻撃を仕掛けるはずだが、これ以上の損害を避けるのなら今しかないとジェイルは判断した。
「サクッと落としてやんぜ! 行くぞテメェらッ!」
号令を出すと同時に、魔の森から大型魔獣が咆哮と共に飛び出した。
これまでの使い捨てのために用意された魔獣とは違い、それらはジェイルが長年に渡って使役したことで高レベルに育った、最も信用している配下たちだ。
ただし、その数はたったの百体ほど。
一万からなる総攻撃には遠く及ばないものの成功を確信するジェイル。
こいつらの脚なら、今の砲撃ぐらいヨユウで突破できる。
先にジャマな兵士どもと壁を壊してから総攻撃すれば……楽勝だぜ!
場当たり的な発想だったが、ここに止める者はいない。
最後にジェイルが肉体として操る男も一際大きな魔獣の背に乗ると、先行する魔獣を追うようにして駆け出した。
そして浅はかな強襲は敢行されたのである。
「なんでだ……なんでこうなったんだ……?」
気が付けばジェイルの周囲に魔獣はいなくなっていた。
残されたのは騎乗している。獅子にも似た六腕の魔獣が一体のみ。
他に連れていた九十九体の魔獣はすべて、突如として行われた城塞都市の、まさに爆撃の嵐とも言うべき猛攻に呑み込まれて肉片と果てたのだ。
どうにか彼が乗る獅子の魔獣だけは他の魔獣を盾とすることで掻い潜れたが、ジェイルは理解できない。
確実に城塞都市は反撃の手が緩んでいた。それは大魔弩の残弾が残り少なくなっているからだと踏んでいたため、ここに来て集中砲火のような手段が取れるなどと思ってもいなかったのだ。
現実を直視できないまま戻れば爆撃地帯、進めば壁前で陣形を成す衛兵たちという板挟みの状態でジェイルと魔獣は立ち往生する。
この位置ならば射角の問題から大魔弩は向けられないものの、だからといって残された一体だけでは攻め込む勇気も湧かない。
すでに近くにいる衛兵たちからは警戒されているが、守りに専念しているためか追撃の気配はなさそうだ。
ならば、とにかく態勢を立て直すべく撤退するべきだろうと悠長に逃げ出す方法を模索し始めた。
「今さらどこへ行くつもりかな?」
「なっ!?」
周辺を眺めていたせいで気付かぬうちに近付いた人影に、ジェイルは反射的に魔獣をけしかける。
「やれ!」
「おぉっと」
だが魔獣の六腕から繰り出される連撃は軽くいなされた。
まるで、ひらひらと舞う紙切れのようにすり抜けてしまうのだ。
「危ない危ない。しかし、これでハッキリしたな。お前が魔獣の指揮者か」
「んだぁテメェはよぉ!?」
「敵だとも。少なくともお前にとってはな」
言われなくとも、本当はジェイルもすべて理解していた。
なぜ一度は大魔弩の発射が緩んだのか。
なぜ自分が強襲を仕掛けると同時に集中砲火を浴びせられたのか。
なぜ目の前に排除対象だったエルドハート家の当主、ノブナーガがいるのか。
それはジェイルが間抜けにも罠に嵌ったからに他ならない。
本人は認めたくなかったが、認めざるをえない事実だ。
「っざけんな! テメェェーーー!!」
逆上したジェイルは怒りの矛先を向けて再度、魔獣に攻撃命令を出した。
その魔獣、名を獅子王と呼ばれており、冒険者の間でも怖れられている有名な獣だ。
元々は格下の魔獣だったが、レベルが上がり進化を果たしたことでジェイルが使役する中でも、最も力を持つ個体にまで成長していた。
特に黄褐色の強靭な毛皮は刃を通さず、六本の剛腕と鉄さえ切り裂く鋭利な鉤爪は、通常であれば魔獣の巨体も相まって人間などひとたまりもない。
そのはずだった。
「懐かしいな。昔は群れとやったが、こうして一対一というのも悪くない」
「ちっ、なに言ってやがんだ?」
素早い身のこなしで右へ左へ、時には大きく後ろに跳躍して回避するノブナーガに、ようやくジェイルも警戒する。
この男は、凡百の雑魚とは違うと。
「それにしても自分から来てくれるとは思わなかったな。てっきり後方でこそこそ隠れているものだと予想していたが、まさか勝てる見込みでもあったか?」
「……いい気になんじゃねえよ、おっさんがぁぁぁ!」
安い挑発だったが、敢えてジェイルは乗った。
その強い感情の発露こそ、より強大な力を配下に与えるからだ。
「俺様に勝てると思ってんなら……こいつを見てから言ってみやがれッ!!」
バシィッ、と乾いた音を鳴らして鞭が獅子王の身を打つ。
すると途端に獅子の肉体に異変が起きた。
筋肉は膨れ上がり、毛皮は赤黒く変色し、血走る凶眼で獲物を捉える。
ただでさえ恐ろしい魔獣は、より醜悪な姿へと変じてしまったのだ。
「なるほど。それが切り札というわけか」
「ヨユーぶっこいてられんのも今のうちだけだぜ。やれ!」
先ほどとは比べ物にならないスピードとパワーで突進するレオレクス。
もはや爪を使うまでもない。その質量で人をはね飛ばせば肉を打ち、骨を粉砕し、内臓を潰して死に至らしめるだろう。
ノブナーガも正面から受ければ無事では済まないと判断して横に飛び退く。
「ははっ、ははははははッ! どうしたよ? 逃げてばっかじゃねえか!」
足を止めないまま旋回したレオレクスは、再びノブナーガへ向かって突き進む。
今度は避けられないよう、ジェイルは腕を使っての攻撃も指示する。
これで二度目の回避は不可能、そう思えた。
「ずいぶんと楽しそうだな」
「ああ、楽しいね。戦いほど楽しいもんはねえぜ!」
「まったくもって同感だ」
これまで攻撃を仕掛けなかったノブナーガは、ここで初めて攻勢に転じた。
ほんの一手。すれ違いざまに振るわれたレオレクスの巨腕に向かって、ノブナーガは手刀を放ったのだ。
それだけで獅子の腕は千切れて宙に飛び、突如その数をひとつ減らしてしまったレオレクスはバランスを崩して転倒し、土を抉りながら大地を滑る。
『グォゴオオオォォォォッ!!』
「な、なに!?」
「すまないな。楽しくなると、つい手加減が難しくなる」
どちゃりと大きな魔獣の腕が地面に落ちる頃には、横たわるレオレクスの変貌した姿も元通りとなっていた。
「どうやら一定時間か、大きなダメージを受けると解除されるようだな。ふむ、だから一体だけで攻め込もうとしなかったのか」
「ふ、ふざけんなよ……なんだってんだ」
「どうした? 腕ならまだ五本も残っているじゃないか。もっと楽しもう」
「う、うるせぇ! おい! テメェもさっさと起き上がれ! あいつを殺せ!」
『グルルルル……』
低く唸るレオレクスが、すでに戦意喪失しているのは誰が見ても明らかだ。
獣だからこそ、圧倒的な強者に挑む愚かさをよく理解していた。
最後の切り札である【騎乗強化】すら打ち破られた以上、勝敗は決したと。
その様子からノブナーガもレオレクスに戦う意志がないと察したが、しかし魔獣の主たるジェイルだけが、幼子が駄々をこねるように喚き散らして鞭を振るう。
事実、彼の心は転生前と変わらず子供のままだった。
「もう投降しないか? どうも魔獣の方が限界みたいだしな」
「うるせぇってんだよッ! テメェなんかに負けてたまるか!」
「なかなか、いい戦いだった。君も好きならわかるだろう」
「なにがいい戦いだ! 負けたら意味ねぇだろ!」
「……そうか。戦いではなく勝利が好きだったんだな。そうか」
不意に、それまでどこか優しげだったノブナーガの声色に暗いものが混ざる。
「ならば手加減は無用だったな」
「なに言ってやが――」
驚愕からジェイルの言葉は最後まで続かなかった。
手加減とは比喩でもはったりでもなく、本気を出していないという意味では間違いなく事実である。
相手を侮っているのではなく、ノブナーガにとっての全力とは他者から与えられた力を含むため、それは相手に失礼だと認識していた。
独自の価値観で理解は得られにくいがノブナーガなりの戦いにおける信念や、相手への敬意のようなものだ。
純粋に自身だけの能力で挑みたいという戦闘狂のワガママでもあったが、ともかく気に入った者との戦いに他者が関与するのは許せない性格なのである。
あくまで相手を気に入った場合で、外道が相手ならその限りではない。
「な、なんだよ、それ……そんなのありかよっ!」
「悪かったな。すぐに終わらせてやる」
地の底から響くが如く、魔獣より恐ろしげな声が聞こえた。
声帯が、肺が、口が、体全体が、骨格から皮膚に至るまで大きく変貌しているのだから当然だ。
指先に鋭い鉤爪が伸び、肌は黒い鱗に覆われ、頭部には天を突く双角、肩甲骨の辺りからは蝙蝠の翼が生えていた。体付きも人であって人ではない、元の痩身のノブナーガとは異なるごつごつとした巌のような巨躯。
愛する娘にすら見せたことのないオーガに匹敵する巨人の、もはや人間と呼べない異様な姿は、まさしく竜人。
EXスキル【竜体化】を行使したノブナーガの真の姿である。
「終わ、らせるって……」
「お前じゃない。そいつだ」
眼前にそびえ立つ死の具現にジェイルは震えた声で繰り返したが、鉤爪で差されたのは止まらない流血に体力を失い続ける魔獣だ。
手当てをすれば命は助かっただろう。しかしジェイルからの戦闘命令が撤回されない限り、自らそう動くこともできない。ただ待機している状態にある。
ノブナーガは、もはやジェイルに関心はない。
ただ健闘をした魔獣に、もう休ませてやろうと思ったのだ。
武器は必要ない。その腕に覆われた竜鱗と竜爪こそ最強の武具だから。
「や、やめ……」
制止する声も空しく振り下ろされた右腕は、レオレクスに痛みを感じさせる間もなくその太い首を断ち切り、容易く命を絶った。
「ま、魔獣が、俺様の……」
「おっと、お前はまだ殺さんぞ」
インテリジェンス・アイテムが仮初の肉体とするため、罪人を意のままに操っているとクロシュから聞かされていた。
装備されていなければ、身動きはおろかスキル行使すら覚束ないとも。
だからノブナーガは逃げられないよう男の胸倉を掴む……というよりサイズ差から摘むと、鞭を奪うべく手を伸ばしかけ――。
「むっ?」
「お、おい? なにしてやグごぁァァァッ!?」
自爆と呼ぶべきなのか。
ジェイルに操られていたはずの男が、空いていた手で懐から液体の入った瓶を取り出すと自身の体に叩きつけたのだ。
恐らくは爆薬の類が詰め込まれていたのだろう。
結果、ノブナーガの手の内で罪人もろとも、ジェイルは爆散してしまった。
奇しくも自身が捨て駒にした魔獣たちと、同じ末路を辿ったのだ。
一方でノブナーガは手に火傷という軽傷を負うも、それとは別に苦々しく爬虫類の顔を歪めた。
「今のは本人の意思ではない? なにか裏がありそうだが、いやそれより……」
「ごめんなさいアナタ。私も油断していたわ」
竜人の影からするりと這い出たのはネイリィだ。
彼女はずっと影という、特殊な異空間で待機していたにも関わらず、自爆を止められなかった失態に謝罪を口にする。
それに対してノブナーガは元の、人の体に戻ると優しく慰めた。
「誰にでもミスはあるものさ。仕方がない。問題はこれからだな……」
すでにノブナーガとネイリィは、魔の森から漂う気配が異様に強まっていることに気付いていた。
こうなると予想していたからこそ、ジェイルを生かしたまま捕えるつもりだったというのに、もしや非道な者が対策として施したのではと怒りを覚える。
しかし犯人を探して断罪する時間は、もはやない。
なぜなら魔獣軍、総勢一万を超える軍勢が統率者を失ったことで暴走し、たった今、森を抜けて侵攻を開始したのだから。




