もふもふ……
「……うぅっ、ここは、ワタシはいったい……?」
「気が付きましたか」
ミリアちゃんが顔を覗き込むと、倒れていたラエは飛び起きて距離を取った。
少し遅れて思い出したかのように周囲を見渡す。
「な、ワタシは……負けたのか」
いきなり攻撃されたらどうしようと心配だったけど、素直に敗北を認めたようで意外と大人しい。
というより、若干落ち込んでいるようだ。
あれか。人間を侮っている節があったから負けたのがショックとか。
「それで、なぜワタシは生かされているんだ?」
「最初に勘違いを正しておきますが、捕えている人たちを解放して欲しいだけで、貴女を倒したいわけではありません」
「同じことだろう」
「いいえ。貴女が負けを認め、応じてくれるなら戦う理由はなくなります」
これは俺ではなく、ミリアちゃん自身の意見だ。
最後に振るわれた魔力の刃は、たしかにラエに届くはずだった。
しかし俺とラエの話を聞いて途中から考えを改めたらしく、ミリアちゃんは纏っていたローブのみを切り裂いたのだ。
だからキズひとつ付いていないはずなのだが……。
ラエは斬られたと勘違いしたのか、気を失って倒れていたというワケだ。
これを言うと拗れそうなので見なかったことにしよう。
一方、俺たちも慌てて駆け寄ったところで裂かれたローブの中と、倒れた拍子に外れたのか山羊の頭骨に隠された素顔を目にした。
ラエ……いや、ラエちゃんは、ミリアちゃんと同じくらいの幼女だった。
肌はちょっと色素が薄い感じで、二本の黒い角が明るい桜色のサラリとした髪の間から伸びている。瞳は髪と同色なのに加えて、白目の部分が黒く染まっているのが特徴的だけど、それ以外の容姿はほとんど人間と変わらない。
山羊の頭骨が割れた辺りで察してはいたけどね。
それに悪魔なので、実年齢が見た目通りとは限らないだろう。
あ、俺としては一向に構わないのですが。
「どうでしょうか。認めてくれませんか?」
「……イヤだと言ったらどうする」
「時間経過で消えると聞いていますので、この場で拘束させて貰います」
「……ワタシを斬ったほうが早いのに、なぜそうしない?」
「貴女は、私の本当の敵ではないからです」
召喚されて命令に従っているだけ、というのはミリアちゃん的に同情できる部分があったらしく、ラエちゃんに対する怒りは失せたらしい。
そして真に悪いのは召喚者だと結論付けたようだ。
「お前は人間だ。でもワタシに勝った。敗者は大人しく去る……」
要約すると、契約を破って帰る。魔法陣もすぐに消えてノブナーガたちも解放されるということか。
ラエちゃんの扱い方はわかりやすくて助かる。
「だがな、次は負けないぞ。それとワタシの名はラエだ。覚えておけ!」
「あ、私はミリアといいます! ……と、行っちゃいましたね。私の名前ちゃんと聞こえたのでしょうか」
捨て台詞に名前を明かしながら跳躍し、去って行く姿はちょっとカッコいい。
〈しかし良かったのですか? あの様子では、また来る可能性がありますよ〉
「その時は、クロシュさんにお任せしてもいいですか?」
〈お任せください〉
小首を傾げつつ、そんなこと言われたらダメだなんて言えないでしょう。
……ひょっとして、チョロいとか思われてるのかな。
ま、まさかミリアちゃんが、そんな打算的なことしないよね?
ともあれ、ここに用はなくなったワケだけど……。
俺は戻る前に『少し休憩しましょう』と提案する。
結界によってダメージがないと言っても、疲労までは誤魔化せない。
あれだけ杖を連発したのだ。その魔力は大元こそ俺から供給されているものだけど、実際に杖へと流していたのは他ならぬミリアちゃんである。
肉体がある状態で魔力切れになった経験がないので憶測だけど、どうも魔力というのは容量がどれだけあっても使うだけで疲れてしまうものらしい。
その結果、身を包み込んでいる俺には今のミリアちゃんが疲労困憊しているのが手に取るようにわかった。足もちょっとプルプルしてるし。
最初こそ『大丈夫ですよ!』などと元気に振舞っていたミリアちゃんだけど、俺が【人化】して背中を突っついたらよろけて倒れそうになった。
うん、ダメだね。
地面に手を突く前に抱きかかえると、木陰まで移動して降ろしてあげる。
その間、無抵抗だったので観念したようだ。
何事も素直が一番である。
ついでに、ひとつ確認したいことがあった。ちょうどいいとばかりに、話しやすいようミリアちゃんの隣に座らせて貰うと、未だ小さな手に握られている杖に視線を降ろす。
「ミリア、その杖ですが……あの刃はなんだったのでしょうか?」
「あれは私が作った螺旋刻印杖の追加武装です」
「追加武装」
「すでにご覧になった通り、魔力を放ち続けて剣のように扱えます。とはいっても、これは消費する魔力がとんでもないので、クロシュさんがいる前提のものですけどね。詳しく説明しますと……」
饒舌になったミリアちゃんを止められる者はいない。
まるで通信販売の番組みたいな解説によると、先端に取り付けたパーツにはミリアちゃんが研究した結果、解析した……というより他のアーティファクトから一部分を模倣した秘文字が刻んであるらしい。
その機能は、継続して放つ、という意味を付与するとか。
結果として刃のような形となって現れるようだ。
基本は安全を考えて短めにしてあるけど、取り付けた先端部のパーツを回転させると秘文字が切り替わって放出量が増加、刃を最長5メートルほどまで伸ばせるらしい。最後のは2メートルくらいだったので、もっと伸びるのか。
もちろん刃の長さに比例して消費する魔力も膨大になるそうで……。
【クロシュ】
MP:970/3000
俺の残りMPはついに千を下回っていた。
前回の確認から300近くの減少ということは【防護結界】へのダメージ分をだいたい100として差し引くと、魔力の刃だけで200近く使っている。
それも、ほんの数分の間に。
たしかにこれは、MPが30のミリアちゃんだけでは扱えないだろう。
例え発現できたとしても、2メートルの刃なら1秒くらいしか維持できない。
「そういう事情から、まだこれは未完成でして……」
「だとしても誇れることだと思いますよ。そのおかげで勝てたのですから」
「いえ、私だけだったら、きっと悪魔だと聞いた時に腰を抜かしていました」
腰を抜かしたミリアちゃん……。
ちょっと見てみたい、などという内なる邪を滅する。破ァ!
「悪魔というのは、それほど怖れられているのですか?」
「実際に目にした感想としてはオーガほどではありませんでしたけど、よく言われるのが悪い子はドラゴンや悪魔に食べられたり、攫われてしまう話でしょうか」
子供を躾けるのに恐ろしい存在として引き合いに出すようなものらしい。
そう聞くと大したことあるんだか、ないんだか。
「ではミリアも、早く寝ないと悪魔が来るぞと脅かされていたのですね」
「……黙秘です」
図星のようだ。
もしかしたら最近まで言われていたのかもしれない。
とすると、オーガのような直接的な恐怖とは違いそうだな。
もっと漠然とした、幽霊や妖怪に対する怖さみたいなものなんだろう。
それで腰を抜かすとしたら、ちょっと怖がりさんなのでは……。
「しかし、こうして打ち勝てたのなら恐怖も克服できたでしょう」
「ですが私が勝てたのはクロシュさんの力があってこそで、それにラエさんが油断していなかったら無理だったと思います」
思ったより冷静で的確な分析をしていた。
ミリアちゃんの言う通り、もしラエちゃんが最初から最後まで本気だったら杖の攻撃を一度も受けなかったはずだ。
特に最後の攻防がもっとも顕著である。
もう少し冷静だったら素早い動きに反応できていないミリアちゃんが、正面からの攻撃にのみ集中していると気付けていた。そして狙い通りの方向から突っ込んだりすることもなかっただろう。すべては油断だ。
だからこそ、剣術など素人であるミリアちゃんのへっぴり腰な剣でも、刀身が伸びる不意打ちを駆使して一太刀浴びせられたのだ。
でも、ラエちゃんは負けは負けだと認識しているようだし、そこはいいだろう。
相手の油断を誘うのも戦法のひとつ。術中に嵌った者が悪い。
重要なのは勝ったという結果だ。
「ミリアが納得していないのであれば、これから強くなればいいだけです。ラエもまた現れそうですし、その時こそ強くなったミリアが一蹴すればいいのです」
「……できるでしょうか?」
「私だって最初から強くはなかったのですよ。あのミラもそうです。少なくとも私が知る彼女はそうでした。ですが聖女と呼ばれるミラは私が知る彼女とはだいぶ違うみたいですし、きっと私が眠っている間にガンバったのだと思います」
ふむ、ミリアちゃんを強くしようと本気で考えると、どうするべきなのか。
レベル上げは基本としてもステータスは明らかに体術に向かないし、かといって魔法も……あれ?
「そうですね……でしたら、問題が片付いたらクロシュさんに色々と教わってもいいでしょうか。その、ご迷惑でなければ、ですけど」
「ま、まさか迷惑なんて、あり得ませんよ。約束しましょう」
それまでに、可及的速やかに、案を練っておかなければならないようだ。
「さ、さあ、そろそろ休憩も終わりにして戻りましょうか。恐らく今日中には魔力が尽きて結界が解け……」
「どうかしましたかクロシュさ……」
おもむろに立ち上がったところで、俺とミリアちゃんは二人して静止する。
というより絶句していた。
あまりに異様な物体を目にしてしまったがために。
「く、クロシュさん。なんでしょうか……あの、毛玉?」
先に正気を取り戻したミリアちゃんは、謎の物体を『毛玉』と形容してくれたけど、その正体は俺にもワケがわからないよ。
たしかに白い毛玉みたいな物体が、それもオーガを越えるほど大きな毛玉が、森の中、木々の隙間から姿を見せている。
こういう時は、ひとまず【鑑定】をしてみれば……。
「話は、済んだか?」
渋い声が聞こえた。毛玉から。
「あ、え、あの、あれ、喋りました?」
「落ち着いてくださいミリア。それと少し下がって」
「慌てるでない人間たち。ワタガシは敵ではない」
「なんて?」
「ワタガシは敵ではない」
冗談は見た目だけにしてくれ。
「も、もしかして名前ではないでしょうか?」
「……なるほど。ワタガシという名前なのですね」
「いかにも」
俺は現在、ワタガシを名乗る毛玉と会話している。狂ったか。
「ワタガシは人間たちからすれば、魔獣、と呼ばれる」
そのもふもふで魔獣は無理があるでしょ。
「そのもふもふで魔獣は無理があるでしょ」
「き、気持ちはわかりますけど落ち着いてください」
「この姿は本来のワタガシではない。かつて、こうしていたほうが滞りなく話が進むと言われ、以降はそうしているに過ぎない」
「はぁ。それで、ワタガシさんは私たちに用があるのですか?」
始めから敵意を感じないので、見た目も相まって緊張感の欠片もなかった。
しかし、なにが開戦のきっかけとなるかわからないので警戒だけは怠らない。
本人いわく、魔獣らしいし。
「あの悪魔はワタガシの配下から棲み処を奪った。だから森を任されているワタガシが倒すはずだった」
「勝手に追い払ったのはマズかったのでしょうか?」
「違う。ワタガシは感謝している。ワタガシが戦えば、ここはなくなっていた」
よくわからない話だけど、感謝されているのなら敵ではないのか。
「人間たち。この恩はいずれ返すと約束しよう」
「いずれ、ですか」
「今はまだ、その時ではない」
「……頼んだら触らせて貰えないでしょうか」
ミリアちゃんが真剣な表情でこっそりと呟いた。
危ないからやめておきなさい。
「悪魔の仲間はワタガシの配下を奪おうとした。この森では失敗したが、弱きものならば抵抗できない。留意せよ人間たち」
「なんの話でしょうか?」
「では、な」
一方的に会話は打ち切られてしまった。
白くて巨大な毛玉はスススッと静かに動き、すぐに森の緑に紛れて消える。
あとには折れた枝どころか、踏み倒された草といった形跡も見当たらない。
魔獣というのは、本当だったのだろうか。
【鑑定】し忘れたのが悔やまれる。
「もふもふ……」
あと、次に会ったらミリアちゃんに触らせて貰えないか頼んでみよう。




